インタビュー
2019.04.22
作曲家 マックス・リヒター × クラシカルDJ Aoi Mizuno 対談

ポストクラシカル最重要人物、マックス・リヒターが、ジャンルの壁を超えて投げかける音楽

「ポストクラシカル」という言葉の産みの親でもある作曲家、マックス・リヒターが、15年ぶりの来日を果たした。
「複雑で難解な音楽は、リスナーが入り込む余地がない、あるいは理解できない」と語る彼の音楽は耳に心地良く、いわゆる「現代音楽」という言葉から連想される難解さはない。
「クラシックを広めたい」という想いを軸に活動するクラシカルDJ、Aoi Mizunoが、マックス・リヒターの来日スケジュールの合間を縫ってお話を伺った。

取材・文
水野蒼生
取材・文
水野蒼生 指揮者・クラシカルDJ

2018年にクラシカルDJとして名門レーベル、ドイツ・グラモフォンからクラシック音楽界史上初のクラシック・ミックスアルバム「MILLENNIALS-We Will C...

写真:各務あゆみ

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「ポストクラシカル界最重要人物」マックス・リヒター、15年ぶりの来日

マックス・リヒター。
クラシックやポストクラシカルに馴染みがなくても、彼の名前を知っている人はきっと多くいるだろう。
そして「マックス・リヒター」という名前に馴染みがなくても、彼の音楽を聴いたことがある人はさらに多いはずだ。

21世紀に入って音楽のまったく新しいジャンルを生み出し、そのジャンルに「ポストクラシカル」という名前を与え、今もなお音楽の定義を拡大し続ける偉大な作曲家。
彼を一言で説明すると、それは大仰で荘厳になってしまうが、実際のところ、彼の音楽は僕たちの日常の中にさりげなく、知らず知らずのうちに潜んでいる。SpotifyやApple Musicにある大量のプレイリストの中、そして多くの映画の中に。特に有名なのは2017年に公開された『メッセージ』内で効果的に使用された《On The Nature Of Daylight》だろう。

そんな「ポストクラシカル界最重要人物」マックス・リヒターが3月上旬に15年ぶりの来日を果たした。すみだトリフォニーホールでの3公演と、渋谷TRUNK(HOTEL)で行なわれたショーケースの合計4公演(しかもすべて違うプログラム!)の大ボリュームで、ファンにとっては歓喜の嵐のような1週間だった。
すみだトリフォニーでの3公演を目撃し、TRUNKのショーケースの前後ではクラシカルDJとしてDJプレイをさせてもらい、そしてマックスリヒターご本人と対談する機会までいただいた。

僕自身、クラシカルDJとしてクラシックのミックスアルバムを作る上で、ヴィヴァルディの四季をリメイクした彼の衝撃作《リコンポーズド・ヴィヴァルディ》の影響は計り知れないし、眠るための音楽として発表された8時間の大作《SLEEP》など、音楽のあり方をどんどんアップデートさせていく彼の姿に常に憧れていた。そんな憧れのスーパースターの来日に、ここまで密に携われるだなんてまさに夢のような時間だった。

インタビューは来日公演2日目、彼の処女作《メモリーハウス》を聴いた翌日の午後に行なわれた。マックスはとても気さくで穏やかな雰囲気で、どこの馬の骨だかもわからないクラシカルDJなんていかがわしい肩書きを名乗る金髪の若造の質問にも、真摯に答えてくれた。

インタビューは公演日程の最中、すみだトリフォニーホールの一室にて行なわれた。

ポストクラシカル最重要人物マックスリヒター × 史上初のクラシカルDJ Aoi Mizuno 特別対談

Aoi 今日はお時間を取っていただきありがとうございます。「リコンポーズド・ヴィヴァルディ」と「メモリーハウス」の2公演を観ましたが、どちらも僕にとって衝撃的な体験になりました。音源で聴くのとはまるで違った印象で、ライブで観て初めて作品の全貌が見えたような気がします。

いきなりですが、ちょっと変わった質問です。ストリーミング文化の発達により、いま音楽の聴かれ方は大きく変わってきていると思います。マックスさんの音楽は世界中でさまざまな聴かれ方をしていますが、音楽の在りようの変化についてはどう思われていますか?

