数学者・秋山仁「オリジナリティがすべて」小学生でも理解して楽しめる独創性を!
子どもたちや途上国の人々の力になる活動ができないかと模索するソプラノ歌手の田中彩子さん。対談連載「明日へのレジリエンス」では、サステナブルな明るい未来のために活動されている方と対談し、音楽の未来を考えていきます。
第3回は、数学者の秋山仁さん。多くの肩書きを持ちながら、子どもたちに心を砕いている秋山さんに、館長を務める数学体験館(東京理科大学内)でインタビュー。数学の面白さを広める活動をしながら、アコーディオン奏者として音楽も嗜む、その心は?
数学と音楽は似ている?
——数学者である秋山さんからみて、音楽家とはどんな存在ですか?
秋山 数学と音楽には、通じるものがあります。たとえば、もし宇宙人と通信することになったら、その手段は数学か音楽だといわれている。
協和音(完全8度、長3度、完全5度など2つ以上の音が心地よく響くと感じる和音)や五度圏(12の音を完全5度ずつ上昇/下降してできる環。隣接する音同士は、古典和声で近い関係にある)などの理論が数学的に説明できておもしろいということは、音楽を勉強している方ならみなさんご存知でしょう。協和音の理論をはじめに追求したのは、三平方の定理で有名なピタゴラスです。
秋山 私も音楽が大好きなのだけれど、でも、「好き」と「できる」はまるで違うんですよね。音楽に関して私はその典型で、好きなのにできるようにならない。
たとえば、子どもの頃、学校の合唱の時間に張り切って歌うと、先生から「秋山くん、もうちょっと小さな声で歌って」なんて注意されるほどでした(笑)。それからいくらがんばっても、音痴は治らない。とはいえ、楽器の演奏はある程度、努力に比例してできるようになるから、アコーディオンを弾くようになりました。
だから、声楽家は本当にものすごい才能の持ち主だと私は思うんです。音感という天賦の才がないとできないことだから。数学は、努力すればできるようになりますけれど。
田中 私は、勉強しても数学は全然だめでしたけれどね(笑)。音楽だって、例えば絶対音感は、5歳までにトレーニングを始めればみんなつくといわれるものですし。訓練すればできるようになることがたくさんありますよ。
秋山 いや、私はそこが疑わしいと思っている(笑)。
秋山 でも私も、今から音感を育てるのは無理にしても、楽しければいいかなと割り切ってアコーディオンを続けて、もう20年になります。
これに関しては数学も同じで、楽しいと思うことがとにかく大切ですね。だから私は子どもたちに、数学ってこんなに楽しいと感じてもらえる機会をもっと届けたい。音楽はそれがやりやすくていいですよね。数学の授業ってどちらかというと、イヤでお腹が痛くなるといわれることが多いから(笑)。
田中 私も子どもの頃は数学に苦手意識があったのですが、逆に大人になって興味を持つようになりました。物理や数学に関する本を読んでみると、おもしろくて。
それと、楽譜を読んで、頭の中で最終形を思い描きながら立体的に仕上げていく過程って、数学の数式を解く感覚に似ているように思うことがあるんです。
秋山 それはおもしろいですね。音楽家は、楽譜を見てそんなことをしているんですか。たしかにその感覚は、かなり数学に近いところがありそうです。
数学的に言うと、音楽は12進法です。12の音があって、ある音から1オクターブ上がるところに、相似形がある。
秋山先生がハーモニーとピタゴラスの三平方の定理の関係を解説!
秋山 これを数学の場合は数式で表現するけれど、音楽の場合は五線譜で表現するわけです。
そもそも大昔、音楽は数学の科目の一つでした。数学の中には、代数、解析、確率、幾何学などいろいろなものがあって、そのなかの一つが楽理でした。中世ぐらいまではそういう位置付けだったものが、細分化されていったのです。だから、田中彩子さんは数学者なんです(笑)。
田中 音楽がもともと数学の一部だというのは、とても興味深いですね。私たちにとって楽譜は、読めばすぐに何が書かれているかわかるけれど、楽譜が読めない人にとっては、どんな音が表現されているのかわからない。私が数式を見たときと同じ感覚なのですものね。
他に、数学と音楽の共通点はどんなところにあると思いますか?
