ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 Op.21――初恋相手を思って書いたアダージョ
ショパンの作品を全曲聴いてみよう! ショパン自身がつけた作品番号順に聴くことで、ショパンの“設計図”が見えてきます。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 Op.21
《ピアノ協奏曲》第2番へ短調・作品21は、《ピアノ協奏曲》第1番ホ短調の前年、1829年に作曲されている。(中略)第2楽章については、ショパンは親友のティトゥスに、コンスタンツヤを思って書いたことを明らかにしている。
——小坂裕子著 作曲家◎人と作品シリーズ『ショパン』(音楽之友社)222ページより
この作品が作曲されたのは、出版の7年前、まだワルシャワに住んでいた1829年。その年の春に出会ったコンスタンツヤ・グワトコフスカへの思いを手紙で親友に打ち明けたのは、この曲を作曲中の10月のことでした。
「僕にとって不幸なことかもしれないが、憧れの人を見つけてしまった」「僕は夢見ている。その思いでコンチェルトのアダージョ部分を書いた」
翌1830年の9月には、ショパンは教会でコンスタンツヤに「視線を向けられた」だけで、嬉しさのあまり混乱し、教会を走り出て放心状態。知り合いの医者に心配される始末だったそうです。
その年の終わり、ショパンはポーランドに(結果として永遠の)別れを告げ、ウィーンに旅立つことになります。ショパンが持ち歩いていたアルバムには、友人たちのメッセージなどが書かれていますが、コンスタンツヤも10月25日の日付けで詩を書きこんでいます。
「悲しい運命。あなたが決めたこと。しかたがないから受け入れましょう。忘れないで。忘れないで。ポーランドにはあなたを愛している人がいることを。」
——小坂裕子著 作曲家◎人と作品シリーズ『ショパン』(音楽之友社)42ページより
ショパンがウィーンに向けてワルシャワを発ったのは、詩が書かれた1週間後。11月2日のことでした。
《ピアノ協奏曲第2番》の出版にあたって作品は、コンスタンツヤではなく、パリ到着後から死の時まで長い友情で結ばれたデルフィナ・ポトツカ伯爵夫人に献呈されています。
ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 Op.21
作曲年代:1829(ショパン19歳)
出版:1836年
献呈:Delphine Potocka née Komar
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