プレイリスト
2020.12.06
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第24回

「目を覚まして祈れ!」BWV70——待降節第2日曜

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

ピーテル・パウル・ルーベンス作「最後の審判」(一部)

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おはようございます。本日はカンタータ70番をお届けいたしますが、少々込み入った事情があります。

アドヴェント(待降節)第2日曜なので、そのために作曲されたカンタータがよいのですが、ヴァイマール時代に書かれたBWV70a「目を覚まして祈れ!」は、歌詞のみで楽譜が残っていません。

しかも、バッハがたくさんカンタータを作曲したライプツィヒでは、アドヴェントを静かに過ごす習慣があったため、礼拝でもカンタータが演奏されませんでした。

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恐らくバッハは1723年にライプツィヒのカントルに赴任した折に、このBWV70aの楽譜を持っていったものの、当地ではアドヴェント用のカンタータは必要ないと言われ、別の機会に上演しようと考えました。そして、暦の都合でアドヴェントが遅くなった1723年11月21日の三位一体節後第26日曜の礼拝のために、このカンタータに改作したのです。

BWV70aを選んだのは、その日の礼拝で朗読された聖書の箇所が、アドヴェント第2日曜のものと似ていたからともいわれています。

というわけで、本日はもともと第2アドヴェントのために作曲された同じタイトルの「目を覚まして祈れ!」BWV70をお聴きいただきます。

福音書の朗読箇所は「マタイ」第25章から31節から46節。最後の審判のときに、栄光の座にある人の子(主)が来臨して民を裁くというお話です。

25:31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 25:32そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 25:33羊を右に、山羊を左に置く。 25:34そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 25:35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 25:36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 25:37すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 25:38いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 25:39いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 25:40そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』 25:41それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。 25:42お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、 25:43旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』 25:44すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』 25:45そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』 25:46こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

新共同訳聖書より「マタイによる福音書」25章31〜46節

ピーテル・パウル・ルーベンス作「最後の審判」

バッハのカンタータも神の裁きを前にした人の心を歌っています。

第2アドヴェントのカンタータBWV70aは、第1曲とすべてのアリア、最後の合唱の6曲からなっていたので、バッハはそれにレチタティーヴォ4曲とコラール1曲をつけて全2部構成の大作に仕立て上げました。編成は4人のソリストに合唱。トランペット、オーボエ、弦楽に通奏低音です。

第1部はトランペットを含む壮麗なファンファーレ「目覚めよ、祈れ! 備えよ。どんな時も栄光の主が、この世を終わらせる時まで」で幕が開きます。

続いてバス(レチタティーヴォ)が、頑固な罪人に「怖れなさい」と諫める一方、選ばれた神の子に「真の喜びの始まりが来る」と告げます。するとアルト(アリア)が「その日はいつ来るのでしょう。どうか炎がふりかかる前に助け出してください。目覚めよ、魂よ。それが最期の時であることを信じよ」と歌います。

一方テノール(レチタティーヴォ)は「望みは天にあるのに、肉体が心をとらえている。心は気持ちがあるのに肉体は弱い。私たちの口から漏れ出るのはため息ばかり」と嘆き、ソプラノ(アリア)が「嘲ける者は嘲ればいい。でも私たちは必ずイエス様にお会いできる」と歌います。

するとテノール(レチタティーヴォ)が、「聞き分けのない者どもがいても神は僕のことを思ってくださるし、僕たちをその御手で守り、天国のエデンに置いてくださる」と語り、最後に合唱が「心から喜べ。おおわが魂よ。すべての苦難や苦しみを忘れるがいい。お前の主キリストはお前を涙の谷間から呼び出し、キリストの喜びと栄光を永遠に見るのだから」とコラールを歌います。

第2部はテノールのアリアから始まります。誇り高い歩みを感じさせる通奏低音に乗って「頭を高く上げよ、そして慰められよ、おまえたち信じるものたちよ。エデンの園で永遠に神に仕えよ」と歌います。

バス(伴奏つきレチティーヴォとアリア)は「ああ、この大いなる日が、世界の崩壊と最後のラッパの響きが、鐘の音が、裁き手の判決の言葉が、地獄の門が、私の心に迷いと恐れの気持ちを起こさせる」と不安でたまらないのですが、途中から「でも、私の魂には喜びが輝き、慰めの光が差し込む。慈悲深い腕は私を決して見捨てたりしない。だから私は喜びとともにこの世を終わろう」と希望を見出し、続くアリアで「祝福された爽やかな日よ、お前の部屋へ連れていっておくれ。響け、轟け、最後の鐘よ。世界よ、天よ、砕け散れ! イエスは私を喜びに満ちた静けさに導いてくださる」と歌います。響け(Schalle)、轟け(knalle)のところで音楽が活気づき力強くなるのがお分かりになると思います。

そして最後に合唱が穏やかにコラールを唱和して曲を閉じます。「私の魂が望み憧れるのは、この世でも天でもない。ただ、私を神にとりなし、裁きから解放してくださるイエスとその御光のみ。だから私は私のイエスを手放さない」。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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