4つのマズルカ op.6――初の作品番号付きマズルカには新生活の翳り?
ショパンの作品を全曲聴いてみよう! ショパン自身がつけた作品番号順に聴くことで、ショパンの“設計図”が見えてきます。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
4つのマズルカ op.6
マズルカは手稿譜が失われたものを含めると60曲ほどある。全生涯にわたって作られたので、作風の変化がショパンの人生の転機とときに重なることがあって、興味深い。
——小坂裕子著 作曲家◎人と作品シリーズ『ショパン』(音楽之友社)182ページより
今回紹介するのは、記念すべき初の作品番号付きマズルカ4曲です。この作品は1830年の2度目のウィーン滞在から1831年にパリに移住、生活がなかなか安定しないでいた1832年にかけて作曲された4つをまとめたものです。小坂さんもそんな生活の影響から「翳りが感じられる」作品と書いています。
パリ到着の2ヶ月後、1831年11月の手紙でショパンは「パリに入ることに問題はなかったが、お金がとてもかかった」と書いています。今も昔も外国人にとっての大問題となる、住まい探しに苦労したようです。
結局ショパンは「ブルヴァール・ポワソニエール27番地の5階の小さな部屋」に落ち着くことになります。道には高級なブティックがズラリと並ぶ街。ショパンはどんな思いで、このマズルカを作曲していたのでしょうか。
曲はパリ在住で、ポーランド独立を目指した亡命政府のメンバーであるルートヴィク・ド・プラテル伯爵の娘ポーリーヌ伯爵令嬢に捧げられています。プラテル家はショパンのパリでの生活を公私にわたって支援しました。
4つのマズルカ op.6
作曲年代:1830-32(ショパン20-22歳)
出版:1833年
献呈:Pauline Plater and Ferdinand Hiller
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