Max とても興味深いね。
ストリーミングは文化的な壁を取っ払ってくれたと思う。
「クラシックを楽しむのは専門的な知識がないといけない」みたいな壁をね。本来、人はジャンルのカテゴライズで音楽を聴くのではなくて、本当に好きなものや情熱を感じるものに心を奪われるんだ。今のストリーミングは、ジャンルの垣根を超えて好きなものを自由にフォローして聴くことができる。それはとても良いことだと思っているよ。

マックス・リヒター
1966年3月22日ドイツ・ハーメルンに生まれ、イングランド・ベッドフォードで育つ。エディンバラ大学と英国王立音楽院でピアノと作曲を学んだ後、フィレンツェでルチアーノ・ベリオに作曲を師事。2002年、オーケストラとエレクトロニクスのための『メモリーハウス』でソロ・アルバム・デビューを果たす。

Aoi ストリーミング上では、音楽はアルバム単位というより楽曲単位で聴かれることが多いと思います。マックスさんの音楽はアルバム単位で「作品」で、その中の楽曲は作品を構成する要素のように感じますが、楽曲単位で聴かれることに対してはどう思いますか?

Max アルバムこそが私の作品。だからこそアルバムの構成は私にとってとても重要なことで、いつも多くの時間をかけているよ。でも一方で、リスナーがそれぞれの思いを反映させて楽曲単位で聴いていることは、とても面白いと感じる。私はアルバムの中でメッセージを提示しているわけだけど、リスナーの受け取り方はさまざまだ。意に反した受け取られ方をしても、逆に「そういう捉え方もあるのか」と私自身が再解釈することもできて、それはいつもとても興味深いね。

Aoi さまざまな聴かれ方を容認されているのですね。

Max 私自身、あまり規則やルールを愛するタイプの人間じゃないんだ(笑)。それよりも人間の自然な反応を大事にしたいと思っている。ストリーミングはそれを可能にしてくれる面白さを持っている。

300年前の音楽に新たな光を当てる、ヴィヴァルディの《四季》のリコンポーズド

Aoi なるほど。ではここで《リコンポーズド・ヴィヴァルディ》について聞かせてください。コンサートではまず前半のオリジナルの《四季》に衝撃を受けました。こんなにもコンテンポラリーな作品なのか! と。およそ300年前の作品ですよね。
どのような意図でこの作品を選び、リコンポーズしようと思ったのですか?

Max ヴィヴァルディの《四季》はもともと子どもの頃に聴いて大好きになった作品なんだ。でも大人になるにつれて、街中や広告、そこら中でこの曲を耳にするようになって、それがあまりにも多すぎて、一時期はこの曲を嫌いになってしまったこともあった。それでもやっぱりもう一度この曲を好きになりたい、個人的にこの曲を愛したい。そんなパーソナルな思いから始まったプロジェクトだったんだ。別のやり方で新しい発見を求めて、このリコンポーズド・ヴィヴァルディを作ったんだ。

Aoi 僕も今回、マックスさんのリコンポーズドのおかげで、ヴィヴァルディの《四季》の面白さを再認識して新鮮に楽しむことができました。僕はクラシカルDJとして、さまざまなクラシックの楽曲をMIXして新しい表現の可能性を模索していますが、そこにはいつもオリジナルへのリスペクトと変革の間で葛藤があります。マックスさんもリコンポーズする上できっとそんな葛藤もあったと思いますが、どうやってそれを乗り越えましたか?

