序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 Op.3――社交界向けの華麗なチェロ作品
ショパンの作品を全曲聴いてみよう! ショパン自身がつけた作品番号順に聴くことで、ショパンの“設計図”が見えてきます。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 op.3
ウィーン・デビューが大成功に終わり、ワルシャワに戻ったショパンは、前にも増して有名人になっていました。「ドイツがモーツァルトを誇りにしているように、ポーランドはショパンを誇りとするだろう」という新聞評まで出たと、ショパンが友人に報告しています。
しかし、ワルシャワの上流階級の狭い世界に、ショパンは息苦しさを覚えるようになります。
そうはいっても、ワルシャワでの最終年もあいかわらず社交界のための音楽も作りつづけた。(中略)
たとえば、《チェロとピアノのためのポロネーズ》作品3については、ショパン自身、上流階級用の貴婦人たちのための「華麗な」作品だと考えていた。
——小坂裕子著 作曲家◎人と作品シリーズ『ショパン』(音楽之友社)39ページより
この後、2度目のウィーン旅行に出かけると、ショパンは二度と、祖国に戻ることはありませんでした。
ショパンには、チェロとピアノのための作品が3曲あります(内1曲は合作)。このポロネーズは最初のもので、ショパンが「ラジヴィウ公の館で娘ヴァンダに教えるために手掛けた」と手紙に書き残しています。
アントニ・ヘンリク・ラジヴィウは、ショパンのパトロンで、ベートーヴェンやパガニーニなどを招きコンサートを催すほどの音楽愛好家。
作曲から1年後の出版にあたっては、2度目のウィーン滞在で出会ったチェロ奏者ヨーゼフ・メルクに献呈されています。ショパンはメルクを「ウィーンで一番のチェロ奏者」と手紙に書いています。
序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 op.3
作曲年代:1829-30(ショパン19-20歳)
出版:1831年
献呈:Joseph Merk ヨーゼフ・メルク
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