インタビュー
2019.11.28
藤木大地の大冒険 vol.7

アルゼンチンと日本の青少年たちを繋ぐ架け橋——ソプラノ歌手、田中彩子にカウンターテナー・藤木大地が訊きたい10の質問

カウンターテナー歌手の藤木大地さんが、藤木さんと同様、“冒険するように生きる”ひとと対談し、エッセイを綴る連載。
第7回のゲストは、世界で活躍するソプラノ歌手、田中彩子さん。スイスのベルン州立歌劇場にてデビューし、海外で活躍したのち、2014年に日本でもデビュー。アルゼンチン青少年オーケストラ日本招聘プロジェクトなど、社会的な活動もしています。子どもたちの未来をつなぐプロジェクトを田中さんが始めた理由とは?

今月の冒険者
田中彩子
今月の冒険者
田中彩子 ソプラノ歌手(ハイコロラトゥーラ)

3歳からピアノを学ぶ。18歳で単身ウィーンに留学。わずか4年後の22歳のとき、スイス ベルン州立歌劇場にて、同劇場日本人初、且つ最年少でソリスト・デビューを飾る。ウィ...

藤木大地
藤木大地 カウンターテナー

2017年4月、オペラの殿堂・ウィーン国立歌劇場に鮮烈にデビュー。 アリベルト・ライマンがウィーン国立歌劇場のために作曲し、2010年に世界初演された『メデア』ヘロル...

写真:各務あゆみ

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友だち100人できるかな

100人の友だちと富士山の上でおにぎりを食べることができたら、どんなに楽しいだろう。

SNSが発明され、スマホが発明され、「つながる」ことの楽しさと大変さも同時に発明された。

友情とはもともと、時間をかけて育むものだったと思う。学校で同じクラスになり、異なる環境で生まれ育った人と話をするようになる。休み時間にみんなでドッジボールをしたり、放課後に一緒に帰ったりして、友だちができたよ! と家の食卓で話をする。

旅先で知り合った人や学校が変わってしまった友だちとは、郵便で文通をする。焼き増しした写真を送ったり、電話代を気にしながら長距離電話をしたり。僕はそうやって友だちと交流をしていた。

SNS時代への疲れは、「友だち」の意味が浅く広く軽くなってしまっているのではないか、と思ったときに感じはじめた。「知り合い」や「先輩」や「どこで会ったか思い出せない人」が同じ「友だち」のリストに入るようになり、他人様の人生が自動的に目に飛び込んでくるようになった。自分が不安定なときには、幸せそうな人を羨んでしまったりもする。

一方で、かつて留学したイタリアの「1回会えばもうアミーコ(友だち)」の精神や「友だちの友だちだから喜んで助けるよ!」みたいな友情に対しては、いい文化だなと、生身の人間のあたたかさを感じることもある。

いいじゃん、とりあえずつながってれば。なにか必要があればインスタントメッセージ送って、助け合えば。と言う人もいるだろう。それはそれで考え方だ。十人十色で答えはない。

ただ個人的には、「一応つながってる」よりも、時折ぶつかったり一時的に疎遠になりながらも少しずつ育まれた、手作りのおにぎりを僕は食べたい。「え〜昭和ですねー」って言われちゃうかしら。

なかなか会うことができなくても、友だちにはみんな元気でいてほしい。

藤木大地

対談:今月の冒険者 田中彩子さん

プロフィール

3歳からピアノを学ぶ。18歳で単身ウィーンに留学。
わずか4年後の22歳のとき、スイス ベルン州立歌劇場にて、同劇場日本人初、且つ最年少でソリスト・デビューを飾る。ウィーン・フォルクスオーパー歌劇場の『ホフマン物語』オリンピア役のカバーを務めたことを皮切りに、オーストリア政府公認スポンサー公演『魔笛』の”夜の女王” 役で3年間に渡って出演。
オルフ『カルミナブラーナ』のソリストとして、ウィーン2大コンサートホールの1つ、ウィーン・コンツェルトハウスにて大成功を収め、ロンドン・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とのコンサートでイギリス・デビューを果たす。
2017/2018年、作曲家エステバン・ベンセクリが彼女の声にインスピレーションを受け作曲した「コロラトゥーラソプラノとオーケストラの為の5つのサークルソング」を、南米最高峰コンサートホールCCKでの国立アルゼンチン交響楽団とのシーズン開幕コンサートにて世界初演。アルゼンチン最優秀初演賞を受賞。
日仏国交樹立160周年のジャポニスム2018にてルーブル美術館敷地内カルーゼル・ド・ルーブルでのリサイタルを公演。
日本でも2014年のデビュー以来、国内リサイタルツアーなど演奏活動を重ね、『情熱大陸』などのメディアにも多数出演。
UNESCOやオーストリア政府の後援によりウィーンで開催されている、青少年演奏者支援を目的とした『国際青少年フェスティバル』に2018年より2年連続ソロコンサートに出演。アルゼンチン政府が支援し、様々な人種や家庭環境で育った青少年に音楽を通して教育を施す目的で設立されたアルゼンチン国立青少年オーケストラとも共演するなど、社会貢献活動にも携わっている。
2019年 Newsweek誌 「世界が尊敬する日本人100」に選ばれる。
京都府出身、ウィーン在住。