Aoi Mizuno
指揮者、クラシカルDJとして活動。2018年9月、音楽史上初のクラシックミックスアルバム「MILLENNIALS -We Will Classic You-」をドイツ・グラモフォン(ユニバーサルミュージック)からリリース。

Max そうだね。いろんな意味でこの作品はビッグチャレンジだったと思うよ。私も暴力的にオリジナルの文脈を崩してはいけないという気持ちが強くあった。でもヴィヴァルディの四季と自分の語法には「パターンミュージック」という共通点があったんだ。一つのモチーフを繰り返しながら展開していく音楽のスタイルは、遠からず近からず私のやり方と共通していた。その視点からリコンポーズすることで、ヴィヴァルディを最大限リスペクトしながらも作ることができたよ。

作曲家は常にイノベーターである

Aoi 共通点を見つけるっていうのは面白いですね! 勉強になります。
ここで昨晩のプログラム、メモリーハウスについてお聞きしたいのですが、この作品、1stアルバムなんですよね? とても信じられません。あまりにも完成されすぎている。これを発表したとき、あなたはまだポストクラシカルという言葉もジャンルも生み出してはいなかったのに、この作品がすでに「ポストクラシカルとはなんなのか」、それを完璧に語っていると思ったのです。この作品を作る上で、どんなところからインスピレーションを得たのですか?

Max 私は子どもの頃からクラシックを学んできたけれど、同時にさまざまな音楽を聴いていたんだ。エレクトロやロック、そしてパンク、とかね。そのあと大学で専門的なクラシックの勉強をしているときも、他のジャンルとクラシックの間には大きな壁があると常に感じていたんだ。その架け橋になりたい、ハイブリッドな存在になりたい。そう思って模索をしていた。

確かにいま私がやっているのはクラシックのようにちゃんと楽譜があるものだ。でもその中でエレクトロニクスを使ったりと、常にクリエイティブな思考で、フレキシブルに作品を作れていると思う。

Aoi そうですよね、今はすでに21世紀です。僕もよく思うのですが、もしクラシックの作曲家たちがこの時代に生きていたら、確実に現代のテクノロジーでもあるエレクトロニクスを使っていましたよね。彼ら作曲家は常に時代のイノベーターであったわけで。

Max まさにその通りだ。作曲家はいついかなる時代でも常に新しい模索をしている。19世紀に入ってたくさんの新しい楽器が開発されるや否や、作曲家たちはこぞってそれらを自分の作品に取り入れ、オーケストラの中に投入したわけだしね。ピアノの鍵盤だって同じだろう? ベートーヴェンが今も生き続けていたらピアノも88鍵には収まらなかっただろうね(笑)。

Aoi わかります。もしかしたら鍵盤だけで3mくらいになっちゃってるかも(笑)。

Max そうそう、そういうことなんだよ。だから私がやっていることはむしろ自然な流れだと思うよ。

Aoi 本当に心の底から同意見です。《メモリーハウス》を作曲されたとき、あなたはポストクラシカルという言葉は使わなかった。でもあなたは言葉を作り、それがジャンルとして確立された。その経緯を教えてくれますか?

Max ポストクラシカルという言葉を生んだのはちょうど私が2作目、《ブルーノートブック》を書いたときだね。そのときからたくさんの人がこぞって「この音楽はなんてジャンルなんだ?」と聞いてくるようになったんだ。クラシックなのか? エレクトロニカなのか? という風に。当時の私には答えようがなかったんだ。本当に新しいものだったからね。でも自分の作品を説明するための言葉がやっぱり必要だと感じたんだ。たとえ言葉が真意を指していなくてもね。最初は冗談めいたアイデアだったけれど、そこで生まれた言葉が「ポストクラシカル」だったんだ。

Aoi 最初に言葉ありき。まさに映画『メッセージ』にも共通する文脈ですよね。あなたが言葉を作らなかったら、もしかしたら今「ポストクラシカル」と呼ばれるアーティストはこんなにも多く存在しなかったかもしれませんね。

Aoi もうひとつ、昨日のコンサートでとても驚いたことがありました。《メモリーハウス》の前、コンサートの前半でオーケストラはR.シュトラウスの交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》を演奏しましたが、なぜメモリーハウスとこの曲をカップリングさせたのですか?

