プレイリスト
2021.02.07
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第38回

「軽佻浮薄な心の者たち」BWV181——復活祭前第8日曜

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

16世紀ブラバント公国(現オランダ)の画家ペーテル・ブリューゲル(父)作『種まく人の譬(たと)え』。

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この時期は、顕現節/公現祭(エピファニー)後の第*主日とか、復活祭前の第*主日と言います。バッハの時代に倣って後者を採用すると、本日は復活祭前の第8日曜日。1724年のこの日に、ライプツィヒの教会で初演されたカンタータ「軽佻浮薄(けいちょうふはく)な心の者たち」181番を聴きましょう。

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この日の礼拝で朗読されたのは「ルカによる福音書」第8章の4~15節。よく知られた「種まく人の譬(たと)え」です。

同じ種でも、播(ま)くところで鳥に食べられたり、枯れてしまうこともあるし、大いなる実りを結ぶものもある。聖書にもあるように、種は神の言葉、播く人は神というわけです。

08:04大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。 08:05「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。 08:06ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。 08:07ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。 08:08また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。 08:09弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。 08:10イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』ようになるためである。」 08:11「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。 08:12道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。 08:13石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。 08:14そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。 08:15良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」

新共同訳聖書より「ルカによる福音書」8章4〜15節

『ランドゥスベルクのヘラデの写本』(12世記、フランス・アルザス)より「種子まく人の譬え」

バッハのカンタータは、鳥に食べられたり、枯れてしまう種は、いわば浅はかで移り気な人の魂。そうではない、よき種になりましょうと歌います。

編成はソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱に合唱。初演の際はトランペットと弦楽と通奏低音でしたが、作曲家晩年の再演に際して、フルートとオーボエが追加されました。

まずフルートやオーボエを伴う、賑やかな伴奏でバス(アリア)が、「軽佻浮薄な霊は御言葉の力を奪い取ってしまう。ただでさえ、悪魔ベリアルがその子らと御言葉の働きを妨げているというのに」と歌います。

続いてアルト(レチタティーヴォ)が、「道端に落ちた種は過てる不幸な魂。心からの悟りを見ようとも、禍を理解しようともしない。心は岩のように頑なになり、邪悪な心で逆らう。お前たちはせっかくの御言葉の救いを棒に振る。キリストの最後の言葉は岩でさえ打ち砕くというのに。それでもおまえはまだ頑ななままでいたいのか」と述べ、テノール(アリア)が「数えきれないほどの禍。この世の宝を増やそうとする欲望の心は、地獄の劫火をいつまでも燃え盛らせる」と歌います。

「劫火(Feuer)」や「永遠(Ewigkeit)」などの歌詞の母音が、オペラのアリアのように、装飾しながら伸ばして強調されています。また、このアリアには何らかの楽器によるソロが添えられていたと考えられていて、本日の演奏ではヴァイオリンが用いられています。演奏による違いを楽しむのも一興でしょう。

そこでソプラノ(レチタティーヴォ)が、「このような(欲望の)心によって力が封じられれば、尊い種も芽を出さない。ふさわしくない霊を持つ者は、適切な時に良い土地に備えよ。甘美な思いが得られるように、そしてまた御言葉が私たちを解き放ち、この世と彼の地における命の力が味わえるように」と語り、合唱がトランペットとともに晴れやかな終曲を歌って曲を閉じます。「いと高き方よ、私たちにどんな時にも、あなたの心の慰めである聖なる御言葉を与えてください。あなたは全能の御手で私たちに実り豊かな地を与えて下さる」と。

この華やかなカンタータは、ケーテン時代に書かれた世俗の祝賀音楽を改作したものと言われています。当時のバッハは、やがて来る受難週のための《ヨハネ受難曲》の作曲に追われていて、あまり時間がなかったためです。

それでもこんなに素晴らしい曲なのですから、バッハってやっぱり凄いですね。「おはようバッハ」では受難曲も取り上げる予定にしていますのでどうぞお楽しみに。

19世紀フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレー作『種を撒く人』。ミレーのほかの多くの作品と同様、農民に題材を求めているが、「Le Semeur」という原題は聖書の言葉を思わせる。
那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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