プレイリスト
2021.01.24
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第35回

「わたしの神の御心のままに」BWV111——顕現節第3日曜日

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

イタリア南部パレルモのモンレアーレ大聖堂、ビザンティン様式のモザイクで描かれた「皮膚病患者を癒すキリスト」。

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おはようございます! 本日は顕現節第3日曜日。1725年のこの日(1月21日)にライプツィヒで初演されたカンタータ「わたしの神の御心のままに」をお届けします。

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この日は「マタイによる福音書」第8章第1節から13節が朗読されました。山上での説教を終えたイエスが山から下りて行なう奇蹟が語られます。

08:01イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。 08:02すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。 08:03イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。 08:04イエスはその人に言われた。「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。」08:05さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、 08:06「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。 08:07そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。 08:08すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。 08:09わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」 08:10イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。 08:11言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。 08:12だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」 08:13そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。

新共同訳聖書より「マタイによる福音書」8章1〜13節

重い皮膚病患者や百人隊長の僕(しもべ)の中風を癒すのですが、それはすべて信仰のある者のみに起こることであり、同時に神の心の成就であるとバッハのカンタータは歌います。

編成はソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱に合唱とオーボエ2、弦楽と通奏低音。ブランデンブルク辺境伯アルブレヒトの同名のコラールによるコラール・カンタータです。

コラール「わたしの神の御心のままに」の作曲者、ブランデンブルク辺境伯アルブレヒト(初代プロイセン公)。宗教改革の最中、ルター派に改宗。プロイセン公国を創設する。

第1曲は喜びに満ちたコラール合唱曲。「私の神の御心がいついかなる時も成就しますように。神の意思は最善のもの、神はいつも堅く信じる者を助けるためにいつも備えておられる。神を信頼し、その上に自らを築き上げる者を退けることはない」。

続いてバス(アリア)が「恐れるな、私の心よ。神はお前の慰めであり確信、お前の魂の命。賢い知恵が示されれば、この世も人も決して逆らうことはできない」と歌いますが、どこか心配気。

するとアルト(レチタティーヴォ)が、その心を見抜くかのように叱ります。「おお、愚か者めが。神から逃れようとする者よ。ヨナのように神のお顔の前から逃げ去ろうとするものよ。私たちの考えなど、神にはすでに知られているし、頭髪の数まで数えられているのだ。神を信頼する者は幸いである。その約束の御言葉を希望と忍耐によって仰ぎ見る者は」。

頭髪の数までという表現が面白いですね。でもこれは「マタイの福音書」の言葉。今度はアルトとテノール(アリア)の二重唱。喜びに満ちた足取りで歌います。「心躍る足取りで歩もう。たとえ神が私を墓に連れていこうとも。神がその日を記されたのだから、その御手が私に触れるなら、死の痛みなどなくなるに違いない」。

ここでソプラノ(レチタティーヴォ)が死について思いを馳せます。「だからいまわの際に死が肉体から魂を引き裂くときに、神よ、どうかその魂を父のごとき手で受け止めてください。どんな時にあっても、どうか助けてください。おお望まれた最期よ!」と語り、冒頭と同じコラールの第4節が歌われます。「主よ、もう一つお願いがあります。あなたは私を拒みません。たとえ悪い霊が私に襲い掛かっても、怯えることがないように。助けてください。導きお守りください。あなたの御名の栄光のために。望むものは必ずかなえられる。だから私は喜んで言います。アーメンと」

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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