オペラ《レオノーレ/フィデリオ》2稿 序曲第3番——友人たちの協力で大改訂
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
1800年、30歳になったベートーヴェン。音楽の都ウィーンで着実に大作曲家としての地位を築きます。【作曲家デビュー・傑作の森】では、現代でもお馴染みの名作を連発。作曲家ベートーヴェンの躍進劇に、ご期待ください!
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
友人たちの協力で大改訂「オペラ《レオノーレ/フィデリオ》2稿 序曲第3番」
3日間連続でご紹介しているオペラ《レオノーレ/フィデリオ》。
2日目の本日はオペラ第2稿と、そのときに作曲された序曲、いわゆる「《レオノーレ》序曲 第3番」をご紹介します。
公演打ち切り後に友人たちはリヒノウスキー侯邸で夜会をもち、失敗の大きな原因である第1幕の重厚さを軽減するということでベートーヴェンを説得したのである。この夜会のメンバーはリヒノウスキー夫妻、ベートーヴェンのほかには実弟のカール、親友シュテファン・ブロイニング。詩人のコリン、役者のラング、劇作家のトライチュケ、コンサートマスターのクレメント、宮廷楽団指揮者ザイフリート、アン・デア・ウィーン劇場監督マイヤー、テノール歌手のレッケルであった。
モーツァルトの弟子として優れたピアノ演奏の技量をもつリヒノウスキー侯爵夫人クリスティアーネがスコア譜をピアノで弾き、クレメントがオーケストラの主要声部を巧みにヴァイオリンで補填しながらオペラ全体を通しての検討が行われた。この日の夜会は夕方から深夜にまで及び、いくつかのアリアを削除する大改訂案が早くもここで決まりつつあった。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)86-87ページより
台本自体を3幕から2幕に短縮する大改訂の末、初演から約4ヶ月後の1806年3月末に改定版《レオノーレ》、今度は《フィデリオ、あるいは夫婦の愛》というタイトルで上演。初演と同じアン・デア・ウィーン劇場に、今度はフランス軍の撤退に伴い疎開から戻ったウィーン市民が駆けつけました。
しかし、またしても好評を得ることはできず、このあと8年間ウィーンでこの作品が上演されることはありませんでした。
オペラ《レオノーレ/フィデリオ》第2稿 序曲第3番 op.72
作曲年代:1804〜1805年(ベートーヴェン34〜35歳)
出版:1905年
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