インタビュー
2026.01.14
世界のオーケストラ楽屋通信 Vol.18 岡島征輝(レバノン国立フィルハーモニー管弦楽団 テューバ奏者)

エジプトから戦時下のレバノンに移籍! それでも快適な生活を送れている理由は!?

世界各国のオーケストラで活躍する日本人奏者へのインタビュー連載。オーケストラの内側から、さまざまな国の文化をのぞいてみましょう!
第18回は、レバノン国立フィルハーモニー管弦楽団テューバ奏者の岡島征輝さん。エジプトのカイロ交響楽団に所属されていたときにインタビューを掲載しましたが、レバノンに移籍されたということで、早速詳しく聞かせてもらいました!

ONTOMO編集部
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東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...

学生、教員と室内楽の公演より

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レバノンの情勢に影響されながらも1999年から活動を続ける

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——所属されているオーケストラについて教えてください。

岡島 レバノン国立フィルハーモニー管弦楽団(Lebanese Philharmonic Orchestra)は、レバノン国立高等音楽院を運営母体に1999年に活動を始めたレバノン国立交響楽団を起源に持ち、たびたび組織体制や名称を変えながら現在に至ります。

岡島征輝(おかじま・まさき)
カイロ交響楽団テューバ奏者 
玉川大学文学部芸術学科芸術表現コース音楽分野卒業後、同大学芸術学部副手を経て渡独。バイエルン州立ニュルンベルク音楽大学卒業。同大大学院修了。大学院在学中の2007年9月からカイロ交響楽団でテューバ奏者を務め、2024年にレバノン国立フィルハーモニー管弦楽団に移籍。レバノン国立高等音楽院講師。

岡島 2019年にレバノン政府が債務履行に陥り経済危機に直面するまでは約100名の楽団員を有する団体だったようです。同年、レバノンの通貨が大下落し物価高騰に給与が追いつかなくなったときに多くの楽団員が去ったといいます。

そこに追い討ちをかけるかのごとく2020年春には新型コロナウイルス蔓延による活動制限、2020年8月には首都ベイルートの港湾で発生した大規模爆発事故により街の半分以上が被害を受け、楽団本拠地の建物も大きな損傷を受けたために徐々に活動が再開しはじめたのは2023年頃だったようです。

現在はおもに毎月2回から3回ほど、金曜日の夜に公演があり、基本的に入場無料です。それ以外に不定期な公演が入ることもあります。現在、レバノンには本格的なコンサートホールはなく、公演はベイルートの市内の教会が会場になることが多いです。

オーケストラの公演風景

レバノンにエキストラで呼ばれ信頼関係を築く

——なぜエジプトからレバノンのオーケストラへ移籍を決められたのでしょうか?

岡島 前職のカイロ交響楽団に所属していた2024年3月に初めてレバノン・フィルからエキストラ奏者として依頼を受けました。それまでレバノンに行ったことはありませんでした。かつては中東のパリとまで呼ばれた首都ベイルートも90年代まで内戦の激戦場でした。隣国イスラエルとの関係も悪く、イスラエル軍が侵攻した時期もあり、現在でも一部で交戦が止まず、経済的にも大崩壊しているので、気軽に行ってみようとは思えない国です。依頼を受けてスケジュール的にもお受けできる状態だったのですが、喜んで飛んでいく気にもならなかったというのが正直なところでした。

また、テューバという楽器は、頑丈なケースに入れて飛行機の預け荷物にしたら、重量または寸法、条件によってはその両方が規定を超えるために、超過料金が発生します。機内持ち込みには追加のチケットが必要です。それらをどこまで負担していただけるのか交渉していたところ、楽団から所有している楽器のリストが送られてきて、その中から演奏予定の楽曲と私の都合に合う楽器があるのであれば、楽器なしで渡航するのはどうかと打診されたのです。

リストの中には有名ブランドの機種ばかりが並んでいます。その時点でレバノン・フィルの運営規模がカイロ響とは比ではないほどしっかりしていると思い、依頼を受けることにしました。

岡島 カイロからレバノンまでは1時間弱のフライトです。距離的にも近い中東の国ですから、エジプトとさほど変わらない雰囲気だろうと思って来てみたら、あまりの違いに驚きました。海は綺麗だし山の緑は眩しい、遠くの山の頂には雪まで見えるではないですか。