秋山 詩心、歌心だと思います。音楽では、歌手が詩を歌って、人の心を揺さぶり感動させる。数学も、自然の中に潜む真理を見つけて、それを短くコンパクトな数式にして表現するという意味で、いわば“詩”なんです。数学者は、それを人々に伝えるという職業です。
ベートーヴェンもモーツァルトも、人の感情や自分の心を表現して伝え、感動したり幸せになってもらうために曲を作るでしょう。数学も本当はそういうものなんです。ただ、わかってもらうのが、音楽より少し難しいけれど(笑)。
その子の将来を生かすも殺すも指導次第
田中 ところで秋山さんは、ドミニカ共和国で子どもたちに数学を教える活動をされているのですよね。
秋山 はい、4年ほど前から、現地の子どもたちに数学のおもしろさを伝えるプロジェクトに携わっています。2020年末の12月14日には、現地に数学体験館がオープンしました。
ドミニカは人口が1千万人ほど、国土は日本の四国ほどの国。教育現場で重要とされているのは、音楽やスポーツ。音楽は、子どもから大人まで街の至る場所でメレンゲ(※ラテン音楽の一種)を楽しんでいるし、スポーツは野球が盛んで、アメリカの大リーグで活躍している選手もたくさんいます。かたや数学や理科は、どうでもいい科目だと思われているんです。
一方、農業が盛んな国ですが、ハリケーンがよく来るため、そのたびに農産物が全滅してしまうという問題がある。そこで、もう少し工業化を進めなくてはならないとして、科学技術の根本である数学の教育を推進する動きが起き、それに協力することになりました。
秋山 ここでも私は、とにかく数学はおもしろいものだと子どもに伝えることを大切にしています。そこで重要なのが、先生の教え方。子どもたちが熱狂的に喜ぶような情報、自分もやってみたいと思うきっかけを与えてあげる。すると子どもたちは、あとは自分で勉強を進めていくんです。
これは音楽教育にも共通すると思います。とにかく楽しませる、好きにさせるということが、発展の秘訣です。そして人生にこれがなければ生きていけない! と思わせることができたら、先生の仕事としては十分です。
こうしてドミニカに数学のタネを蒔いたところです。そこからそのまま芽が出ないかもしれないし、何本か出てきた芽が小さな木になって、それがタネを飛ばし、森をつくって、大自然を形成することがあるかもしれません。でも、とにかくタネを蒔かなければ、草木は生えませんから。まずはそれが重要だと思っています。
田中 ドミニカの子どもたちに接してみて、いかがでしたか?
秋山 すごく素直で明るかったですから、きっと伸びると思います。
OECDの学力に関する調査によると、日本は、数学も理科も国語もトップクラス。ドミニカは学力はビリだけれど、 15歳の若者に幸福度をアンケート調査したら、世界1位なんです。一方の日本は、幸福度のランキングはかなり下のほうなんですよね。
日本ではある年齢になると、勉強はやらされるもの、やりたくないものになって、心が荒んでいくケースも少なくないのが現状です。そういう意味では、日本もドミニカを模範として学ぶべきことがあると思います。
やっぱり、子どもたちが、生まれてきてよかったと心の底から思えるような教育を与えないといけないですよね。頭が良いとか悪いとか、勉強できるとかできないとか、そんなことはどうでもいい! と思いますし。
——日本の学校では、数学だけでなく音楽教育についても、人前で歌うのが苦手だったとか、長いクラシックの曲を聴くのが苦痛だったとかで、苦手意識を持ってしまう子どももいると聞きます。日本の学校教育のあり方について思うことはありますか?
