ヨハネス・フライシュマン、コルンゴルトとツァイスルのハリウッド移住と傑作を語る
見て聴いて、心華やぐ出会い。ONTOMO編集部員Mが出会った至福の瞬間をお届けします。
第1回は、ヴァイオリニストのヨハネス・フライシュマンに新譜『EXODUS(移住)』についてメールインタビュー! コルンゴルトとエーリッヒ・ツァイスルという2人のオーストリア人作曲家について、歴史的背景や魅力を語ってもらいました。幼少期のエピソードや映画好きな一面も垣間見られ、目がハートになっちゃいます。
フランス文学科卒業後、大学院で19世紀フランスにおける音楽と文学の相関関係に着目して研究を進める。専門はベルリオーズ。幼い頃から楽器演奏(ヴァイオリン、ピアノ、パイプ...
ウィーン出身のヴァイオリニストで、シンフォニアクスのメンバーとしても活躍中のヨハネス・フライシュマンさん。シンフォニアクスでのかっこよさとはまた一味違った、すてきな新譜に出会いました!
2021年3月19日に発売された『EXODUS(移住)』では、エーリッヒ・コルンゴルト(1897〜1957)とエーリッヒ・ツァイスル(1905〜1959)のヴァイオリン・ソナタを取り上げています。どちらもウィーンで活躍したのち、アメリカに亡命した作曲家です。
日本が大好きだけど来ることが叶わないというフライシュマンさんが、このアルバムへのこだわりや2人の作曲家について、ご自身の近況も含めてたっぷり語ってくださいました!
ウィーンの音楽一家に生まれて、ウィーン国立音楽大学を卒業。2009年5月、ウイーン・コンチェルトハウスでブラームス「ヴァイオリン協奏曲」でソロデビューを果たし、一躍脚光を浴びる。ウィーン・フィルを始めとする、さまざまなオーケストラに定期的に客演し、多くの巨匠指揮者と共演。オーストリア外務省より音楽大使に任命され、20回近く来日経験がある。
©Tommaso Tuzj
ツァイスルの忘れられた傑作を、親友コルンゴルトの作品とともに
——タイトルの「Exodus」は、もともと旧約聖書の出エジプト記のことで、モーセに率いられてイスラエル人が約束の地・カナーンを目指してエジプトを脱出した「大移動」を意味します。今回は、コルンゴルトとツァイスルという2人の作曲家の亡命を表していると思いますが、どうしてこの「移住」を取り上げようと思ったのですか?
フライシュマン 2人の作曲家の「Exodus」をめぐる悲劇に満ちた境遇が、彼らの音楽活動の発展に決定的な影響を与えたからです。ツァイスルの娘、バルバラ・ツァイスル=シェーンベルクが語っていたのですが、「Exodus」、つまり安全な避難場所(彼らの場合はカルフォルニアとロサンゼルスだったわけですが)へのフライトなくしては、ツァイスルは生き残ることさえできなかったのです。
コルンゴルトは、ツァイスルよりかなり早く、1934年にハリウッド入りしました。この頃、彼はアカデミー賞を2度受賞し、すでにハリウッドで映画音楽の作曲家としてのキャリアを積んでいました。1938年、彼はロサンゼルスに永住することを決めます。
ツァイスルは、1938年11月に起きたユダヤ人迫害を機に、ウィーンからパリへと逃れました。そこでは、マックス・ラインハルト・アンサンブルからの依頼で、ヨーゼフ・ロートの小説『ヨブ』の舞台のために作曲しました。この作品をきっかけに、彼は自身のユダヤ人のルーツについて考えるようになり、彼の新しい音楽家人生の幕開けとなりました。
私自身、ウィーン出身の音楽家として、ナチスによって多くの素晴らしい芸術家が失われたことに、ひどく胸が痛みます。命を落とした人もいれば、「Exodus」によって助かった人もいました。
ヨハネス・フライシュマン『EXODUS(移住)』
——今回のアルバムで特にこだわったところは?