カイロだと空港を出るとタクシーや観光ツアーの客引きがうじゃうじゃいて、単独で行くと悪質強引なタクシードライバーに荷物を奪われて強制的にタクシーに乗せられそうになることもあるのですが、ベイルート空港は客引きこそいますが一言断ればすぐにどこかへ行ってしまいます。そもそも客引きの相手をする間もなく私の名前の書かれたプレートを持ったタクシー会社の人が現れたのです。もうこうの時点で楽団の手厚い手配に感激しました。

ベイルートの海岸沿いはランニングや散歩に最適!
郊外の山から首都ベイルートを見下ろす

岡島 それから毎月呼んでいただけるようになり、長いときには3週間の滞在になることもありました。そんな生活が半年も続いた頃、2024年10月から11月には6週間ほどの依頼を受けたんです。そのときに「所属先のカイロ響をこれ以上休んで来ることは難しい。いっそのこともう雇ってもらえませんか?」と冗談で言っていたのですが、どういうわけか実現してしまったのです。

ただ、契約書にサインするまでは正直あまり信じていませんでした。というのも、先にも述べた通り、4年間ほど活動が停滞していた楽団です。その間に大量離職をまねき、私がエキストラ奏者として来始めた頃は正団員が40名ほどだったのです。これではテューバ奏者を正規雇用できる楽団規模には少し足りません。金管楽器の正団員がトランペット2名、トロンボーン1名だけ、ホルンにいたっては0名の楽団が、他を差し置いてテューバを先に雇うとは信じがたかったからです。

採用されるときに楽団の代表で運営元の国立高等音楽院の楽院長から言われました。「正直、あなたよりも技術の高い奏者は他にもいます。でもこの半年間、奏者からも楽団運営スタッフからも音楽院からもあなたの人間としての良い評判が多く上がってきます。ですからこの状況下でも真っ先にあなたの採用を決めました。」と言われました。

レバノン・フィルの団員の多くは、運営元である国立高等音楽院の教員を兼務します。エキストラとして呼ばれている期間に何度か公開レッスンや音楽院への入学を希望する人向けの説明会にもかりだされ、そこで現役学生やこれから生徒になるかもしれない人たちへの接し方やどういう教え方をするのかを見られていたのだと思います。

私自身は特別なことをしたわけでもなく、自分ができることだけを半年間やってきたつもりでしたがこれほどにまで評価されたことが嬉しくて、提示された条件に不満もなく契約書にサインしました。カイロよりも雇用条件が桁違いに良く(カイロが悪過ぎた)生活環境もベイルートのほうがずっと快適なんです。断る理由が見当たりませんでした。

恩師の楽器を初披露した《ニュルンベルクのマイスタージンガー》

——楽団員とのコミュニケーションは何語でされていますか?

岡島 アラビア語か英語です。ただし、エジプトのアラビア語とはかなり違って知らない単語ばかり出てくるので、ほとんどわかりません。レバノンはフランス語で教育を受けた人が多いので外国語は英語よりもフランス語のほうが通じるみたいです。日常会話でも普通に「ボンジュール! サ ヴァ?」から始まる挨拶なんて普通です。多言語ミックスで会話する人が多いです。レバノンで生まれ育った人も、受けた教育環境によってはアラビア語が話せても読み書きは不得手なことも珍しくありません。

国立博物館が公演会場になることも

——今のオーケストラでいちばん思い出に残っている演奏会や曲目を教えてください。

岡島 2025年10月の公演で演奏したワーグナーの楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》より第1幕への前奏曲です。

この夏、ニュルンベルク(ドイツ)留学時代の恩師から「高齢になり演奏する機会もないから楽器を処分したい」と急な連絡があったのです。正直、古い楽器を買い取るつもりもなかったのですが、最近、病気をしてて手術を受けたと聞いていたのでお見舞いのためにすぐに飛んで行きました。

8年ぶりにお会いした恩師は療養中で歩行もままならない健康状態でしたが、私が買い取ると思い込んで楽器を調整に出していてくださった様子で、私が到着するなり「タクシーを呼んでくれ。調整がしっかりできているか検品に行くよ!」と言った調子で、楽器店に到着するなり「マイスタージンガーを吹いてごらん」(曲中、有名な旋律があり入団試験でもよく課せられる)と言われるがままに吹きました。

演奏を終えると「うん、悪くないね」と一言だけ言われました。それが調整された楽器のことなのか私の演奏のことなのか、聞き返す勇気さえなかったのですが、恩師が安心した様子で私もホッとしました。

恩師が長年ドイツのニュルンベルク歌劇場で演奏されてきたこの楽器。レバノンに連れてこられて初めて人前で披露するのがこの曲だった偶然、信じられますか?