田中 私が子ども時代に数学が苦手だった理由を思い返すと、やはり授業が一方的でコミュニケーション不足だったことが原因だろうと感じます。先生が黒板に書いた数式をひたすらノートに写すだけでは、それを解くと何になるのかが理解できませんでした。
その意味で音楽については、私の場合、学校以前に3歳からはじめ、最初からすごく楽しかったので、そのあと辛いことがあっても、音楽は根本的に楽しいものだという認識がありました。
田中 ベートーヴェンの曲はこういうものだから聴きなさいといって、一方的に流すだけの授業では、子どもたちの関心が芽を出し、育つことには至らないでしょうね。
その点、秋山さんは子どもたちに数学のおもしろさを説明されるのが本当にお上手です。
秋山 まずはとにかく、先生自身がそれを本当に面白いと心の底から思っていないとだめです。口先で言っているだけでは、伝わりません。小学校だと、担任の先生が全教科を受け持つことが多いので、たとえば算数が苦手な先生が教えたりすると、子どもたちも算数を大嫌いになってしまったりする。
その意味でやっぱり、先生の役割は重大ですよ。その子の将来を生かすも殺すも、指導の仕方による。まさに、「生殺与奪の権を担う」ですね。
みんなが理解できて楽しむことができる独創的な定理、作品をつくりたい
——ここまで音楽と数学の共通点が多く出てきましたが、相違点について思うことはありますか? 例えば、音楽や芸術の世界では、数学と違って答えが一つではない、といわれることもあります。科学的な分析で美しいと思われる音よりも、別の音が心に響くこともあります。
田中 私としては、音楽も数学も、最終的には理論に当てはまらないもので決まる部分があるところは、共通しているのではないかと思います。先まで想像できるかどうかが、とても大切になってくる。まだ解明されていない部分があるところは同じです。
秋山 昨年他界された物理学者の小柴昌俊先生が、以前、アインシュタインとモーツァルト、どちらが偉いかという議論を提示されたことがありました。
小柴先生ご自身の意見は、モーツァルトのほうが偉い、というもの。その理由は、アインシュタインが見つけた相対性理論は、自然の中にある真実であって、そのとき見つからなくても、その10年後に他の誰かが見つけたかもしれないから。一方のモーツァルトの音楽は、彼の感性でしか作れないもので、だからこそモーツァルトのほうが優れている、ということだそうです。
数学者としては、どちらも偉いじゃないかと言いたくなるんだけれど、納得してしまう部分も、確かにある。
田中 それは、オリジナリティの重要性の話になるのかもしれませんね。でも、数学の道においてもオリジナリティは必要になるのではないかと思います。そこについて秋山さんはどうお考えですか?
秋山 オリジナリティがなければ、研究なんていうのはおこがましいと思っています。そのオリジナリティにしても、私の場合は、みんなが理解できて楽しむことができる独創的な定理、作品をつくりたいという想いがあります。
秋山 音楽で例えるなら、わかる人にしかすばらしさがわからない曲よりも、大人も子どもも聴くと嬉しくなって踊り出してしまうとか、頑張って生きようという気持ちになるとか、そういう曲のほうに価値を感じるということ。何百年も解かれることのなかった問題を解決し、理論を構築することもすばらしいけれど、小学生にもわかるすばらしい定理を作ることはもっとすばらしい。そんなふうに思うのです。
だから、私は子どもたちに、生活、自然の中にはいっぱい不思議があって、問題はそれに気づくか気づかないかだということを伝えたい。心を研ぎ澄ましていれば、日々の生活の喜怒哀楽をすくいとって、歌ったり、曲を作ったりすることができますよね。数学もまったく同じなのです。
そこにあるものを題材にして、人を感動させるものを作るということは、音楽家にとっても数学者にとっても共通のことではないかと思います。
田中 まさしくおっしゃる通りだと思います。身近な美しさに気づいて、そこから表現をしていくということが、先につながっていく部分もあると思いますし。その意味では、数学者も音楽家も、普段から五感を研ぎ澄ましていることがとても大切ですね。
子どもたちに、数学ってこんなに楽しいと感じてもらえる機会をもっと届けたい。という信念でご活動を国内外でされている秋山先生のお話を聞いていると、いかに幼少時代の「楽しい!」という感覚が大事かというのを感じました。
数学でも音楽でも、小さい頃に感じた記憶は、ずっとその後も続いていく。音楽は楽しい、数学は楽しいという感覚をまず持つことが、その後の未来につながるのですね。大切なことをいつも楽しく伝えてくださる秋山先生、どうもありがとうございました!
田中彩子
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