プレイリスト
2020.10.11
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第15回

「主キリスト、神の一人子」BWV96——三位一体後第18主日

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

ジェームズ・ティソ作「イエスを試すファリサイ人とサドカイ人」(ブルックリン美術館所蔵)

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おはようございます! 本日は三位一体後第18主日(日曜日)。1724年のこの日(10月8日)に初演された「主キリスト、神の一人子」を聴きましょう。

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ライプツィヒに教会で行なわれた礼拝では、福音書マタイ第22章34~46節までが朗読されました。第22章ではイエスとサドカイ派やファリサイ派との神学的な議論の様子が語られます。

 22:34ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。 22:35そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。 22:36「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」 22:37イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 22:38これが最も重要な第一の掟である。 22:39第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 22:40律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」 22:41ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。 22:42「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。」彼らが、「ダビデの子です」と言うと、 22:43イエスは言われた。「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。 22:44『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい、わたしがあなたの敵をあなたの足もとに屈服させるときまで」と。』 22:45このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」 22:46これにはだれ一人、ひと言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった。

新共同訳聖書より「マタイによる福音書」22章34〜46節

サドカイ派やファリサイ派は、当時のユダヤ教徒の一派。死後の復活を信じるか否かなどの考え方の違いはありましたが、ともにイエスを論破しようとやっきになっていました。前節でサドカイ派の人々を論破したイエスは、今度はファリサイ派の人たちと相対します。そして彼らに律法でもっとも重要なものはなにかと問われたイエスは、全身全霊であなたの神である主を愛すこと、自分のことにように隣人を愛することだと答えます。

もうひとつの論題は「メシアは誰の子か」、すなわちメシアはどのような人かという問題です。旧約聖書に記されているようにダビデの子だとしたら、ダビデの言う「わたしの主」とは誰か。メシアは「油を注がれた者」を意味するヘブライ語でいわば救世主、ギリシャ語訳がキリストです。

こうした問いにたいするバッハの答えが、このカンタータ《主キリスト、神の一人子》にほかなりません。

さて、カンタータはクロイツィガー作の同名のコラール(賛美歌)を、第1曲と第6曲の合唱に用いたコラール・カンタータ。楽器編成はソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱に合唱、管弦楽ですが、ソプラニーノ・リコーダーやフルートが加わって全体にどこか華やか。

第1曲のコラール合唱は「主キリスト、神の一人子、永遠の父の子、聖書に記されている通りに神の御心から生まれる。夜明けの明星、その光は遥か彼方まで輝き渡る」。ソプラニーノ・リコーダーが満天に輝く星の輝きのようです。

続いてアルト(レチタティーヴォ)が「おお、愛の驚くべき力。神が被造物に想いを馳せ、時の終わりにその栄光を地上に送ってくださる」。選ばれた身体が神の子を宿す。ダビデが聖霊の働きによって彼の主と崇めた者と語ると、フルートの伴奏でテノール(アリア)が「ああ愛の綱で魂を引いていけ。おお、イエスよ、魂の中にあなたご自身を力強く顕わしてください。信仰によってあなたを悟ることできるように、魂を照らしてください」と歌います。舞曲風の軽快な曲です。

今度はさらにソプラノ(レチタティーヴォ)が、「ああ、神よ、私を正しい道に導いてください。肉体に惑わされ、過ちを犯す私を。でもあなたがそばにいて、導いてくださるなら、私は必ずや天の国へ至るでしょう」と言うと、バス(アリア)が、「右や左へと、迷える私の足取りは定まりません。私の主よ、どうぞともに歩いてください」と歌います。管弦楽のリズムがよろめく様子を表わしていて、どこかコミカルです(失礼!)。

そして最後に合唱が祈りを込めて「あなたの恵みによって、私たちの迷いを正し、あなたの慈しみによって目覚めさせてください」とコラールの一節を歌います。スイス、チューリヒの古楽団体の演奏でどうぞ。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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