Max ああ、それはいい質問だね! 最初は指揮者のクリスティアンから提案があったんだ。いいアイデアだと思ったよ。ツァラトゥストラは思想に基づく作品で、ニーチェはまさに根本的な人間の営みを模索した人物だ。そういった視点で《メモリーハウス》とカップリングすることは親和性もあり、とても面白いと考えたんだ。

Aoi ツァラトゥストラは外に向けられた音楽、メモリーハウスは内に向けられた音楽と感じて、そのコントラストがとても面白かったです。

Max そうだね、まさにその通りで面白いアイデアだったと思うよ。

Aoi 前半の《ツァラトゥストラ》では、ステージ上から伝わる情報を僕ら聴衆が享受する、一方でマックスさんの《メモリーハウス》では音楽の中に自己が介在している感覚になりました。音楽を通して伝わるマックスさんの原風景を旅しながら、自己との対話をする。そんな未経験の体験をしました。

Max そう、それは自分にとってとても大事なことなんだ。
作曲家の世界には、いつも暗黙のルールが存在している。「複雑で難解な音楽はいい音楽である、そしてシンプルな音楽は悪い音楽だ、だから作曲家は皆複雑な作品をつくるべきだ」みたいなね。
でもそこで私が思うのは、音楽の本質はリスナーとの対話であるということなんだ。複雑で難解な音楽は、リスナーが入り込む余地がない、あるいは理解できない。それでは意味がない。誰かと会話をするのと同じだよ、コミュニケーションが取りたければ、相手はあなたの言葉を理解しないと始まらない。そうしなければ一方通行の押し付けになってしまうからね。そのために、私は自分の言葉(音楽)が誰にでも理解できるようにとシンプルに削ぎ落としていったんだ。同じ空間を共有したいんだよ。

クラシック的な考え方では、ある種、力の階層があると思わないかい? 作曲家>演奏者>聴衆、のようにね。私はそれを本当に変えたいと思っている。私は本当の意味でリスナーとフラットな関係でいたいんだよ。リスナーが私の音楽の中に入ってこれるようにってね。

対談を終えて

彼の音楽の構成はいつもいたってシンプルで、誰の耳にも心地よく響く旋律に満ちている。そのため僕らはこれがまったく新しいタイプの音楽であることをしばしば忘れてしまう。しかし集中して聴くと、その音楽の奥深くに自我そのものが吸い込まれる、他では感じたことのない感覚を僕らに与えてくれ、聴き手の気持ちでいかようにも変容する表現の幅広さを持っている。その音楽は僕ら一人一人と同じ空間を共有していて、決して自ら「すごいだろ」とは語らない。そしてまるで水や空気のように、その存在が奇跡であるにも関わらず、そこにあるのが当たり前かのように僕らのすぐ近くにある。

クラシックをもっと広めたい。そんな思いで僕はこれまでさまざまなことをしてきた。そしてこれから先も、どんなに後ろ指を指されようが僕はこれを続けていくだろう。彼の言葉はそんな僕の信念を後押ししてくれた。僕は間違っていないと教えてくれるような優しい眼差しで。マックスリヒターの音楽はきっとこれからも僕らのそばに寄り添い続けるだろう。この先、どんなに革新的な作品をリリースしたとしても、きっとそこには僕らが入り込む空間が用意されているはずだ。

取材・文
水野蒼生
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水野蒼生 指揮者・クラシカルDJ

2018年にクラシカルDJとして名門レーベル、ドイツ・グラモフォンからクラシック音楽界史上初のクラシック・ミックスアルバム「MILLENNIALS-We Will C...

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