「交響曲第5番 ハ短調《運命》」第1楽章——冒頭のフレーズが有名なあの作品、どんな時期に書かれた?
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
1800年、30歳になったベートーヴェン。音楽の都ウィーンで着実に大作曲家としての地位を築きます。【作曲家デビュー・傑作の森】では、現代でもお馴染みの名作を連発。作曲家ベートーヴェンの躍進劇に、ご期待ください!
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
冒頭のフレーズが有名なあの作品、どんな時期に書かれた?「交響曲第5番 ハ短調《運命》」第1楽章
アイゼンシュタットから、この夏の住居としていたハイリゲンシュタットの借家に戻ると、ベートーヴェンは「ハ短調」交響曲の作曲に没頭する。秋が深まるころにはいくつかの演奏会で自作を指揮した。
オーケストラの質的向上のために指揮をクレメントに依頼することで、いわゆるリープハーバー・コンツェルトLiebhaberkonzert(愛好演奏会)が発足し、1807年から08年にかけての冬のコンサート・シーズンに約20回の演奏会が開催された。
このコンサート・シーズンは3月まで続いたが、2月と3月にベートーヴェン作品がないのは、このころ、指にかなり深刻な細菌性の炎症、いわゆる瘭疽(ひょうそ)を患いピアノを弾くことができなかったからのようだ。3月にコリンやオッペルスドルフ伯爵に宛てた手紙(BB323、325)でも「この哀れな指の病気のため、この14日間は外出もできませんでした」と述べている。この手紙のもうひとつ重要な内容については後ほど改めて紹介する。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)98、99ページより
本日から3日連続でご紹介するのは、《運命》という愛称で親しまれているあの作品です。冒頭のフレーズが有名ですよね。この作品が書かれた前後、ベートーヴェンは演奏会で自作を披露する機会が多かったようです。
瘭疽(ひょうそ)を患ったということを告白した手紙では、《運命》交響曲についても触れています。終楽章に関する記述がありますので、第3、4楽章とともに後日ご紹介します。
「交響曲第5番 ハ短調《運命》」Op.67
作曲年代:1807年(ベートーヴェン36歳)
初演:1808年12月22日
出版:1809年4月ブライトコップフ&ヘルテル社(ライプツィヒ)
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