分断されゆく世界で、ほんの一瞬、共振すること。サックス奏者、仲野麻紀の音楽が伝えるもの
ジャズを求めて一路パリへ。ウード奏者、ヤン・ピタールとの出逢いから世界が広がっていった。仲野麻紀さんの音楽は実に多彩で魅力的だ。
「どうしたらこんな音楽が生まれるのだろう?」。2018年10月28日にリリースされた本人選曲のベストアルバム『アンソロジーvol.1~月の裏側』を一聴して、彼女の音楽の虜になった。越境する音楽家、仲野麻紀さんにお話を伺った。
ジャズを追い求めてパリへ
――仲野さんの音楽活動のルーツとは?
仲野: 根っこにあるのはやっぱりジャズなんですよ。ずっと聴いてきたという。けれども、武満徹さんの存在がすごく大きくて、例えば今回リリースしたアルバムにも歌が入ってるんですが、なんで歌っているかというと、きっかけは武満徹さんが亡くなる1年くらい前に作ったアルバム「翼-武満徹ポップソング-」の中に収録されていた《ラ・ネージュ(雪という意味)》、あれを聴いて「ああ、歌ってみたいな」と思いました。
もちろん武満徹さんのハード面というか、現代音楽や映画音楽もよだれが出るくらい(笑)好きです。
音楽をやるうえで「何でもやっていいんだ」というのは、彼から影響を受けているかもしれません。
――ジャンルは意識していらっしゃいますか? 自分はジャズをやっているとか、こういう音楽をやっている、というような。
仲野: 面白いことに、(ジャズに)しがみついていたいなと思ってたんですけど、ヤンさん(ヤン・ピタール。ウード奏者。Kyというユニットで仲野さんと一緒に活動している)と演奏し始めた頃から、むしろそこから出るのが楽しいというか、どんどん広がっていくというか、こだわりがなくなってきました。
――ヤンさんとの出逢いは?
仲野: パリ市立音楽院からなんですが、そのときは一緒には演奏していないんです。編曲のクラスで同じだったんですが、別に話すわけでもなく、どこかのジャムセッションで一緒に演奏して、そのとき使っていた彼の楽器がウード(アラブ音楽文化圏の楽器。リュートのような形をしている)でした。ああ、ウードと一緒にサックスやると楽しいかな、とそこから始まりました。そのあとにアラブ音楽を聴くようになりました。楽器に導かれたという感じですね。
▲今回リリースされた『アンソロジーvol.1-月の裏側-』にも収録されている《üsküdara》(Ky)
――音楽院の外の音楽に接する機会はあったのでしょうか。
仲野: たくさんありますね。
日本の大学時代にジャズ研にいたっていうのもあると思うんですけど、それ以外の音楽に接する機会もあまりなかったし、自分の意識の中にも、とにかくジャズを追い求めて、ECMが一番だみたいな(笑)感覚でいました。パリに行ってから、例えばメトロでアフリカ人やロマの人たちが演奏していたりだとか、トルコ人街ではトルコの人がやっていたりだとか……生活の中で接する音楽っていうのから、ああ、こういう異なる人たちもいて、異なる生活があって、その生活の中に必ず食べることと音楽がある。私は「これが生きることなんだ」というふうに感じています。
――ところで、なぜパリだったんでしょうか?
仲野: ヨーロッパジャズにすごく興味があったんですけど、昔のことを思い出すと、小学校1年生か2年生のときに、どうやらパリっていう場所に行くんだろうなってイメージがすでにありました。
――行くだろうなっていう予感はありつつも、特に何か働きかけていたわけではなく?
仲野: まったく。 第一わたしフランスに興味は全くありませんでしたから(笑)。むしろ嫌悪感を覚えていました。もう癪に障るっていうか、パリの左岸でカフェ飲んで、ストライプのなんか着て、ベレー帽かぶって、いわゆる「おフランス」というものに対して、はあ? みたいな、アホらしーって感じがして(笑)。
2001年に3か月間行き、その年シラク大統領が核実験を再開すると宣言しました。翌年2002年にビザを取得し入国するのですが、考えられないこの国、やりたい放題じゃんって。今でもすごく武器を輸出しているじゃないですか。移民がどうのこうのと排斥の傾向にあり、とフランスの悪口を言いつつ只今現在その国に住んでいる自分がいるのですが。色々お国事情っていうのはあって、そういう中で私たちは生きていかなければいけないので。日本には日本の政治の問題があるし、それはどこに住んでも同じだと思うんですね。
武満とサティをつなぐ、文化人類学
――ジャズを追い求めるところから始まって、今はボーダーレスな音楽活動をしていらっしゃいます。ONTOMOはクラシックのメディアですが、クラシックに対してはどんな印象を抱いていますか?