ドイツの恩師から譲り受けた楽器

戦中国での暮らしという経験

——お国柄を感じたエピソードや日本とは違うなぁと感じる点を教えてください。エジプトとの比較も、もし何かあれば……。

岡島 レバノンは日本の岐阜県ほどの国土に多種多様な宗教宗派人種の人々が暮らしています。それぞれの人々が地域色を強く出して暮らしているので、モザイク国家などと言われてもいますが、道路一本違うだけでそこに暮らす人の宗教人種が違って、話される言葉にも変化がある不思議な国です。

エジプトだと現地の人々は初対面でも「名前は? 歳は? 仕事は? 子どもは何人? 独身? 家は賃貸?」なんてズケズケ聞いてくる人が多いのですが、レバノンではそれがほぼないのが驚きでした。距離的には近くても文化圏としてはかなり遠いです。

——レバノン暮らしの特徴や、レバノンに来てから一番カルチャーショックだったことはなんですか?

岡島 2024年9月に正式にカイロからベイルートに移ったのですが、実はその前日からイスラエル軍によるレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラに関わる人物や施設への攻撃が激しくなり、数日後にはレバノンの航空会社以外の定期便の運行がなくなるほどベイルートやその近くでも空爆を受けるようになりました。

ですから、実は移籍してから数ヶ月は何も仕事をしていなかったんです(笑)。演奏会どころの状況ではありませんでした。家の窓が割れるのではないか? と思うほどの空爆の衝撃を感じることもありました。自宅から500メートルの建物が爆撃対象になったこともありました。

そのような状況下でも、カイロの生活よりずっと快適なので不思議なものです。日本では両親を含め戦争を知らない世代の私ですが、戦中の国での暮らしを経験するという人生を送っているのが一番のカルチャーショックです。

レバノン東部にある世界遺産バールベックの古代遺跡群も見もの。写真はフェニキア時代の神殿
山間部には清流が流れる渓谷がたくさんあり、さまざまな魅力が楽しめる

とても快適なレバノン暮らし

——「この国に来てよかった!」と感じるのはどんなときですか?

岡島 すべてにおいて快適です。自然も豊かです。報道されることのないきらびやかで賑わいにあふれるベイルートの街も好きです。人々の多くは節度があり、日本で生まれ育った私の「常識」が通用する国です。エジプトにはありませんでした。

もちろん日本と比較してはいけません。私は日本を離れて20年以上経ちますし、そのうち17年をエジプトで過ごしてきて感覚が麻痺していると思います。

数字の上では経済成長しているエジプトも、音楽界という狭い世界に目を向けると、私がエジプトに渡った2007年からその状況は悪化する一方で、近年はそれが顕著でした。そのため、レバノンでオーケストラ奏者を続けられて幸せですし、音楽院ではテューバだけではなくて室内楽とオーケストラの授業も担当しています。入学試験では合否判定の権限も与えられ、金管楽器の主任教授が私の考えることを尊重してくれていて、楽しいです。まさに“渡りに船”で辿り着いたレバノンです。

金管楽器専攻の学生、教員らと

——おすすめのローカルフードがあれば教えてください。

岡島 モザイク国家のレバノン料理は実に多種多様で、まだまだ食べたことがないものも多いのですが、何よりも気に入っているのはコーヒーです。

もちろんコーヒー豆はレバノンで生産されているわけではないのですが、レバノンの人々はコーヒーをよく飲みます。街を歩けばコーヒースタンドが無数にあり、昼夜とわずエスプレッソマシーンの蒸気の音とコーヒーの香りが漂います。

家庭では少し違った方法で淹れるのが伝統です。トルコ風コーヒーで日本で馴染みのフィルターでドリップするスタイルとは違い、粉末状に挽いた豆を水から煮出して淹れます。

エジプトでは火にかける前から大量の砂糖を入れます。そもそも無糖で飲む人は極めて少ないですし、コーヒーの味がわからなくなるほど砂糖を入れます。砂糖を断ると「病気なのか?」と心配されるほどでした。

しかし、レバノンではコーヒーに砂糖を入れる人は極めて稀です。コーヒー店でも砂糖の有無を聞かれることもないです。ちなみにレバノンスタイルのコーヒー、私は深煎りでカルダモン多めがお気に入り。蓋付きの専用小鍋はコーヒーが冷めにくいので重宝します。これはレバノンに来て初めて見ました。数分置いて上澄みをレバノンスタイルの小さなカップに静かに注ぎます。この頃には適温になり、コーヒー本来の香りとカルダモンの風味を存分に味わうことができます。

レバノンスタイルのコーヒータイム
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