12の練習曲 op.10――お気に入りの部屋で完成され、リストが愛した曲集
ショパンの作品を全曲聴いてみよう! ショパン自身がつけた作品番号順に聴くことで、ショパンの“設計図”が見えてきます。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
12の練習曲 op.10
ショパンは練習曲集を二つ出版している。一つは作品10で1833年に、もう一つは作品25で1837年に出版された。ショパンの前奏曲には俗称で呼ばれるものがある。たとえば《別れの曲》《革命》《エオリアン・ハープ》《蝶々》《木枯らし》《大洋》などで、曲集を離れて、独立した作品として多くの人々に愛されつづけている。
——小坂裕子著 作曲家◎人と作品シリーズ『ショパン』(音楽之友社)197ページより
数多くの人と出会い(その中にはショパンの最後を看取ることになるマルツェリーナ・チャルトリスカもいました)、パリでの生活が落ち着いたショパンは、最初に住んだポワシー通りを離れ、シテ・ベルジェール4番地に引っ越します。
しかし、この部屋はショパンのお気に召さなかったようで、もっぱらショセ・ダンタン通り5番地にある友人ヘルマン・フランク博士の豪華なアパルトマンに入り浸りました。
この部屋はエクトル・ベルリオーズやフランツ・リストもよく集まっており、フランク博士が遠出しているときにも自由に使って良い、ショパンお気に入りの場所。1833年の秋にはついに、留守がちのフランクが、ショパンに部屋を又貸ししてくれることになりました。
この部屋で完成された作品のひとつが、12の練習曲 op.10です。
《練習曲集》作品10はリストに献呈された。19世紀、ピアノの魔術師が輩出されたなか、そのもっとも頂点にいたリストを献呈者に選んだのはどうしてなのだろうか。友人でもあったリストの卓越した技法への敬意からだろうか。ピアノを駆使して、楽器としての可能性を最大限に拡大した作曲家としての自負が、リストからの賞賛を期待したのかもしれない。事実、リストはこの曲集をとても愛した。
——小坂裕子著 作曲家◎人と作品シリーズ『ショパン』(音楽之友社)197ページより
19世紀最高のピアニストであるハンガリー人とポーランド人がパリで出会い、作品にその友情が刻まれているのですね。
12の練習曲 op.10
作曲年代:1830-32(ショパン20-22歳)
出版:1833年
献呈:我が友 F.リスト à son ami F. Liszt
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