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2019.05.10
日曜ヴァイオリニストの“アートな”らくがき帳 File.11/5月特集「ブルー」

北斎のプルシアン・ブルーとモーツァルトのバセットクラリネット——技術の進歩が芸術家の表現を深める

どんなに才能があろうとも良い道具、良い素材に出会わなければ新しいものを生みだせないのかもしれません。

「日曜ヴァイオリニスト」兼「ラクガキスト」の小川敦生さんが着目したのは、江戸時代の天才浮世絵師 葛飾北斎が手にした青の顔料プルシアン・ブルーと、天才作曲家モーツァルトが晩年に出会ったバセットクラリネットの音色。

さて、2つの「青」の芸術に触れたラクガキストはどんな作品を生みだしたのでしょうか?

演奏するラクガキスト
小川敦生
演奏するラクガキスト
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

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葛飾北斎の青

何と鮮やかなのか!

久し振りにそんな思いで胸が満たされたのは、千葉市美術館で開かれている「メアリー・エインズワース浮世絵コレクション」展で葛飾北斎の錦絵《冨嶽三十六景 凱風快晴》の前に立ったときのことだ。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》展示風景

保存状態がよく、時代を感じさせないほど色が残っている。絵草子屋の店先で摺られたばかりのこの浮世絵を目にした江戸の人々は、まずこの鮮やかさに魅了されたに違いない。

画面の主役は、言うまでもなく赤茶色で表現された富士山である。しかし見逃してはならない要素がある。背景となっている空の青だ。赤茶色と青の強いコントラストが、より鮮烈な印象をもたらしているのである。

この青は「プルシアン・ブルー」、またの名を「ベロ藍」という。江戸時代に西洋から輸入された人工絵の具だ。「プルシアン」は昔のドイツ地域の国名だった「プロイセン」、「ベロ」は「ベルリン」に由来する。いわゆる錬金術師がベルリンで偶然発明した絵の具であることが、過去の研究から明らかになっている。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》大判錦絵 天保2-4年(1831-33)頃 アレン・メモリアル美術館蔵

日本でもっとも古いプルシアン・ブルー

なぜこんな話がONTOMOの記事に出てくるのか?

新しい素材や道具等の開拓や改良が新しい芸術表現を促し、名作の誕生に寄与するという興味深い現象が、音楽の世界でも美術の世界でも起こりうることに着目したからだ。

日本でプルシアン・ブルーを使った画家の中で現在もっとも古い例といわれているのは、かの伊藤若冲の代表作シリーズの左下部分に描かれた「ルリハタ」という青い魚だ。近年、作品を修復する際に調査したところ、プルシアン・ブルーが使われていることがわかったという。

ベルリンでプルシアン・ブルーが発明されたのは18世紀初頭。一方、若冲が「動植綵絵」を描いたのは1760年頃。発明後まだ数十年、日本に輸入されるのは少量で、極めて高価な顔料だったと考えられる。

青が際立つ「冨嶽三十六景」シリーズ

葛飾北斎がプルシアン・ブルーを使ったのは、大量に輸入されて価格が安くなった1830年代以降だった。発色のいい絵の具が安く手に入るとあれば、思い切り使ってみようという気持ちが高まるのは自然なことである。北斎などの絵師だけでなく、錦絵の制作をプロデュースした版元の意識も働いたのではなかろうか。

それにしても、「冨嶽三十六景」シリーズは、全体的に青が際立っている。空や海を描く必然性を持つ風景画で鮮やかな青が使えるのは、浮世絵師や版元には朗報だったことだろう。

世界的に特に有名な《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》(この展覧会には不出品)も、プルシアン・ブルーがなければ生まれなかった可能性が大である。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》

歌川広重の「東海道五十三次」や「名所江戸百景」の各シリーズ、歌川国芳の風景画など、ほかの絵師による同時代の例でも、プルシアン・ブルーは多用されている。

歌川広重《名所江戸百景 両国花火》大判錦絵 安政5年(1858) アレン・メモリアル美術館蔵
歌川広重《名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣》大判錦絵 安政4年(1857)11月 アレン・メモリアル美術館蔵
歌川広重《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》展示風景
摺りが違う2枚が並べて展示されている。水や空の青を表現する際に広重はプルシアン・ブルーを大切にしたに違いない