藤木大地が田中さんに訊きたい10のこと

Q1. 京都府のご出身です。高校まで京都、高校卒業後に単身ウィーンに渡られます。器楽奏者の海外留学では時々聞く年齢ですが、声楽ではもっとも早い決断のように思います。10代で言語も文化も違う国に飛び込んだ頃、とても苦労したことはどんなことでしたか?

田中 ウィーンは、主張をしないとダメな場所であるなというのを日々感じています。何がしたいのか、なぜやりたいのか。なぜやるのか。というようなものを明確にもっていないと、道から外れやすい。自分をきちんと持ち続けていないと厳しい国でもあるなということを感じます。

藤木 日本で育った高校生時代も主張するタイプでしたか? それとも向こうにいって性格がそのように変わりましたか?

田中 どちらかというと、端っこで一人で静かに、そっとしておいてほしいタイプ。ヨーロッパにいると、ある程度「私」というものを出さないといけないのが、自分の性格上、とてもしんどかった。

昨日もラジオで話したんですけど、基本ヨーロッパにいるときは、自分のことをゴリラと思っています。ゴリラとして生活することによっていろいろ解消されることが多い(笑)。

藤木 ゴリラはどこが強いの?

田中 人間社会をアマゾンに喩えたら、強いものが生き残る、弱肉強食の世界ですよね。そこで例えばゴリラがウホッて来たときに、ウホッて返せなかったら、ウホッにやられてしまう。「いや、私は間違っていない!」という主張をゴリラになって返すことによって、そこの勝者になれるんですよ。

藤木 つまり、闘ってたわけね。相手が敵ではないにしても、間違ったことは受け入れられないと。

田中 そう。間違っているよ、っていう強さをもたないといけない。例えばスーパーで商品をぼんと投げられて、卵が割れたりしたら、「卵割れてる、でも言うの面倒くさい……」みたいに引いてしまわないように。心の葛藤が一番大変でした。

藤木 それはやっぱり文化なんでしょうかね。語学能力も徐々に上がっていくけれど、最初は通じなかったと思うんだ、きっと。コミュニケーションの能力として語学を身に着けて、それが闘う武器になっていったんですか?

田中 そうですね。やっぱり根本的に、人と人とのコミュニケーションの取り方が、少々異なるかなという感じがしますね。その主張の仕方や、距離感を感じ取るのが大変でした。

藤木 ウィーンに行って、はじめて声楽を学んだんですよね。

田中 ほぼそうですね。ウィーンに住んでから腰を据えて勉強を始めました。

藤木 それはいいですね。僕も感じることがあるんだけれど、日本の声楽教育ってヨーロッパと全然違う。最初の段階からヨーロッパでできたというのは良いことかもしれない。

ハイ・コロラトゥーラという持ち味は当初からあったんですか。

田中 高い音はもともと出て、コロラトゥーラと呼ばれるような速いパッセージも問題なくできました。

藤木 ちなみにウィーンで宮廷歌手の方からレッスンを受け始めたとき、最初に与えられた曲ってなんですか?

田中 ひたすらカデンツァの練習でした。音階のみのエチュードをヴォカリーズ(母音のみで歌うこと)で歌ったりとか。

藤木 はじめていただいた歌詞のついた曲はなんだったんですか? 例えば日本だとイタリア古典歌曲集などが一般的ですが。

田中 最初はモーツァルトの何かでしたね。

藤木 じゃあドイツ語。

田中 多分、ドイツ語だったと思います。

Q2. 22歳でベルン州立歌劇場(スイス)の《フィガロの結婚》バルバリーナ役でデビューされました。その後ウィーンを拠点に国際的に活動されます。 そのデビューが決まるまでの経緯と、現在の活動について教えてください。

藤木 そんな中、4年間勉強されて、ベルンの劇場でデビューされるわけですね。それはどういったきっかけで?

