プレイリスト
2021.01.17
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第34回

「わたしのため息、わたしの涙よ」BWV13——顕現節第2日曜日

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

ルネサンス期ヴェネツィアの画家パオロ・ヴェロネーゼ作『カナの婚礼』(ルーヴル美術館蔵)。

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本日は1726年の顕現節第2日曜日(1月20日)にライプツィヒの教会の礼拝で初演されたカンタータ第13番「わたしのため息、わたしの涙よ」を聴きましょう。

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この日に朗読された聖書は「ヨハネによる福音書」第2章第1―11節です。

聖書ではカナという町の結婚式に母マリアとともに招待されたイエスが行なった、水瓶の水をワインに変える奇蹟が語られます。

02:01三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 02:02イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。02:03ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。 02:04イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」 02:05しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。 02:06そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。 02:07イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。 02:08イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。 02:09世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、 02:10言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」 02:11イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

新共同訳聖書より「ヨハネによる福音書」2章1〜11節

バッハのカンタータは直接、このエピソードには触れていませんが、第4曲ソプラノのアリアの「私の嘆きの水瓶(Jammerkrug)は涙で満たされている」という歌詞が、水瓶の水をワインに変えたエピソードを連想させます。また聖書の中のイエスが母マリアに言った「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです」という言葉から、いまだ自分の時が来ていないというイエスの悲しみが歌われます。

編成はソプラノ、アルト、テノール、バス独唱と合唱、リコーダー2、オーボエ・ダ・カッチャ(狩のオーボエ)、弦楽と通奏低音です。

バッハのカンタータにはたいていあるコラールを基にした冒頭合唱がありますが、この曲は例外的にテノールのアリアで始まります。「私のため息、私の涙は、数えきれない。毎日憂いや悲嘆がなくならない。ああ! この苦悩ゆえにすでに私たちには死の道が敷かれている」。シチリアーノ風の長閑なリズムに、木管楽器が「涙の音型(スラーで繋がれた2度下行する音型)」がいたるところに現れ、嘆き悲しむ情感が表現されます。

続いてアルト(レチタティーヴォ)が、「私の愛すべき神は私がいかに空しく呼んでも、私の涙の中に慰めを表してくださらない。その時は遠い。私はいたずらに祈るばかり」と述べて、へールマンのコラールを歌います。「神が私に約束してくださったことはいつも心強いけれど、今は哀しみの中にあって空しく求めるだけ。ああ、神は永遠に私に怒り続けるのか」。

ここでソプラノ(レチタティーヴォ)が聖書を連想させる言葉とともに、苦しむ魂について語ります。「苦悩が増し、私から安らぎを奪い取り、私の嘆きの水瓶は涙でいっぱいになる。この苦しみは癒されず、私の心から感覚を失くす。苦悩の夜は不安に満ちたこの心を押しつぶし、私は嘆きの歌を歌う。でも魂よ。それは違う。この苦悩の中にあって心安らかであれ。神は苦い汁を喜びのワインに変え、あまたの喜びを与えてくださるのだから

そしてバス(アリア)がヴァイオリンとリコーダーが「涙の音型」を奏でるなかを、「うめき声や惨めな涙も、心痛の病には何にもならない。でも天を仰ぎ見てそこに慰めを求める者の、悲しみに満ちた胸に喜びの光が輝く」と歌い、最後は希望にあふれるフレミング作のコラールで曲を閉じます。「そうであれば、魂よ、汝を創られた神のみを信ぜよ。いと高き天におられるあなたの父は、あらゆる行ないの助言をご存じなのだから」。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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