世界遺産のアルゼンチン・タンゴは身体で会話する世界の共通言語! クリスチャン&ナオが語る魅力
日本では戦前から人気があったという、アルゼンチン発祥のダンス「タンゴ」。哀愁を帯びたメロディや、激しいリズムが印象的な音楽に心奪われる人も少なくないのでは。この音楽とボディ・ランゲージで生み出す情熱的なダンスの魅力を、日本を中心に活躍されているタンゴダンサー、クリスチャン&ナオのおふたりにたっぷりと語っていただいた。
編集プロダクションで機関誌・広報誌等の企画・編集・ライティングを経てフリーに。 四十の手習いでギターを始め、5 年が経過。七十でのデビュー(?)を目指し猛特訓中。年に...
世界中で親しまれ、2009年にはユネスコの無形文化遺産に登録されたタンゴ。その起源はアルゼンチンやウルグアイ(ラプラタ川周辺地域)にあるとされ、ほかの南米の音楽と同様、さまざまな文化が混ざり合って生まれたものだ。ヨーロッパからやってきた白人たちがもたらしたワルツやポルカ、アフリカから労働力として連れてこられた黒人たちの伝統を受け継いだ舞曲カンドンベ、そしてガウチョと呼ばれるカウボーイ(スペイン人と先住民の混血が多かった)の歌などが混然一体となり、さらにキューバから伝わったハバネラが大きな影響を与え、その原型が出来上がった。19世紀の後半、ブエノスアイレスの港があったボカ地区の酒場では、貧しい労働者たちがその音楽に合わせて踊っていたという。娼婦を連れてきて男女のペアで、あるいは男同士でも踊っていた、なんて話もある。
1880年に出版された「バルトーロ」という曲がタンゴの名を冠した最初の曲だといわれている。当時の演奏に使われていた楽器は、ギター、バイオリン、フルートなど。この頃から急速な近代化を推し進めたアルゼンチンは、20世紀初頭までに300万人もの移民をヨーロッパから受け入れるのだが、そのときに持ち込まれたのがドイツで作られた楽器、バンドネオンで、以後、この楽器がタンゴの代名詞的な楽器になっていった。
憂いを含んだ独特のメロディや躍動的なリズム、そして港、酒場、移民というキーワードからは、「情熱」とか「哀愁」なんていう言葉を連想するが(ブラジル音楽でいう「サウダーヂ」みたいなものだろうか)、ヨーロッパに伝わったタンゴは、より洗練されてクラシック音楽的な、サロンでの社交ダンスに使われる優雅なもの(コンチネンタル・タンゴ)へと進化していった。日本にも1920年代にはコンチネンタル・タンゴが紹介されている。20世紀後半には、アストル・ピアソラが「踊る」よりも「聴く」音楽としてタンゴの地平を広げたのは周知のとおりである。
さて、前置きはこれぐらいにして、インタビューをお届けしよう。このたび、ダンスとしてのアルゼンチン・タンゴの魅力をお聞きしたのは、東京・南青山でタンゴサロン「ブエノス・アイレス」を主宰するクリスチャン&ナオの2人。2008年のペア結成以来、数々の選手権で優勝・入賞し、ステージでの経験も豊富なカップルだ。
アルゼンチン・タンゴに魅せられた2人
――まず、おふたりがタンゴを始められたきっかけを教えてください。
ナオ 私がタンゴを始めたのは20代後半の頃です。それまではフラメンコやバレエを踊っていて、タンゴのようなペアダンスの経験はありませんでした。ただ、ピアソラの音楽は大好きで、ずっと聴いていたんですね。それで、知り合いから銀座のタンゴスタジオに行ってみない? と誘われたのがきっかけです。
クリスチャン 僕がタンゴを始めたのは13歳のときかな。僕たち家族はブエノスアイレス郊外のサラテという街に住んでいたんだけど、母がお祭りに連れていってくれて、若い人や子どもたちがタンゴを踊っているのを観せてくれたんだ。それで「あなたも始めてみたら?」と勧めてくれたのがきっかけだよ。
――とても初歩的というか、素朴な質問で恐縮なのですが……、アルゼンチンの方はみんなタンゴを踊れるというわけではないのですか?
