プレイリスト
2021.04.25
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第52回

《泣き、嘆き、憂い、怯え》BWV12——復活後第3日曜日

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

ゴシック期イタリアの画家ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ『別れの談話』。

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復活祭から3度目の日曜にお聴きいただくカンタータ第12番《泣き、嘆き、憂い、怯え》は、ヴァイマール時代の名作です。

バッハは1713年の冬、ザクセン=ヴァイマール公ヴィルヘルム・エルンストの宮廷楽団楽師長に就任しました。楽師長は今日でいえば、楽団のコンサートマスターのようなもの。でもバッハには月に一度の教会の礼拝時のカンタータを提供する仕事が加わりました。そこで、その翌年1714年の復活節後第3日曜(4月22日)の礼拝で初演されたのが本作です。

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その日、朗読されたのは、「ヨハネによる福音書」第16章16~23節。イエスが弟子たちに、のちの受難と復活について預言する箇所です。

16:16「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」 16:17そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」 16:18また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」 16:19イエスは、彼らが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。 16:20はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。 16:21女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。 16:22ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。 16:23その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。

新共同訳聖書より「ヨハネによる福音書」16章16〜23節

復活節のカンタータは喜びに溢れた曲が多いのですが、これは違います。特に最初の2曲はへ短調で書かれ、イエスの受難に対する悲しみに満ち、イエスに従う決意が表明される長調のバスのアリアを挟んで、終曲の輝かしいコラールで閉じる。短いけれども味わい深いカンタータです。編成はアルト、テノール、バスの独唱に合唱。トランペットにオーボエ、弦楽と通奏低音。

第1曲はアダージョ・アッサイのシンフォニア。弦楽の和声の上でオーボエの奏でる旋律は悲しい情感に満ちています。

続いて合唱曲。「泣き、嘆き、憂い、怯え、不安と危難がキリスト者の涙の糧。彼らが担うイエスのしるし」と歌います。この曲を聴いてバッハの大作「ミサ曲 ロ短調」を思い出される方もおられるでしょう。それも当然です。ミサ曲の「十字架につけられ」の原曲なのですから。バッハがこの楽曲を気に入っていたことの証ですが、同時にバッハが楽曲転用(パロディ)を行なう際に、いかに原曲の精神を大事にしていたかが分かります。ここでアルト(レチタティーヴォ)が「私たちが神の王国に入るためには、多くの苦難を通らなければならない」と述べ、哀愁を帯びたオーボエととともに「十字架と王冠が結ばれ、闘いと宝石が一つになる。キリスト者はいつも自分の苦しみと敵を持つが、キリストの傷が慰めとなる」と歌います。

「泣き、嘆き、憂い、怯える」を元に作曲された「ミサ曲 ロ短調」〜ニカイア信条「十字架につけられ」

ここで音楽は短調から長調に変わります。2群に分かれたヴァイオリンと通奏低音の伴奏でバスが、「わたしはキリストについていく。決して離れない。幸せなときも、災厄のときも。生きるときも死に行くときも。キリストの恥辱に口づけし、十字架を抱こう」と憧れと希望を感じさせるアリアを歌います。でも再び音楽は短調となりテノールは通奏低音の伴奏で「誠実であれ、いずれ痛みは小さくなるのだから。雨のあとに祝福の花が咲き、嵐も過ぎていく」と歌います。これに寄り添うのはトランペットが奏でるコラール「イエスよ、わが喜び」の旋律です。

最後は合唱が明るいコラール(ローディガスト作)を歌って曲を閉じます。合唱は4つの声部からなりますが、5つ目の旋律をトランペットが担当。「神の御業はすばらしい。私はそばにいよう。私を険しい道と苦難と死、悲惨な目にあわせようとも、神は私を父のように御腕に抱いてくださるだろう。だから私はただひたすら神の御心のままにいよう」。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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