仲野: フランスでサックスっていうとジャズとクラシックなんですが、クラシックのクオリティの高さには本当にびっくりしました。こんな世界があるのかと。私みたいな現場のジャムセッションで叩き上げできて、できたばかりのジャズ科に入りましたみたいな、そういうのとは全然レベルが違うなと(笑)。
クラシックは大好きです。詳しくはないですけれども、やっぱりフランスなので、ドビュッシー、ラヴェルはもちろん、6人組のあたりだとか、フォーレだとか。でも演奏はしないですね。
――サティはよく取り上げていらっしゃいますよね。
サティは、私にとってはクラシックではないというか。彼自身もその中で苦しんでたんじゃないかなって思うんですよ。周りにローマ賞を取ったラヴェルとかいう輩がいて、「俺は取れない、ぎりぎりぎり」みたいな感じで(笑)。だからモンマルトルのキャバレーで演奏しているサティが、私の中では一番です。彼の《グノシエンヌ》などを見ても、エキゾチックなテイストが入っていますよね。
武満さんとサティをつなげちゃいけないんですけど、その間に入るのは文化人類学者の山口昌男さんだと思っているんですよ(笑)。彼らがやっていることっていうのは、生活に根付いた部分、インテリ層が聴くクラシックというよりは、もっと大衆的なところにもアプローチしている。文化人類学の山口さんにしても、アカデミックな世界はちゃんとあるんだけれども、研究対象となっているのは生きている人間。
私も、やっぱり一番演奏していて楽しいのは、どこかのお寺さんだったりとか、30人MAXのカフェだったりします。それはそれで音響的な問題はあるんですけどね。
海外のアーティストを日本に呼ぶという挑戦
――海外のアーティストとの共演、招聘活動も精力的に行なっていらっしゃいます。きっかけは?
仲野: 自分で企画して招聘したというのでは、2010年ですね。ムスタファ・サイードという、エジプトの盲目のウード奏者です。その人を最初に連れてくるのは、勇気のいったことなんですけど、でもこの人の音楽は絶対みんなと共有したかった。
そのあとに、ブルキナファソのBala Deeというバンドのムッサ・ヘマ(バラフォン奏者)と共演したんですが、彼がリーダーを務める、カバコのメンバーを全員連れてくるっていうのは、まあみんなに無謀って言われました(笑)。でも絶対連れてくるからって、3、4年かけてやりました。それがやっぱり大きかったかな。
▼ムッサ・ヘマ率いるカバコ
――それはもう情熱のなせる業というか?
仲野: ねー……。無謀なんですよ(笑)。
呼ぶ前からすでに綺麗なくっきりした青写真があって、みんながそれを聴きながら笑顔になってるっていう、この会場がゆっさゆっさ揺れているのが体感できていたので、これをやるには、こういうことをやってこういうことをやってと……そこにひたむきに走ったという感じでした。
――ビジョンが見えていたんですね。
仲野: そうそう、ビジョンは見えていたんです。ゴールは見えていたんです。打ち上げの場面も見えていました(笑)。
「あなたとわたしは違う」という差異の認識から生まれる共振
――シリアの移民の方ともお付き合いがあるそうですね。ブルターニュですか?
仲野: ブルターニュの800人しかいない村が、ある日シリア人のご家族を迎えることになりました。家族とか女性のほうが優先的にパリ市や国、自治体などから住居を与えられるんですね。あぶれた男性たちは、パリあるいは郊外の路上に住むしかなく。
《ビンテルシャラビーア》という、今回のアルバムにも入っているアラビア語の曲をやるのに、どうしてもネイティブな発音を知りたいなと思いました。友人にアラビア語を話す人は多々いるのですが、せっかくなので、このご家族へのお近づきの記しに、教えてもらったんですよ。
――日本にいると移民の事情やシリアの問題って見えにくいと思うんですが、実感としてどうですか?
