プレイリスト
2021.03.31
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第44回

《マタイ受難曲》第4日(ペトロの否認)——受難週4日目

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

フランドル派の画家アダム・ド・コスター作『ペトロの否認』。

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棕櫚の主日から聖金曜日までJ.S.バッハの《マタイ受難曲》をお送りしています。

本日から後半の第2部。捕えられたイエスを追慕するアルトⅠと合唱Ⅱによる、対話形式の嘆きのアリアに始まります。なお、アルトⅠは受難の出来事を間近に見ている人たち。そして合唱Ⅱはその話を伝え聞いた後世の人々の気持ちを歌っています。太字の部分は福音書の聖句です。

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アルトI「私のイエスはどこに行ってしまわれた」、合唱Ⅱ「あなたの恋人はどこへ行ってしまったの?」、アルトI「おお、女の中でも誰よりも美しい乙女よ。すべてを見ることは可能でしょうか」、合唱Ⅱ「あなたの恋人はどこへ行ってしまったの?」、アルトⅠ「ああ、虎の爪にかかった私の小羊! ああ私のイエスはどこに行ってしまったの」、合唱Ⅱ「それなら一緒に探してあげましょう」、アルトⅠ「ああ私は自分の魂に何と言えばよいの? 魂が不安におびえながら私に訊ねたら。私のイエスはどこに行ってしまったの?」(第30曲)。

福音書記者「人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところに連れて行った。そこには律法学者たちと長老達が集まっていた。ペテロは遠く離れた大祭司の中庭までイエスに従って行き、中に入って下役たちと共に座り、事の成り行きを見ようとした。祭司長たちと長老たち、最高法院の全員はイエスに不利な証言を求めて、イエスを殺そうとしたが、何も見つからなかった」(第31曲)。

因みに祭司はユダヤ人たちの神と人の仲介者とされる聖職者で大祭司はその最高職。最高法院はユダヤ人の自治機関。イエスの時代には議長の大祭司と議員らが律法の権威の下に、さまざまな事件の裁判を行なっていました。でも最終的にはローマ総督の裁断を仰がなければなりません。当時のユダヤ地方はローマ帝国の属州だったからです。(参照:新共同訳『聖書』「用語解説」日本聖書協会1987年)

ここで合唱Ⅰ・Ⅱが、「この世は私に欺きの判決を下します。嘘と偽りの作り話によって、隠された網によって。主よ、この危機の中でも私を顧み、偽りのたくらみから私をお守りください」と祈りのコラールを歌います(第32曲)。

イエスの裁判が始まります。福音書記者偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。最後に二人の偽証人が進み出て言った」。二人の証人「彼は言いました。私は神の神殿を打倒し、三日のうちに建てて見せる」。福音書記者「大祭司は立ち上がり、イエスに言った。大祭司(バスⅠ)「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが」。福音書記者「しかし、イエスは沈黙を守られた」(第33曲)。

これを受けてテノールⅡが、「私のイエスは沈黙している。偽りの証言に対してただ静かに。それは、彼の憐れみに満ちた御心は私たちのために苦しみを受け入れようとされていることを示している。私たちも迫害の苦しみを受けるとき、主イエスと同じように静かに黙っていよう」(第34曲)と語り、「身におぼえがないことで辱めと嘲りに苦しもうとも、そして偽りの舌が私を刺すときにも耐え忍べ。そうすれば、愛する神は私の心の無実に報いてくださる」とアリア(第35曲)を歌います。バスのヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音の鋭い付点音符のパッセージは、あたかもイエスの身体に刺さる棘のようです。

福音書記者大祭司はその沈黙に応えて言った」。大祭司生ける神にかけて命ずる。答えよ、おまえは神の子キリストなのか」。福音書記者イエスは彼に言われた」。イエスあなたの言う通りである。しかし、私はあなた方に言っておく。あなた方は見るであろう。人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを」。福音書記者「そこで大祭司は服を引き裂いて言った」。大祭司彼は神を冒涜した。これでもまだ証人が必要であろうか。見よ、諸君は今神の冒涜の言葉を聞いた。どう思うか」。福音書記者「彼らは答えて言った」。合唱Ⅰ・Ⅱによる群衆が彼は死罪だ!」と口々に叫び、さらに感情的になっていきます。福音書記者そして彼らは、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴った。幾人かは顔を殴りつけ言った」(第36a曲)。合唱Ⅰ・Ⅱキリストよ、誰が殴ったか当ててみよ」(第36b曲)。

あまりにもひどい光景に合唱Ⅰ・Ⅱがコラール(第36c曲)を歌います。「誰がこのように打ち据えることができるのですか。我が主よ、あなたに苦痛を与え、これほどの酷い目にあわせるのは誰ですか。あなたは罪人ではなく、私たちと違って悪いことを一切知らないというのに」(第37曲)。

15世紀オランダの画家ヘラルト・ファン・ホントホルスト作『イエスへの嘲り』。

福音書記者ペテロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近づいてきて言った」。女中Ⅰ(ソプラノⅠ)あなたもガリラヤのイエスと一緒にいたね」。福音書記者「しかしペテロは彼ら皆の前で打ち消して言った」。ペテロ「あなたが何のことを言っているのか、分からない」。福音書記者ペテロが門の方に行くと、他の女中が彼に目をとめ、居合わせた人々に言った」。女中Ⅱ(ソプラノⅠ)この人はナザレのイエスと一緒にいたよ」。福音書記者彼は再び打ち消し、その上誓って言った」。ペテロ「そんな人は知らない」。福音書記者「しばらくして、そこにいた人々が近寄ってきてペテロに言った」(第38a曲)。

合唱Ⅱ「確かにそうだ。お前もあの連中の仲間だ。お前の言葉遣いでそれが分かる」(第38b曲)。福音書記者ペテロは、呪いの言葉さえ口にしながら誓い始めた」。ペテロ私は、そんな人は知らない」。福音書記者するとすぐに鶏が鳴いた。ペテロは鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないというだろうとイエスに言われた言葉を思い出した。そして外に出て激しく泣いた(第38c曲)。

なんということでしょう。預言通りイエスを裏切ってしまった。このペトロの否認の場面は非常に印象的です。

ここで、アルトⅠが「憐れみたまえ、我が神よ、わたしの涙のゆえに。どうか御覧ください、心と目があなたの見前に激しく泣いている。どうか憐れみたまえ!」という、独奏ヴァイオリンを伴う名アリア(第39曲)を歌い、人々(合唱Ⅰ・Ⅱ)がコラール(第40曲)を合唱します。「たとえあなたから離れても、私は再び戻ってきます。あなたの御子は、私たちを和解させてくださいました。そして悩みと死の苦痛によって。私は自分の咎を拒みません。でもあなたの恵みと慈しみは私の中の罪よりもはるかに大きい」。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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