田中 夏にスイスで行われた国際コンクールに挑戦した時です。人生で初めてのコンクールだったのですが、セミファイナルのあとに、コンクールの審査員であった劇場の監督が声をかけて下さって。

藤木 コンクールは7月で、デビューは?

田中 デビューは11月1日でした。

藤木 実は、その時期に僕もベルンのオーディションを受けたんですよ。当時テノールだったんだけど、ドイツやフランスやスイスの、いろんな劇場に手紙を送ってたんですね。その中でベルンが聴いてくれることになって。アヴィエル・カーンという方が監督でした。

ヨーロッパの劇場のオーディションって、5曲くらい持っていくんですよ。そのうち、1曲目には歌いたいものを歌わせてもらえるんですが、当時の僕はその1曲目で落とされちゃうことがほとんどでした。3分歌ったらもういいですって言われて帰されちゃうんだけど、そのときはじめて2曲目と言われた。

そのとき「声はあります。でもまだ準備ができてません。今の状態でいろんなオーディションを受けると、あなたは未熟な歌手としての印象を与える。いろんな劇場同士で情報を共有しているので、もうちょっと勉強してから来ないと駄目よ」とわざわざ呼んで言ってくれた人が、その方なんですよ。

その同じ時期に、同じ街にいたんですよね。人にとってタイミングってのはあって、彩子さんにとっては、それはデビューした時期だったんですね。

藤木 フィガロの結婚は何公演出ました?

田中 全公演出ました。超ロングラン公演で、11月から翌年の6月まであって、毎週2公演くらいあったんですよ。

藤木 公演がないときは何をしていたんですか?

田中 とりあえず風邪を引いたらいけないという気持ちが強くて。他の大きな役の方はダブルキャストだけど、バルバリーナだけない。監督さんによって違うと思うんですけど、そのときの演出はすごく出る役だったんですよ。歌っていないときも舞台に出っぱなし。休むとすごく迷惑がかかると思って、お休みの日も基本的には家に引きこもっていました。

藤木 その後ベルンでデビューして、他の劇場に呼ばれたりということはありましたか?

田中 公演が終わる頃、ちょうど劇場ががらっと変わる時期だったんです。とりあえず劇場でオーディションしろって言われたんですが、受けませんでした。私自身まだまだ未熟だった中での、ラッキーなデビューだったとしか思っていなかったので、これが終わったらまたウィーンに戻って勉強しようと。最後にカーンさんに、「君は才能もあるし何よりとても美しい声だ。でもまだとても若い。焦らず、合わない役はしない。じっくり大切に育てていってね」とコメントをいただいて、その言葉を心の支えにして、その後ウィーンに戻って、また勉強を始めました。

Q3. 日本では2014年にCDデビューされ、その前後から国際的な歌手として逆輸入された形になったと思います。20代をヨーロッパで過ごし、30代で日本のお仕事を幅広くはじめて、逆カルチャーショックというか、違いに戸惑ったことはありますか?

藤木 日本の音楽の世界に何かショックを受けて、ゴリラになったときとかありますか。

田中 逆にゴリラになりすぎてはいけないっていう(笑)。 半分寝てるくらいのほうが。みなさんすごく優しいというか、穏やかなので、また違う距離感を保つのに勉強せねばって思ったのはありますね。

ドイツ語から日本語に変換して話すことが多いので、直訳すると「私これ飲む」みたいになる。「これをいただいてもよろしいでしょうか」っていう言い回し方にたどり着くのに、数年かかりました。

藤木 日本でのデビューのきっかけは、国際的な活動をされているのをどなたかが見つけて、日本に紹介する形になったんですか?

田中 ヨーロッパで10年過ごした記念として、母国の日本でもコンサートをしたいなと思ったんですね。それでサントリーホールのブルーローズでリサイタルをしたんです。なぜそこかって、たまたまそこが空いていたから。チケットはぜんぶfacebookだけで宣伝して、それで300人くらい来ていただいて、はじめて日本のお客さんたちと直に触れあいました。母国でもなんらかの活動をしていけたらいいなあと思って、事務所を探している中で、エイベックス・クラシックスさんがお声をかけていただきました。CD発売と同時にデビューした感じなんですね。

藤木 ご自分でホールを借りて、ご自分で集めたお客さんの前で演奏したことから、日本でのキャリアが始まったんですね。そのとき、facebookの友だちは何人くらいいたんですか。