仲野: エリアによるんですよね。例えば18区とか19区っていうのはもともと移民の2世3世がいる地域なので、それはそれでいいんですが、例えば16区っていう、日本でいうと田園調布とか成城とか、ああいう高級住宅街の人たちは1分1秒でも早く出ていってほしいという感じです。
もっと日常的なことを言うと、例えばバスに乗っていて、そういう場面は見ますよ。シリア人に限らず、要するにオリジナル(出自)がフランスでない人たち、有色人種、そういう人たちが乗っていると。舌打ちする人とかいますからね。で「まったく、フランスに来て」みたいな、わあーこういうこと言うんだって。そうするとアフリカのおばちゃんたちも「はあ?」みたいに返して、うわーすごいこれ、リアル戦争が起こってる、って。
かと思いきや、郊外に出る際のところ、ああいうところで炊き出しのボランティアがあって私も時々参加するんですけど、ボランティアの人たちの温かさには、こういう人たちもいるんだよねと思います。
音楽をやるにしても、2世3世の人とやるときは気を遣うというか、神経を使うというか、デリケートなところはあります。かといってあまり大切にしすぎるのでも丁重に扱いすぎるのでもなく、普通に、ただフランスに今住んでいる同士、同胞みたいな感じで接してはいます。
――今、流行りのように多様性、ダイバーシティと言われていますが、仲野さんが著作でも言っていた、個人の中にある多様性とか、そういったものが音楽を通してオーディエンスに伝わると良いですよね。
仲野: そう思います。
今となっては、「差異」がある、違うということは当たり前のことなんですけど、今私たちが求められているのは、ひとりの個人の中にあるいろんな要素を肯定することかなと。日本人だから「なんで尺八やらないの」って普通に言われるんですけど、その人の言葉っていうのは、私を日本人のイメージで括りつけているわけですよね。
――著作を拝読しても、音楽を聴いても、「わたしとあなたは違う」ということが一つのメッセージだと感じました。「根底では絶対にわかりあえないことがある」というのは、自分は絶対的に孤独であるという自覚から発していると思うのですが、どのようにそこに至ったのでしょうか。
仲野: 2つあります。
このアルバムにも入っている《ブルキナワ》を、Bala Deeというバンドとやったとき。ツアー中ってやっぱりミュージシャンは四六時中一緒にいなきゃいけないので、最初は「一緒に音楽やろうよ、楽しいね」っていう雰囲気なんだけれども、移動中だとか、ごはんを食べたりとかしていると、その人の本性が見えてくるじゃないですか。
西アフリカはフランスの植民地でしたよね。音楽やってるときはハッピーなんだけれども、ちょっとしたことで、フランスに対する恨みつらみが出てくる。でも今を生きている私たちは、直接植民地を統治しているわけじゃない。先祖がやってた。だから負い目はあるんだけれども、そこでなんで僕らが責められなければならないのっていう、本当に根源的な問題が、今2000年代でもあるわけですよね。
私もびっくりしたんですが、アフリカ人にとってみれば、私は白人なんですって。黒じゃないから。アジアとか関係ない、白だからって。ちょっと食い違っちゃうと、彼らがこうパッと遮断したときに問題が表面化する。
この今現在、私とあなたは違うよね、違うなかでも歩み寄るしか方法はないじゃん、それをやりたいがために音楽をやっているのに……。舞台に立ったらもちろんそれはパフォーマンスになるわけだから、苦々しい思いをしていても、笑いながら演奏するんですけど。
で、音楽が始まったらやっぱり、最高に純粋に音楽の世界にいられるんですよ。その瞬間、共振できればいい。そのあと孤独に、お布団の中で泣こうが、あの人嫌いになっちゃうだろうが、それは仕方がない。だって私たち元から全然違うわけだから。そういうのがあります。
仲野: もう1つは、私は日本人だったからだと思うんですけど、なんでサックスやるのって言われたことがあるんですよね。それがすごく印象に残っていて。自分のアイデンティティは後付けなのか、物質的なオブジェクト、例えば肌の色とかそういうもので区別されるものなのかなって。
いやそうじゃないな、もちろん生まれた場所、宗教的なもの、家庭環境もあるんだけれども、自分たちのアイデンティティは、日々更新されるものなんじゃないのかなって。それを肯定できる社会だといいなと思います。
例えば韓国の、在日の方がいるとしますよね。あの人たち在日だからと言って終わるのではなく、その人とどういう付き合いができるかということに、真摯に立ち会いたいですね。それが西アフリカだろうが、イスラエルの人だろうが、はたまた隣にパレスチナの人がいようが、そこは公平に、色眼鏡で見るのではなく、その人の魂はどこにあるんだろうなというのを見たい。そういうふうに音楽とも接したいです。
日時: 2019年3月2日(土)15:30
会場: 四谷いーぐる
お問い合わせ: 四谷いーぐる tel. 03-3357-9857
http://www.jazz-eagle.com/
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