プレイリスト
2021.05.09
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第54回

《今まであなた方はわたしの名によって何も願わなかった》BWV87——復活後第5日曜日

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会に飾られている、ルネッサンス期ヴェネツィア派の巨匠ティントレット作『最後の晩餐』。

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おはようございます。本日は1725年5月6日にライプツィヒで初演されたカンタータ第87番をお送りします。

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当日の礼拝で読み上げられた福音書は「ヨハネ」第16章23節から30節まで。イエスは受難の前に弟子たちに、これから起こるさまざまなことを話しますが、この箇所も同様です。

冒頭の「その日」とは、イエスが復活する日のこと。あなたがたがわたしを愛し、わたしが神なる神のもとから来たことを信じるならば、わたしの名において願いなさいと。そうすれば与えられ、あなた方は大いなる喜びに満たされる。

16:23その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。 16:24今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」 16:25「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。 16:26その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。16:27父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。 16:28わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」 16:29弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。 16:30あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」

新共同訳聖書より「ヨハネによる福音書」16章23〜30節

台本は前回のカンタータと同じ女流詩人ツィーグラー。第1曲と第5曲に聖書のイエスの言葉が引用され、その声を聞いた者たちのさまざまな想いが歌われます。編成はアルト、テノール、バスの独唱にオーボエ2、オーボエ・ダ・カッチャ(狩のオーボエ)2、弦楽と通奏低音です。

バス(アリア)が福音書のイエスの言葉を歌います。「今までは、あなた方はわたしの名によって何も願わなかった」。それを聞いたアルト(レチタティーヴォとアリア)が、「おおなんという言葉だろう。霊と魂を驚かせる言葉よ。お前たち人よ、イエスの御声を聴いてその言葉の背後に隠された意味を知るがよい。お前たちは律法と福音を知りながらも意図的にそれを踏み越えた。ただちに悔い改めと敬虔な気持ちで祈るがいい」と悔い改めを促し、2本のオーボエ・ダ・カッチャとともに「父よ、わたしたちの罪を赦し、私たちに忍耐をもってお付き合いください。わたしたちが敬虔な気持ちで祈り、主よ、御子と御言葉のままにと言う時には、もはやたとえ話ではなく(はっきりと父についてお知らせください)、わたしたちを助ける代弁者として神の御前に進み出てください」と歌います。

すると今度はテノール(レチタティーヴォ)が、「私たちの罪が天まで上っていっても、あなたはわたしの心をよくご存じです。わたしはあなたの御前では黙っていられません。ですからどうかわたしに慰めを」と言います。するとバス(アリア)がイエスの言葉を歌います。「この世では、あなたがたには不安があるが、慰められるだろう。わたしは既にこの世に勝っている」(新共同訳聖書とは文言が異なります)。やがてくる受難に不安を感じている弟子たちへの励ましの言葉ですが、複雑な音程が受難の厳しさを予言するかのようです。

イエスの言葉に励まされたテノール(アリア)が、柔らかな弦楽の伴奏とシチリアーノ(8/6または8/12拍子、付点リズムが特徴の舞曲)の揺れるようなリズムで「わたしは耐えよう、沈黙しよう。イエスが助けてくださる。痛みの後に慰めてくださるのだから。退け、心配や悲しみ、嘆きよ。なぜわたしが弱気になることがあろう。悲しみに沈む心よ、勇気を出せ」と歌い、合唱が静かにコラールを唱和して曲を閉じます。「イエスがわたしを愛してくださるなら、悲しむべきだろうか。あらゆる痛みは蜂蜜より甘い。イエスはわたしの心に千回も口づけをしてくださる。苦痛に襲われようとも、イエスの愛はそれを喜びとしてくださる」と。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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