田中 4000人くらい。

藤木 その10パーセント弱来てくれたっていうことでしょう。そこに集まったお客さんは、彩子さんの歌まで聴いたことがない人がほとんどだったんですね。

田中 そうですね。ほぼ全員じゃないでしょうか。CDはヨーロッパやネットで自主で発売はしていたんで、それを聴いてくださっていた方はいたと思いますけど。

藤木 活躍の場を探している人にとって、勇気づけられる話ですね。特に外国での生活が長くなってくると、日本でどう活動したらいいかわからないという人が結構いて、僕も相談されたりする。

彩子さんが自分で道を切り拓いた人だっていうことを知ってもらいたいですね。ホールを借りるって勇気がいることじゃないですか。

Q4.「お茶の間で人気のTV番組に出るのは、少しでもクラシックに興味をもっていただきたいから」とお話になっています。音楽界以外にも知名度が上がることで、ご自身のファンの層やコンサートへのお客さんの層が変わってきたという実感はありますか?

田中 私のコンサートに来てくださるお客さんは、お母さんと一緒に来る10代の女の子や、私と同い年くらいの女性も多いんです。もちろんご年配の方もいて、すごく幅広い年代の方が来てくださるようになったなと思っています。フォトエッセイの影響が大きいのかなとも思うんですけど、自立した女性というか、自分で何かをしたいっていう感じの方からメッセージをいただいたりします。

藤木 著書では、どういうことを書いているんですか。

田中 どういうふうに歌を始めて、どういうふうに留学して、ウィーンでどんな生活をしているかとか。

田中彩子フォトエッセイ


単行本: 96ページ
出版社: 小学館 (2016/8/26)

藤木 何かをすごく好きな人が誰かを連れてきただけで、お客さんが単純に2倍になりますよね。親と子で来てくださると、その人の友だちの世代も違ってくるから、広がりが生まれる。

TV番組に出て、思い出はありますか。

田中 基本的に皆さん、生歌を聴く機会があまりないと思うんですね。こうやって話しているときと、実際に歌ったときの違いに対する驚きがあるようです。そういうちょっとした驚きが、新しい一歩になる。じゃあ聴いてみようかなって。それができたかなと、どんな番組に出ても感じますね。

藤木 興味をもつ人が増えるのが第一歩ですね。

Q5. クラシック音楽家の中には、田中さんのように演奏会だけでなくメディアでの華々しい活動をしたいと願っている人もたくさんいると思います。ご自身で分析されて、メディアに取り上げられる(ニュースになる)、また多くの方に応援されるご自分の強みというか、パーソナリテイはどのようなところにあると思いますか?

田中 ピアノは3歳からやっていましたが、私自身は、クラシック畑どっぷりで来た人ではなくて、どちかというと、ウィーンに行くまでほぼクラシックを聴くことはなかったし、正直それほどクラシックに興味はなかった。

そういう興味をもてなかったときの自分の感覚を持ちつづけることによって、じゃあどうすればいいのかという解決策が比較的浮かびやすいんじゃないかと。自分がクラシックが何よりも大好きで、マニアックな感覚になってしまうと、やはりそうじゃない方たちの立場になれないと思うので、なるべく両方の感覚をもちつづけたいなというのはあります。

田中 やはり専門のことをしているから、マニアックじゃないですか。マニアックなことをしていると、私たちにとっては当たり前なことも、専門外の人たちにはわからないことがいっぱいあるということを、だんだん忘れていってしまいますよね。

藤木 クラシックに現時点で興味をもっていない人が、もたない理由というのはなんだと思いますか。

田中 いろいろ考えられる理由はあると思いますけど、ハードルが高い。なんとなく。

藤木 チケット代の高さとかですかね。

田中 チケットはむしろ安いくらいだと思うんですよ。ただ、やっぱり行こうかなと思うきっかけがかなり少ないかなって思うのと、なんとなく敷居が高いというか。クラシックの、高級なもの、エレガントなものというのは、必ずしも落とす必要はないと思うんですよ。別に身近にする必要はない。何百年も廃れずにあるわけだから、それだけ魅力がある。その魅力を伝えるために、どうすればいいのかなって。

藤木 例えば、オペラが1万円すると仮定したとして、オペラを観るのと同じ時間を使って映画を観るのに例えば1800円だったとしたら、ちょっと高いですよね。

田中 でもライブ公演で、ミュージカルとかだったら、そのくらいしません?

