プレイリスト
2020.09.20
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第11回

「神の御業こそ麗しい」BWV99——三位一体後第15主日

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノやオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏。音...

ルネッサンス期イタリアの画家コジモ・ロッセッリ作「山上の説教」。

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おはようございます! 本日は三位一体後第15主日。本日は同名のコラール(賛美歌)によるカンタータ「神の御業こそ麗しい」をお送りします。

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この賛美歌「神の御業こそ麗しい」は、当時のライプツィヒの会衆に好まれたのでしょう。バッハには同じコラール(サミュエル・ローディガスト作)をタイトルにしたカンタータが3曲あります。そのうちの1724年の三位一体後第15主日に初演されたのが、本作99番(ちなみにカンタータの番号は、バッハ作品番号BWVと同じです)。

サミュエル・ローディガスト作の賛美歌「神の御業こそ麗しい」の歌詞とメロディが書かれた『ニュルンベルク聖歌集』(1690)

その日の礼拝では「マタイによる福音書」6章の24~34節が朗読されました。イエスが山の上で弟子たちを前にして行なった「山上の説教」の一つです。神と地上の富という二人の主人に同時に仕えることはできない。神を選びなさい。そうであれば身体のことや衣服のことなどであれこれと思い悩むことはない。すべて神が与えてくれるのだから。

06:24「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」 06:25「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 06:26空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。 06:27あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 06:28なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 06:29しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 06:30今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。 06:31だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 06:32それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。 06:33何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 06:34だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

新共同訳聖書より「マタイによる福音書」6章24~34節

バッハのカンタータの編成は4人のソリストと合唱、ホルン、フルート、オーボエ・ダ・カッチャ(狩りのオーボエ)、それに弦楽と通奏低音。

カンタータの歌詞は、ひたすら神への信仰を扱っています。第1曲は弦楽と木管楽器の愛らしい前奏に続いて合唱が登場。ソプラノ声部がコラール「神の御業こそ麗しい」の旋律を歌います。続いてバス(レチタティーヴォ)が、「神の真実の言葉は私を欺かない。私を生命の道に導いてくださるので私の心は迷うことなく安心して神の父のような不変の誠と出逢える」と語ります。「たとえ突然災難が襲ってきても、忍耐をもって耐え忍ぼう。神が全能の御手で不幸を幸福に変えてくださる」と。

続くテノールのアリアは、A-B-A´のダ・カーポ形式。「どれほど十字架の杯が苦くても身震いするな。迷ってばかりいる弱気な魂よ。神は賢い医者、驚くべきお方なのだから」。これに寄り添うのはフルート。当時のキーが一つしかないフルートでは演奏が難しい半音階の陰影に富んだパッセージが、「弱気な魂」の不安な心を表わしているようです。

そこでアルト(レチタティーヴォ)が「永遠に結ばれた契約こそ、私の信仰の礎。生きるときも死ぬときも私の光である神に身を委ねよう。毎日の苦しみを耐え抜けば救いの時が来るのだ」と高らかに宣言し、続いてソプラノとアルト(二重唱)が、「十字架が耐えがたいものだと考えている人には、やがて訪れる喜びが得られない」と歌います。

そして最後はコラールの最終節で曲を閉じます。「神の御業こそ麗しい。私はそこに留まる。たとえ私をいばらの道に追いやり、苦難や死、そしてどれほど悲惨なことがあろうとも。神は父のように両腕で私を抱きとめてくださるのだから、私はただ神にすべてを委ねるのみ」と。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノやオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏。音...

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