フライシュマン ツァイスルとコルンゴルトという組み合わせです。まず、“忘れられた傑作”ともいえるツァイスルのヴァイオリン・ソナタ《ブランダイス》を、世に広めるべき時期がきたと思いました。ツァイスルは、とても才能あるオーストリア人の作曲家ですが、生きているあいだには、相応の成功を手にすることができなかったのです。キャリア的に大きな成功をつかもうとすると、人生の転換期が訪れ、道が絶たれてしまいました。
ツァイスルにとっては、ロサンゼルスに移ってからのコルンゴルトとの友情も、大きなモチベーションになりました。コルンゴルトはツァイスルよりもはるかに成功した作曲家といえるので、古き友人ツァイスルの作品を、新しい録音で再発見してもらうのに、ぴったりな組み合わせだと思ったんです。
神童として知られ、9歳で作曲したカンタータがマーラーに絶賛され、12歳で作曲したピアノ・ソナタがリヒャルト・シュトラウスを驚嘆させた。
16〜18歳で書いたオペラが成功し、オペラ作曲家としての地位を確立。
1934年にハリウッドに移り、1936年に『風雲児アドヴァーズ』で、1938年に『ロビンフッドの冒険』でアカデミー賞を獲得。ハリウッドの映画音楽の基礎を築いた。
ウィーンで生まれ、14歳でウィーン音楽院に入学。同年、歌曲が初めて出版される。
1934年に作曲したレクイエムがオーストリア国家賞を受賞したが、ユダヤ人であるために活動に支障をきたし、1938年にパリに移り、次いでニューヨークに亡命。
ハリウッドで映画音楽の作曲を行なうようになり、『名犬ラッシー 家路』(1943年)や『凸凹透明人間』(1951年)などの音楽を手掛けた。
2人の作曲家を深堀! フライシュマン流楽しみ方
——ツァイスルは、クラシック音楽の愛好家にもあまりなじみのない作曲家かもしれません。彼の魅力や楽しみ方を教えてください。
フライシュマン 質の良い音楽の美しさの骨頂は、聴けば聴くほど豊かになることだと思います。音楽を目一杯楽しむには、それだけ注力しなければなりません。それから、作曲家の背景を少し知ることで、その作品を作曲していたときにどのような気持ちでいたのか、感じることができます。
例えば、「ブランダイス・ソナタ」の第2楽章は、「アンダンテ・レリジオーソ(宗教的な)」、もしくは「ヘブライ風のアンダンテ」と呼ばれ、神様との対話とされています。ツァイスルのお父さんは、1942年にトレブリンカ強制収容所(註:ポーランドにあるナチス・ドイツの収容所で、73万人以上のユダヤ人が殺害された)で命を落としました。この楽章には、ツァイスルのお父さんのつらい記憶や感情がたくさん込められているのです。
『EXODUS』よりツァイスル:ヴァイオリン・ソナタ《ブランダイス》第2楽章
反対に、第3楽章はウィーンの伝統的なロンドとユダヤのモチーフで彩られたお祝いの音楽です。私にとっては、希望や明るい未来のように感じられます。
『EXODUS』よりツァイスル:ヴァイオリン・ソナタ《ブランダイス》第3楽章
コルンゴルトのソナタでは、作曲家が自分自身を引用していることにも注目すべきでしょう。第2楽章のトリオには、1911年に作曲した「4つの小さな楽しいワルツ第2番《マルギト》」のテーマが用いられています。そして、「待雪草」という歌曲が、第3楽章のテーマとして登場します。CDにはどちらも収録しました。
『EXODUS』よりコルンゴルト:4つの小さな楽しいワルツ~マルギト、待雪草
——収録曲以外で、コルンゴルトとツァイスルの音楽を知るのにおすすめの作品はありますか?
フライシュマン コルンゴルトの室内楽曲はとてもユニークで、弦楽六重奏やピアノ四重奏曲が特におすすめです。オペラもいいですね。彼は、ウィーンの音楽文化を敬愛していたので、《こうもり》を彼流にアレンジしています。
コルンゴルト:弦楽六重奏曲、ピアノ四重奏曲
ヨハン・シュトラウス2世(コルンゴルト編曲):《こうもり》序曲
フライシュマン ツァイスルは1930年代、もっとも有望なリート(ドイツ歌曲)の作曲家の一人として活躍しました。ところが、アメリカに移ってからは、彼は二度とリートを作曲しなかったのです。彼の作品で重要なものとしては、1945年に初演された《ヘブライ・レクイエム》がおすすめです。オーケストラ作品では、バレエ組曲《瓶の中の道化師》が好きです。
ツァイスル:《ヘブライ・レクイエム》
森で遊び、映画音楽に魅せられた少年時代
——コルンゴルトは神童で、12〜13歳で作曲した作品がリヒャルト・シュトラウスやマーラーに絶賛されたと言われていますね。フライシュマンさんは、どんな子どもでしたか?