藤木 ミュージカルはしますね。

田中 ではなぜ、ミュージカルにはたくさんの人が行くかなーと。ミュージカルのほうがなんとなく行きやすいかな、当時の私を思い浮かべると。でも、単純にきっかけが少ないんじゃないかな。

藤木 きっかけを増やすことで来てくれる人も増える。

田中 そう思います。

藤木 きっかけがあっても来ない人もいるかもしれないけど。

田中 あの人、誰だっけ。アインシュタイン! アインシュタインが、「アクションしないとリアクションしない」って言ったんですけど、その通りだなと思って、やっぱりアクションをするのは重要だなと思いますね。

Q6. 「子どもの可能性が環境で左右されてはならない」という思いのもと、アルゼンチン青少年オーケストラを日本に招聘するため、現在、300万円を目標にクラウドファンディングをされています。南米との接点はどのように生まれて、どのように交流を育んでいかれましたか? このプロジェクトと、その先の目標について詳しく教えてください。

藤木 活動を見ていると、南米とかウクライナとか、世界規模で活動されていると思うんですけど、印象的なものってありますか。

田中 演奏家としてその街に行きますが、その国の情景というか、治安とか、その国の人の考え方とか、見る機会が少なからずあります。

やはり日本という国は、世界的に見ても目標とする国のイメージ図に近いんだなと。例えば水道水が飲めるとか、山も川もあって、海も綺麗で、基本的に食べ物や物にも困らない。

それが当たり前じゃないっていうことがわかったのが、ブルガリアやルーマニアに行きだしてからでした。劇場に「ピストル禁止」のマークがついていたり、水道水が汚染されていて飲めなかったり。でも、難民の方が1ユーロしかもう持ってないんだけどパンを買うのはやめて聴きたいとわざわざ来てくださったことは感動して今でも心に残っています。

難民の人がたくさんいて1ユーロしか持ってないんだけど聴きたいと来たり。

最近のことだと、アルゼンチンのブエノスアイレスが印象に残っています。空港から市内へ行く道の途中で、警察官すらも入れない危険地帯が見えるんですけれど、想像を絶するボロボロさで、家が半分崩れているとこに家族みんなが住んでいて、その様子が丸見えだったりする。実際に目の前にそういう光景が永遠につづいていて、そこで普通に子どもたちが遊んでいる様子を見たときに、やっぱり、なんだろうなあ……と思いましたね。同じ時代に生きているとは思えないというか。

そういうアルゼンチンでも、トップクラスの素晴らしいオーケストラがあって、実際その国からカルロス・クライバーやマルタ・アルゲリッチも出ていて、不思議だなって思うと同時に、音楽にはまだ可能性があるというか、いろんな環境の中でもそういう人が生まれるパワーがあるんだなと。

藤木 今、リアルタイムに11月29日締め切りでなさっているクラウドファンディングは、何をなさっているかというと、アルゼンチンの青少年オーケストラを日本に連れてきたい、子どもの可能性が生まれた環境から左右されてはならない、という想いから始めていらっしゃいます。

田中 このプロジェクトのきっかけは、メディアに出始めて、10代とか20代の方から相談のメッセージをいただくようになったことなんです。特に高校生とか、社会人に成りたての女の子たちから、「音楽家を目指しているけれど、音大に進めなかったら私は将来音楽家になれないのでしょうか」とか、「留学してみたいけれど、どうしたらいいかわからないし、経済的にもちょっと難しいから心配がある」とか、将来に対する不安についての相談をいただくようになりました。

私自身は、10代でヨーロッパにいったときに、いろんな国の方たちと知り合って、それぞれの考え方を知ることが、自分の中で大きく開花して、その経験が今でもとても大きな柱になっています。そのような国際的な交流を、なるべく日本の子たちにも何らかの形でもってもらえたらいいなと以前から思っていました。

アルゼンチンの青少年たちの環境は、日本の子たちとは一見違うけれど、実際には日本国内にも貧困問題があります。日本でも、出稼ぎで来た南米の方たちの子どもたちが学校に馴染めずいじめが発生したり、最終的には治安の問題になっていく。国は違うし正反対の場所にいるけれども、同じ時を生きて、何語で話していようが何人であろうが、子どもは子どもで一緒。そういう子どもたちが、音楽を通して何らかの形で交流することによって、彼・彼女たち自身の中で何らかの変化が起こるんじゃないかと思って、このプロジェクトを始めました。

田中 このプロジェクトは慈善事業ではなく、あくまで彼ら自身の、自分の中での開花と成長、自分自身を信じるきっかけを作るというのが目的です。アルゼンチンの青少年オーケストラをサポートするのが目的ではありません。

