《ミサ・ソレムニス ニ長調》より「アニュス・デイ」——体調が優れないなか、ルドルフ大公に送った手紙とは?
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
48歳となったベートーヴェン。作品数自体は、これまでのハイペースが嘘のように少なくなります。しかし、そこに並ぶのは各ジャンルの最高峰と呼ばれる作品ばかり。楽聖の「最後の10年」とは、どんなものだったのでしょう。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
体調が優れないなか、ルドルフ大公に送った手紙とは?《ミサ・ソレムニス ニ長調》より「アニュス・デイ」
初夏になってもあまり体調はすぐれず、メードリングまで出かけることもできずに、ウィーンの町外れのウンターデーブリングで7月と8月を過ごしている。7月18日にルドルフ大公に宛てた手紙では「かなり長く患っていましたが、ついに完全な黄疸症状が出てきてしまい、殿下が(ウィーンを)発たれる前にお目にかかりたいとは思っているのですが」と書いている(BB 1436)。黄疸を自覚していたベートーヴェンは重大な健康低下に恐怖さえ覚えるようになり、主治医ヤコブ・シュタウデンハイム(1764〜1830)の診察を受け、9月からはバーデンに移って療養することになった。シュタウデンハイムとは1812年にテープリッツで親交を結んでいたが、17年4月ころからマルファッティ医師に代わって主治医として受診するようになっていた。バーデンに移ると9月中旬には黄疸も治り、健康もかなり取り戻して《ミサ・ソレムニス》の最終章「アニュス・デイ」の作曲を進めるとともに最後の2曲のピアノ・ソナタにもほぼ同時に着手したようだ。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)173、174ページより
昨日ご紹介したように、ベートーヴェンが体調を崩していたのは1820年末からだと見られています。翌年の9月中旬にやっと症状が治ったとのことなので、彼は約9ヶ月ものあいだ、万全の状態ではなかったと見られます。
着手から4年ほどかけて完成した大ミサ曲。本日は最終章となる「アニュス・デイ」をお楽しみください。
《ミサ・ソレムニス ニ長調》Op.123
作曲年代:1819年4月初旬〜23年3月(ベートーヴェン48歳〜52歳)
初演:1823年3月26日
出版:1827年4月
ルドルフ大公に献呈
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