音楽界で想起されるのはバセットクラリネット

音楽の世界でも、楽器の改良等による技術の進展が表現を切り開くケースが多々ある。ここでは、日曜ヴァイオリニストを自称する筆者が少し前に経験した貴重な体験を記しておきたい。

2014年8月に長野県の軽井沢大賀ホールで開かれた「軽井沢国際音楽祭」のフェスティバル・オーケストラ・コンサートに、筆者はオーケストラの一ヴァイオリン奏者として参加した。通常と異なる経験ができたのは、モーツァルトのクラリネット協奏曲だ。独奏をしたフランスの名クラリネット奏者ミシェル・アリニョンさんがこの日手にしていたのは、「バセットクラリネット」という聞き慣れない名前の楽器だった。

「軽井沢国際音楽祭2014」フェスティバル・オーケストラ・コンサートのモーツァルトのクラリネット協奏曲の演奏会から(バセットクラリネット独奏:ミシェル・アリニョン、指揮:横川晴児、2014年8月14日、軽井沢大賀ホール、撮影:半田勇二)。

バセットクラリネットはモーツァルトと同時代のクラリネットの名手アントン・シュタードラーがクラリネットを改良して低音を拡張したとされる楽器。モーツァルトは、バセットクラリネットのためにこの曲を仕上げたという。クラリネットは音の深みがたまらなく魅力的な楽器だが、オリジナルの楽器での演奏を経験することで、もともと想定されていた音色を知ることができた(もちろんソリストの演奏も素晴らしかったのだけど)。

上:「軽井沢国際音楽祭2014」のリハーサル風景。

右:アントン・シュタードラーが使用していたタイプのバセットクラリネット。現代のものは通常のクラリネットを長くした形をしている。
Strobach Title:Deutsch: Bassettklarinette in A (auch: Bassetthorn)
Date:circa 1800 Museum für Kunst und Gewerbe Hamburg

ここでも、バセットクラリネットがなければ、この名曲が誕生しなかったことが想像されるのである。

その音は、静かで淵が見えないような深みをたたえていたことが、強く印象に残っている。このときのバセットクラリネットの音色を「宇宙の底知れぬ深みを持つ青」と表現しておこうと思う。

モーツァルト: クラリネット協奏曲 イ長調 KV622

アレッサンドロ・カルボナーレ(バセットクラリネット)クラウディオ・アッバード(指揮) モーツァルト管弦楽団

Gyoemon作《プルシアン・ブルーの波にのる黒猫》(2017年)

魚としては、こんな猫には会いたくないだろう。ラクガキストGyoemonは北斎に敬意を表して波乗り猫を描いた際に、無意識にサーフボードを赤くしていた。そんな影響を与えた北斎はやはりすごいと思う。Gyoemonは筆者の雅号。
展覧会情報
オーバリン大学 アレン・メモリアル美術館所蔵 メアリー・エインズワース浮世絵コレクション-初期浮世絵から北斎・広重まで

会期: 2019年4月13日(土)〜5月26日(日)

開場時間: 10:00〜18:00(最終入場時間 17:30)

金・土曜日は20:00まで(最終入場時間 19:30)

料金:

一般 1200円
大学生 700円
小・中学生、高校生無料

会場: 千葉市美術館

小川さんが参加する演奏会
「軽井沢国際音楽祭2019 フェスティバル・オーケストラ・コンサート」

日時:2019年9月1日(日) 午後

会場:大賀ホール(長野県軽井沢町)

指揮:横川晴児

ピアノ独奏:ミロスラフ・セケラ

曲目:ブラームス ピアノ協奏曲第2番、ブラームス交響曲第4番

演奏するラクガキスト
小川敦生
演奏するラクガキスト
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

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