このアルゼンチン青少年オーケストラには南米の子どもたちが集まっているので、つまり南米全体の青少年たち。日本と南米、正反対の国の子どもたちが交流することによって、自分自身を信じる、未来を信じる、自分が目指したいことをやればできるかもしれないという思いを目覚めさせるきっかけのためのプロジェクトです。

音楽は、自分の未来に向かうためのきっかけになるような、パワーのあるものだと思っています。音楽を通して、より良い、強い自分になってほしい。そういう気持ちで、今後もそういうプロジェクトをやっていけたらいいなと思っています。

本来こういうことをされるのは、その道の卓越された方が多いと思うんですけど、青少年からすると、偉人からもらう言葉と、自分よりちょっと先だけどまだ未熟な人から受ける言葉って、違うと思うんですね。受け取る面が違う。私もまだまだ未熟者ですが、だからこそ青少年たちのきっかけを作れればいいなと。

藤木 同世代の人や、年の近い人たちの力になりたいというところに戻る気がしますね。自分を頼ってくれる人とか、自分が力になれる人の手伝いをしたい。ご自分が音楽に影響されたから、音楽の力を信じていて、音楽を通じてやりたい、ということですね。

藤木 南米全体から来ているその子どもたちは、最初は楽器にどうやって出逢うんだろうか。

田中 アルゼンチン青少年オーケストラのメンバーは、必ずしも貧困層の子どもたちだけではないんですよ。普通の家庭の子もいれば、比較的裕福な子たちもいる。でも演奏している間はどこの出身も関係なく、フラットな世界。音楽だけをみんな集中してやります。

ブエノスアイレスって面白いところで、イタリア移民がほとんどなので、古き良きヨーロッパという感じで、クラシックがすごく根付いていて、南米のウィーンと言われているくらい音楽が盛ん。貧困層でも市民グループがありますし、ボロボロですけど、酒場などに楽器があるんですね。そういう楽器で自分で練習して、このオーケストラに入るためにオーディションを受けにくるようです。

藤木 青少年というと、だいたいどれくらいの世代なんですか?

田中 一番小さい子が13歳、上が26歳まで。26歳を超えると卒業します。

藤木 そのくらい皆さんの事情を知っているということは、かなりの交流があったかと思うんですが、それは演奏会での出逢いですか?

田中 そうですね。彼らと交流を持ったのは、演奏会。

藤木 みんな、彩子さんが提案してくれて喜んでいるんじゃないですか?

田中 このプロジェクトを始める前にたまたま聞いたんですよ、日本に興味ある? って。大概の子が、えー、日本なんてそんな遠い国知らない、みたいな感じ。夢物語みたいな、絶対いけないよ僕たちなんて、って。だから正式にプロジェクトが決まって、じゃあ呼びますってなった際に、伝えるときのことを思うと、ワクワクしますね。

藤木 どういうプランですか? 東京でコンサート?

田中 東京と京都を考えています。スポンサー次第ですね。

藤木 今回のクラウドファンディングの目標を達成できたら、それは一つの実績になって、その後に手を上げてくださる方はたくさんいらっしゃるだろうなと思います。

田中 エル・システマとどう違うのって思われる方がいるかもしれないんですけど、エル・システマを創立したアブレウさんと、アルゼンチン青少年オーケストラを設立した指揮者のベンセクリは友人同士です。エル・システマを作る際に、ベンセクリは、ベネズエラに行って、手助けをしたんですね。同時にアルゼンチン青少年オーケストラも創立したので、ソリストを交換したり、レッスンしたりという兄弟関係です。今ベネズエラ政権が不安定な状況で、エル・システマから何人かアルゼンチン青少年のほうに来ていたりしています。

Q7. SNSでの人気も大きく、またクラウドファンディングも活用して目標を達成する努力を自らなさる田中さんですが、今後クラシック音楽を聴き、応援してくれる人を増やすために、われわれ世代の音楽家が現代にどう活動していけばよいか、ディスカッションをしてみたいです。

藤木 今SNSは何をメインに使っていますか?

田中 インスタですね。12000人くらいフォロワーがいます。

藤木 彩子さんの動向を見ている方がたくさんいらっしゃいます。クラウドファンディングも、アーティストご本人で主催される方って、たぶんあまりいないと思うんですよね。今後クラシック音楽のファンを増やすために、若い世代の音楽家が、デジタルを有効活用するためにはどうしたらいいと思いますか?