クリスチャン 確かにおじいさんとかはみんな踊っていたけれど、僕はそれを見ていただけだった。当時は恥ずかしくて、自分も踊ろうなんて思いもしなかったよ。だけど、始めたらどんどん面白くなってきて、今では誇りを持ってタンゴと向き合っている。本当に、母のおかげなんだ。質問に戻ると、アルゼンチンの人みんながタンゴを踊るというわけではなくて、むしろ踊れる人は少ないかな。
ナオ 現地では、どちらかというとサルサやクンビアという、南米のポピュラーミュージックで踊るのが好まれますね。家族で集まってのアサード(バーベキュー)や、結婚式のときにも老若男女問わず、みんなでダンスをしています。若い人たちにはヒップホップも人気です。
これらは新しい流行りの曲でも気軽に踊れますし、逆にいうとタンゴは歴史の重みがあるというか、決して楽しいだけの踊りではないので、手を出しにくいのかもしれませんね。
――おふたりがペアを組んだいきさつは?
ナオ 銀座でタンゴを習い始めて、そのうちミロンガ(タンゴのダンスパーティ)に出かけるようになったんです。特に、渋谷にはアルゼンチン人の先生がいるスタジオがあると知って、そこで行なわれるミロンガに足繁く通うようになったのですが、そのスタジオでアシスタントを務めていたのがクリスチャン。一緒に踊るうちに意気投合し、ペアを組んで現在に至る、という感じです。
2012年タンゴ世界大会決勝で踊るクリスチャン&ナオ
男性が女性を目で誘う――ミロンガのルール
――タンゴの魅力を語るうえで、ミロンガは欠かすことのできないものだと思います。今回はミロンガについて詳しくお話を伺いたいんです。
ナオ まず、音楽としてのタンゴを分類すると、1920年代、40年代などの「タンゴ黄金期」をはじめ、古典から新しいものまで、時代によって特徴があります。またリズムも「タンゴ」は4拍子、3拍子の「ワルツ」、ダンスパーティと同じ名前の「ミロンガ」は2拍子です。
ミロンガでは主に30年代から50年代の曲がかかります。東京では3~4時間かけて行なうのが一般的です。
クリスチャン ブエノスアイレスでは8時間ぐらい続けるミロンガもあるんだよ。
――音楽はどのように選ぶのですか?
ナオ ミロンガにおけるダンスタイムの単位を「タンダ」というのですが、DJが1タンダ3~4曲、同じ年代や傾向の曲を流すのが一般的ですね。古典から歴史を追うように攻めていったりとか。あとは例えば、人の出入りが少なかったら静かな曲、にぎやかになってきたらリズムの強い曲を選ぶ……DJの音楽のセンスが、会場の雰囲気を左右するといっても過言ではありません。
クリスチャン DJは重要だよね。みんなが知っている曲をかけてくれないと踊りづらいし、空気を読まずにひとりよがりの選曲ばかりしていると「今日はつまらなかったね」なんて言われてしまう。DJは誰でもチャレンジできるかわりに、かなり勉強しないと辛いね。でも、最近は日本でもいいDJが増えてきていると思うよ。
クリスチャンさんとナオさんが3つのタンダを作ってくれました。
1つめは「リズムの王」と呼ばれたフアン・ダリエンゾ(1900−1976)。2つめはダリエンゾと並び「タンゴ新古典派の2大マエストロ」と称されたカルロス・ディ・サルリ(1903-1960)。3つめは下町風の独特のスタイルで人気を博したオスヴァルド・プグリエーセ(1905-1995)の作品を、それぞれ集めたタンダです。
これをかければおうちでもミロンガ気分!
――ダンスのパートナーはどのよう選ぶのでしょう?
ナオ タンダとタンダのあいだにコルティーナという時間があって、タンゴ以外の曲がかかります。この間に踊り手はいったんフロアから外れて、次のタンダが始まるときに男性が「この曲だったら、この人と踊りたい!」という女性を誘うんです。ひとつのタンダでひとりの人と踊るのが決まりですね。
クリスチャン 女性を誘うことを「カベセオ」というんだけど、声をかけるんじゃなくて、目で合図して誘うか、頭をちょっと動かして身振りで行なうのがタンゴならではだよね。
――誘われた女性は断ることもできるのですか?
ナオ はい。ミロンガでは目で誘うのがルールなので、踊りたくなかったら目を伏せればいいんです。逆に、女性から一緒に踊りたい男性をじっと見つめて、誘わせることもありますよ(笑)。
関連する記事
-
ウィーン・フィル×ムーティの「第九」200周年記念公演が映画に!
-
小林海都、鈴木愛美が本選へ! 第12回浜松国際ピアノコンクール第3次予選結果
-
シューマン「神と並ぶほどに愛してやまない君にすべて知ってもらいたい」結婚前にクラ...
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly