チョン・ミョンフン、東京フィル第1000回定期で取り上げるメシアン作品に込められた「愛」を語る
東京フィルハーモニー交響楽団の記念すべき第1000回定期演奏会に登場するチョン・ミョンフン名誉音楽監督。プログラムに選んだのはオリヴィエ・メシアンの大作《トゥランガリーラ交響曲》。晩年のメシアンと交流を持ち、その演奏と録音が絶賛されたマエストロ・チョンが、この作品に込められた「愛」について語ってくれました。
東京藝術大学大学院修士課程(音楽学)修了。東京医科歯科大学非常勤講師。オペラを中心に雑誌やWEB、書籍などで文筆活動を展開するほか、社会人講座やカルチャーセンターの講...
東京フィルの記念すべき1000回目の定期演奏会にチョン・ミョンフンが選んだメシアンの大作《トゥランガリーラ交響曲》
来たる6月、東京フィルハーモニー交響楽団は第1000回の定期演奏会を開催します。2001年のスペシャル・アーティスティック・アドヴァイザーへの就任以来、20年以上共演を重ね「東京フィルハーモニー交響楽団はわたしのファミリー」と語るチョン・ミョンフン名誉音楽監督が、この記念すべき演奏会のプログラムに選んだのは、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアンの《トゥランガリーラ交響曲》です。
《トゥランガリーラ交響曲》は1946年から48年にかけて作曲。独奏ピアノと独奏オンド・マルトノを伴った作品で、全部で10楽章、全体で1時間半ほどかかる20世紀を代表する大作です。
マエストロ チョンが1990年にパリ・オペラ座バスティーユ管弦楽団と行なった録音は、メシアン本人から絶賛されました。
録音のブックレットには「天才チョン・ミョンフンの指揮によるトゥランガリーラ交響曲の2つの演奏会と録音を聴くことができて、どれほど感激したことか!」と始まるメシアン自身の文章が寄せられている。当時、メシアンはこの曲の改訂を行なっており、「(この演奏は)これらの変更を考慮に入れており、私の願いを完璧に満たしている。適切なテンポ、適切な強弱、本物の感情、本物の喜びである! 多くの優れた解釈の後で、この新バージョンはあらゆる点で優っており、もはや参考にすべきものと言える」と絶賛している。
そんなマエストロだからこそわかるこの作品の意義や、メシアンが作品に込めたメッセージについて語っていただきました。
“聖人”メシアン〜彼と仕事することで人類に対する希望が湧いてきた
——マエストロはメシアン本人と親しく交流があったことが知られています。
チョン・ミョンフン メシアンは私が生涯に出会ったもっとも素晴らしい音楽家のひとりであり、また人間としては“聖人”であると感じた唯一の人でもあります。彼と一緒に仕事をすることで、人類に対する希望というものが湧いてきたのを覚えています。
私は1989年に完成したパリ・オペラ座バスティーユの初代音楽監督に就任したのですが、新しい劇場にはさまざまな問題がありました。そこでわたしは、メシアンの精神をこの劇場に持ち込むことが必要だと考え、初めての録音にメシアンの《トゥランガリーラ交響曲》を選んだのです。
——1990年のパリ・バスティーユ管との録音の際にも、メシアンは立ち会ったのですよね。
チョン・ミョンフン 指揮者にとって、作曲家がその場にいてくれることほどありがたいことはありません。何か問題が起きたら、すぐ彼に聞けるのですから(笑)。
《トゥランガリーラ交響曲》は非常に複雑な作品ですが、特にリズムが独特です。また、メシアンの作品はスピリチュアルなもの、神に捧げられたものが多いですが、大作としてはスピリチュアルな要素だけではないという点がとてもユニーク。非常に複雑で多様なものが爆発している、いわば“青年”のスタイルを持っているといえます。
マエストロ チョンは、晩年のメシアンとのこんな秘話を披露してくれました。マエストロはパリ・バスティーユ管弦楽団のために作品を書いてほしいと依頼。メシアンは快く引き受けてくれましたが、結局受け取ることがないままに彼は亡くなってしまいました。
ところが逝去の3週間後にメシアン夫人から電話があり、彼のデスクの上にマエストロ宛のスコアが残されていたというのです。それは、4つのソロ楽器を伴う4楽章からなるオーケストラ作品。ソロはフルートにオーケストラのメンバーであるカトリーヌ・カンタン、オーボエにハインツ・ホリガー、チェロにムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、そしてピアノにメシアン夫人のイヴォンヌ・ロリオが指定されていました。
第4楽章のオーケストレーションだけが未完のままだったそうですが、「彼は約束を守ってくれた」というマエストロの笑顔は優しく、輝いていました。
マエストロとの「約束の作品」で、メシアンの遺作《4人のためのコンセール》
メシアンが作品に込めた「愛」を紐解く
——《トゥランガリーラ交響曲》はメシアン自身によって「愛の歌である」と語られており、実際に「愛の歌」「愛の眠りの園」「愛の展開」といったタイトルがつけられた楽章があります。メシアンがこの作品で描こうとした「愛」とはどのようなものであるとマエストロはお考えですか。
チョン・ミョンフン これに限らず、メシアンの作品はすべてが彼の深い信仰心からくる愛のメッセージです。では、そのメッセージとはどんなものなのか。彼が残した唯一のオペラである《アッシジの聖フランチェスコ》から紐解いてみましょう。
まず一つ目は、第1幕第1景に表れます。兄弟レオーネがフランチェスコに「完全な喜びとは何か」とたずねます。フランチェスコはそれに対して「非常に良い人間であることも、良く働くことも、他の人を助けることも、それは完璧な喜びではない」と否定の答えをします。およそ25分の問答が続いた後で出される答えは、「苦しむこと」。もちろんこれはキリストが人類のためにみずからを犠牲にしたことに基づいていますが、人間のあらゆる行為にも通じるものです。例えば、母親が子どもを産む時には、大きな苦痛の後にこの上ない喜びが生じる、というように。
チョン・ミョンフン もう一つは最終景にあります。最後のメッセージから、メシアンという人がどういう人だったのかを知ることができます。そこでは巨大なオーケストラにのって合唱が神の声を伝えるのですが、それは、「人生の中で人を十分に愛したのなら、あなたは救われるだろう」というもの。キリスト教の解釈にはさまざまなものがありますが、何を愛したかは問題ではない、十分に愛したことが大切、愛を与えたことが大切なのだというメッセージこそ、メシアンが到達していた人類愛なのです。
——人間の根底をかたちづくるべき究極の愛、というものがメシアンのメッセージなのですね。キリスト教がそれほど浸透していない日本でも、この《トゥランガリーラ交響曲》にメシアンが込めた愛は理解できるでしょうか。
チョン・ミョンフン キリスト教は世界にあるさまざまな宗教のひとつにすぎませんが、多くの宗教における宗教観には共通のものがあると思います。なぜなら愛というのは、絶対的に精神的なものだからです。《トゥランガリーラ交響曲》は複雑な和声やリズムをもち、決して易しい作品ではありませんが、音そのものは十分に楽しんでもらえると思います。
先ほど私はメシアンのことを“聖人”といいましたが、彼は子どものように純粋な精神の持ち主でした。みなさんもぜひ、子どものような耳で聴いてみてください。きっと楽しめると思いますよ。
——メシアンが立ち会った演奏会を含め350回以上、オンド・マルトノ奏者として《トゥランガリーラ》を演奏してきた原田節さん。いま、この曲を演奏する意味はどのようなものとお考えでしょうか。
それは愛ですね。万物への愛情をこの曲には感じることができると思っています。
もちろん『トリスタンとイゾルデ』のテーマがあり、この曲が描く男女の愛もあるでしょうが、それだけではない、もっと、生きとし生けるものすべてに愛を感じることができる作品…というとちょっと大げさでしょうか。今ある時代こそ人類が感じるべき、というのも大げさでしょうか。しかし、そこにこそ音楽の意義があるのではないかなと私は思います。それなくして何の音楽よ、と。
もともと私はジャンルで音楽を聴かないのです。クラシックでもロックでも歌謡曲でも、なんでも聴くけれど、嫌な音楽はある。それは愛がないもの。愛がない、哲学のない音楽はどんなジャンルでも聴きたくない。それが感じられるものであればジャンル分けすることに全く意味はなくて、私はそこ(愛があるかどうか)で音楽をやりたいと思っています。
だから、愛、哲学のある音楽を、マエストロ チョン・ミョンフンと東京フィルと一緒にやれることが嬉しいと思います。
原田節氏のコメント全文は東京フィルの特別ページから後日公開
日時・会場:
〈第1000回オーチャード定期演奏会〉6月23日(日)15:00開演 Bunkamura オーチャードホール
〈第1001回サントリー定期シリーズ〉6月24日(月)19:00開演 サントリーホール
〈第162回東京オペラシティ定期シリーズ〉6月26日(水)19:00開演 東京オペラシティ コンサートホール
出演:
チョン・ミョンフン指揮(東京フィル 名誉音楽監督)、務川慧悟(ピアノ)、原田 節(オンド・マルトノ)
©Takafumi UENO
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