田中 SNSって不思議で、住みわけがあると思うんです。インスタは、比較的私たち世代、20代30代が多い。写真をきれいに加工して出すというちょっとした芸術的感性を必要とするものなので、比較的アートに対して興味をもつ人が多いのかもしれません。文章というインフォメーションよりも、舞台写真とか美しい写真、目から入る情報を載せると反応が良いです。

Facebookはどちらかというと、もうちょっと上の世代の方が多いイメージで、なるべく多く文章情報が知りたいという方たちが見る印象があって、基本的にはこの2つを使っています。Twitterは、ばーっと頻繁に情報を流したりシェアして読んで頂く用に使っていて広まりやすい。Twitterはシェアがしやすいので、オールマイティですね。

藤木 幅広い世代にアプローチするということですね。最終的に会場まで来てもらうためには、情報が拡散される(知る)だけでは足りなくて、その先のアクション(買う)にも誘導することが必要だと思うんですよね。たとえばチケット売り場に電話をかけてもらいやすくするとか。

そのあと一歩は、何が後押しすると思いますか?

田中 日本のチケット、買うのハードルが高いね。いっぱい道があるっていうか。少し難しくないですか?

藤木 逆に買い方が多いっていうことは、入り口を増やすことにはなるかなと思います。自分に合った方法。インターネットがない場合、コンビニが近くにない場合もあるだろうし。プレイガイドで現金で紙のチケットを買いたいと思う人もいる。

田中 楽しそうだから行ってみたいんだけど、チケットってどう取るんですかって訊かれること、結構多いです。

藤木 ホームページに行くというのが一番わかりやすいのかもしれないけど、例えば自分が行ったことがない、ラグビーのワールドカップのチケットをどうやってとるんだろうって、確かに思いますね。

田中 本当にはじめて行く人は躊躇うところなのかもしれません。藤木さんがおっしゃったみたいに、こことここで買えるよ、みたいにお伝えできるといいのかなと思いますね。

藤木 チケットの値段の想像もしづらいのかもね。B席1000円からあるのに、そんなに安いと思っていない人が、最初から買うことをあきらめるとか。学生券の値段も、こんなに安いよ! ってことを教えてあげると、行ってみようというモチベーションになるのかもしれない。

田中 ネット社会ですから、若い世代の人たちはとにかく面倒くさがりだと思うんですよ。電話しなきゃいけないとなると、面倒くさい、いいやーとなりやすいかな。SNSで、「ここですよ」ってリンクを押したら買える状態にしてあげる。

藤木 僕は1年くらい前に自主公演をやったときに、自分のSNSのメッセージ欄をオープンにして、ダイレクトメッセージでお名前と枚数だけ送ってくださったら、当日精算で手配しておきますので受付で受け取ってくださいっていうことにしたことがあります。直接知らない方がほとんどだし、本名を言いたくない方もいらっしゃるから、実際に来てくださるかの保証はなかったのだけれど、全員来てくださいました。その時は性善説を信じました。

Q8. 突然ですが、田中彩子的恋愛観とか、結婚観とか、もしよかったら教えてください。

藤木 どんな方が好みですか? 見かけがワイルドとか。あるいは見かけは草食系だけど心が強いとか。

田中 あんまり気にしたことないですね。

藤木 好きになった人が好き?

田中 そういうタイプであるとは思います。やるって言ったらやる人のほうがいいですね。言ったことに責任をもてる人。見た目よりもそういうところを大事にします。

藤木 外国にいらっしゃることが多いと思うんですけど、国籍問わずですか?

田中 それは問わず。関係なくですね。

藤木 僕も有言実行できるようにがんばります(笑)。

Q9. 藤木大地は昨年第九で初共演させていただき、今年12/23に京都で田中さんのプロデュース公演に出演させていただきます。とても楽しみにしていますが、今後藤木と継続的にやってみたいことはありますか?

藤木 出逢いは、名古屋で行なわれた第九のコンサート。そこで田中さんが第九のソプラノを歌ったときに、僕はアルトで横で歌わせていただいた。そのときウィーン在住で、田中彩子さんという方がいるのは知っていました。

今年12月23日に、京都で田中彩子プロデュース第1回公演に出演させていただくのをとても楽しみにしています。そのほかに今後一緒にやっていきたいことはありますか。

田中 この12月のコンサートは、珍しいこと、新しいことをしくて始めたもの。音楽家だけじゃなくて、各分野の専門を呼びたいんです。藤木さんがこの連載でインタビューされているような感じの舞台版というか。例えば脳科学と音楽とか、能とクラシックとか。