フライシュマン 好奇心旺盛な子どもでした。ウィーンの森からほど近い場所で育ったので、一日中外で過ごして自然と触れ合うのが大好きでした。子どもの頃のこういう自由な経験は、音楽活動に大きな影響を与えたと思うし、今でも物事のとらえ方に影響しているように感じます。
両親ともに音楽家でしたし、音楽は常に私の人生に欠かせないものでした。初めてオペラを観たのは3歳のとき。ブレゲンツ音楽祭で《魔笛》を鑑賞しました。
父は私にチェロを弾いてほしかったそうで、「ヨハネス、この人が君の先生だ!」と言って友人のチェリストを紹介してきたんだけど、それに対して「でも僕はヴァイオリンが弾きたい!」と言って聞かなかったそうです。
——ブックレットには、子どものころにハリウッド映画に魅せられたと書いてありましたが、お気に入りの映画を教えてください。また、音楽的に影響を受けた映画はありますか?
フライシュマン 子どもの頃は『スター・ウォーズ』が大好きで、どうして『スター・ウォーズ』の音楽にはクラシック音楽の響きがあるのだろうと思っていました。リヒャルト・シュトラウスやマーラー、ブルックナーなどに通じるものがあるように聴こえたんです。
『スターウォーズ』のメインタイトル
フライシュマン コルンゴルトは1980〜90年代に再評価されたので、子ども時代に重要な影響を受けたというわけではないと思います。『嵐の青春』、特に『ロビンフッドの冒険』や『シー・ホーク』が好きで、コルンゴルトの音楽を聴いたときの印象は、まだ鮮明に記憶に刻まれています。
コルンゴルトが音楽を手掛けた映画『ロビンフッドの冒険』、『シー・ホーク』サウンドトラック
フライシュマン 10代の頃に、スティーブン・スピルバーグがジョン・ウィリアムスに『ジョーズ』の音楽を依頼した際に、「コルンゴルトのようなスタイルで」と注文したことを知りました。コルンゴルトに興味をもつきっかけになりました。
コロナ禍でも前向きに! 大好きな日本に再訪できる日を待ち望んで
——「Exodus」といえば、昨年は思うように移動ができない年でしたね。パンデミックが始まって1年経ちますが、どのように過ごしてきましたか?
フライシュマン そうですね、昨年は多くの人が大変な思いをしたと思いますが、特に移動をしなければならないアーティストにとっては困難な年でした。海外での演奏活動もたくさん行なってきたので、突然、仕事の大部分がなくなってしまいました。もちろん経済的にも。
それでも、世界中の人々が直面しているこの異例な状況で、良い面を見出そうとも努めました。レパートリーを増やしましたし、新たなプロジェクトを立ち上げ、将来の目標もいくつか立てました。ウィーンで主催している2つのコンサートシリーズの予定を再調整するのも大変でした。
10月からは、ウィーン国立音楽大学のエリザベス・クロップフィッツシュのクラスで准教授として教鞭をとっています。
——最後に、日本の読者にメッセージをお願いします。
フライシュマン 日本が大好きなので、また行ける日が来るのを待ちきれません。2019年だけで日本に6回行きましたし、日本の文化やお客さんたち、美味しい食べ物がとても恋しいです。友人もたくさんいます。日本は、インスピレーションを与えてくれる場所であり、落ち着く場所でもあります。
日本の皆さんにも、ぜひ2人の素晴らしい作曲家の音楽を聴いてもらい、彼らの音楽の世界に入り込んでみてもらいたいです。ブックレットには日本語訳も載っているので、こちらもぜひ読んでみてください。コルンゴルトとツァイスルの子どもたちによるエッセイには、彼らの境遇や生涯について書かれています。
日本の皆さんに再会できる日を楽しみにしています。
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