カウンターテナーっていうのは、神秘的でものすごくレア。まさに天使の歌声というか、この世のものじゃない種類の歌声だと思うんですよ。

田中 今後ますますマニアックなことを個人的にはしていきたいなと思っていて、できればアカペラで、ひたすら声と声の融合というか、特殊な声同士がもっともっと絡んだらどのような音色に変わるんだろうとか。既存の曲だけじゃなくて、新曲もしてみたいですし、よりカウンターテナーの声をいかせるような。そこにコロラトゥーラが交わることで、マニアックなものになるんじゃないのかとか、そういうことをできたら嬉しいなと考えています。

12月23日に京都で開催される、田中彩子さん×藤木大地さんのスペシャルコンサート

藤木 僕は全然自分のことを特殊だと思っていなくて。

田中 特殊でしょう! 見た目は男性で、声は天上の声みたいなものが出たらお客さんはびっくりするんじゃないですか? 「あれまあー」みたいな。

藤木 大分みんな慣れてきましたよ(笑)。

田中 それは固定のお客さんでしょう?(笑) 新しいお客さんは、あれまあってなると思うし、そのあれまってなってる後ろでぴろぴろーって高い声が聴こえたら。驚きを作りたいですね。あー、歌ねーはいはい、じゃなくて。なんだろ、みたいな。クリエイティブなものをどんどん作っていきたいなと思っています。

藤木 確かにアカペラっていうのは面白いかもしれないね。既存の曲をいろいろ探したんだけど、結構音域が難しいんだよね。

田中 ないんですよね。だってこんな珍しい声……

藤木 ゴリラ対珍獣みたいになってる!

田中 アマゾンの珍獣……(笑)。なので、ないなら作ればいいと思います。そうやって発展していくものですから、ちゃんとした形を残しつつ、クリエイティブなことに挑戦していきたいですね。

Q10. あなたにとって、音楽とは?

田中 記憶があるときには、もうピアノを弾いていて、音楽がそばにあった。それが17歳の進路相談のときに、手が小さいからピアニストにはなれないだろう、音楽の道には進めないのかなと思ったんですよ。

そんなとき歌に出逢った。歌が大好きだから始めたというわけではなく、歌をやらないと自分は音楽の世界にはいれないと思ったから始めたんですね。そういうとすごくネガティブに聞こえるかもしれませんが、それが私にとって、音楽と生きていくための最後の道だった。自分にとって身体の一部だし、音楽がなくなったら自分の存在価値がなくなる。内臓器官というか、そのくらいの感覚ですね。

藤木 なくなっちゃったら。

田中 死んじゃう。

藤木 内臓だもんね。歌手っていうのは筋肉で歌っていて、筋肉ってだんだん衰えてきたり、あるいは変化していくもので、声が今みたいに出なくなっていったりとか、そういうことはいつかあるかもしれないと思うんですけど、歌じゃなくても音楽をやるかもしれない?

田中 そうですね。なんらかの形で音楽に関わっていたいとは思いますし、もし今後自分がリタイアってなったときは、それこそ本格的に若い子たちの支援とかしているかもしれません。

藤木 こんなに全編を通じて「音楽」という言葉が出てきたことはないです。音楽の良さとかっていうと陳腐になってしまうけど、そうじゃなくて、音楽が持ってる力というか、人をつなぐ力とか、そういうものを感じて、それを今の若さで、すでに先につなげてしようとしていて、その姿勢に感銘を受けています。南米のプロジェクトは成功するように見守っています。きっとみんなが応援していると思います。これからもがんばってください。ありがとうございました。

対談を終えて

話し声も高いその方は、「ほら、こんな人いるでしょ!? 名前なんだっけ??」と身振り手振りで立体感ある髪型を表現した。その場に居た誰にも伝わらなかった正解は「アインシュタイン」。その世界の偉人の言葉を引いて、「アクションしないとリアクションは起こらないじゃないですか」と夢を語ってくださる声は、高い信念に満ちていた。有言実行。行動力とあたたかい心が、コロラトゥーラの音符のように彼女の人生を軽やかに彩っている。おおきに、彩子さん。

藤木大地

今月の冒険者
田中彩子
今月の冒険者
田中彩子 ソプラノ歌手(ハイコロラトゥーラ)

3歳からピアノを学ぶ。18歳で単身ウィーンに留学。わずか4年後の22歳のとき、スイス ベルン州立歌劇場にて、同劇場日本人初、且つ最年少でソリスト・デビューを飾る。ウィ...

藤木大地
藤木大地 カウンターテナー

2017年4月、オペラの殿堂・ウィーン国立歌劇場に鮮烈にデビュー。 アリベルト・ライマンがウィーン国立歌劇場のために作曲し、2010年に世界初演された『メデア』ヘロル...

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