
マリオッティがRAI響次期首席指揮者に/レッジョ・エミリアで《アルジェのイタリア女》

イタリアの2月の音楽シーンから、今号は主にオペラのレポートをお届けします。

東京生まれ。明治大学文学部を卒業後、1983年からイタリア在住、ピアチェンツァのG・ニコリーニ音楽院声楽科を卒業。30年以上前に『音楽の友』への執筆を始め、現在にいた...

1941年12月創刊。音楽之友社の看板雑誌「音楽の友」を毎月刊行しています。“音楽の深層を知り、音楽家の本音を聞く”がモットー。今月号のコンテンツはこちらバックナンバ...
イタリアの公共放送であり、実質的には国営のイタリア放送協会(RAI)所属のオーケストラから誕生したRAI国立交響楽団は、トリノに拠点を置き、国を代表するオーケストラの一つとして国外でも盛んに演奏活動をしている。1994年創立というと「そんなに新しいの?」と思われるかもしれないが、それ以前にはトリノ、ミラノ、ローマ、ナポリにそれぞれRAIオーケストラがあり、それらが統合されて一つの交響楽団としてトリノに設立されたのが1994年なのである。
したがって、統合以前からの歴史をふくめると、ヴィットリオ・グイ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、セルジュ・チェリビダッケ、ヴォルフガング・サヴァリッシュ等々世界的な指揮者のもとで演奏し続けていることがわかる。だが統合から今日まで、イタリア人の首席指揮者を迎えたことがなかったというのはちょっと意外な気がする。だから、今年10月に就任するミケーレ・マリオッティの指名は同オーケストラにとって画期的な出来事で、新たな出発点とも言えそうだ。
筆者は、彼がボローニャ市立劇場の音楽監督であったころから何度か接しているが、当時からひじょうに好ましい指揮者だという印象を持っていた。積極的に斬新な取り組みを行いながらも絶対に越えないある一線を持ち、思い通りの結果が出るまで決して妥協しない姿勢は、演奏者と聴衆双方の共感を得ている。今回の指名については、彼が音楽監督を務め、最近その契約を2030年まで延長したローマ歌劇場も祝福のメッセージを発表した。
レッジョ・エミリアでロッシーニ《アルジェのイタリア女》上演
イタリアでもっともオペラが盛んな地域といえば、エミリア地方であろう。北はポー川沿いのピアチェンツァからボローニャにいたる地域である。そこにはパルマ、レッジョ・エミリア、モデナといった、オペラの伝統を愛する都市が数珠玉のように連なっている。
2月18日、レッジョでロッシーニ《アルジェのイタリア女》のゲネプロ(本番までの最後の総稽古)を観ることができた。レッジョのヴァッリ劇場の制作ということだが、オーケストラはパルマのアルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団。合唱は一応現地のクラウディオ・メルロ合唱団となっているが、その指揮を務めたのは、パルマの合唱指揮者マルティーノ・ファッジャーニである。指揮はアレッサンドロ・カダリオ、演出はファビオ・ケルスティチ。
このオペラはかなり自由な演出が可能とあって、今回も舞台は現代のアルジェまたはそれらしい場所、ジョルジョ・カオドゥーロが演じるムスタファが居住するのは宮殿などではなく、まだ工事中の建物である。
主役のイザベッラを演じたのはラウラ・ヴェレッキア。メゾソプラノだが、声質がコントラルトに近い。ロッシーニは彼女の得意とするところで、歌唱、演技とも魅力的なイザベッラであった。相手役のリンドーロを演じたテノールのルジル・ガティンだけは、やや異質であった。一般にイメージするテノーレ・レッジェーロとはかなり違う声で、パワーはあるがエレガンスはいま一つ。
タッデオを演じたのは、ブッファではいまや定番のマルコ・フィリッポ・ロマーノ。さすが経験豊富なだけあって、まったく違和感のない役作りであった。エルヴィーラを演じたグロリア・トロネルは好演だが声量不足。カダリオの指揮は一貫して速いテンポで、それはいいのだが、第1幕フィナーレ等の掛け合いの多いアンサンブルでは、多少のずれが感じられた。合唱はバス、バリトンが強くテノールが弱めという傾向が一貫していたが、好演であった。このように、多少の難点はあるものの、十分に楽しめる制作であった。
ヴォルフ・フェラーリのオペラ《4人の田舎者》が100年ぶりに上演

モデナのパヴァロッティ&フレーニ劇場で、同劇場のアカデミー研修生によるヴォルフ・フェラーリのオペラが上演された。日本語では《4人の田舎者》と題されるこのオペラは、18世紀のヴェネツィアの劇作家カルロ・ゴルドーニの喜劇をオペラ化したもので、台本もヴェネト方言で書かれている。
だが、この日本語訳は、《I quatro rusteghi(イ・クァトロ・ルステーギ)》という原題の意味をよく表していない。調べたところでは、ヴェネツィア方言でいう「rusteghi」(単数ではrustego、標準イタリア語ではrustico)とは、「古い伝統や習慣に固執し、非社交的・閉鎖的で粗暴な人物」をさす。これらの性格を一言で表す日本語が思いつかないが、こういう4人の男たちを、その妻や娘が知恵を働かせてやり込めるというのがこの作品だ。
この作品がモデナで上演されたのは100年ぶりという。なぜ上演されにくいのか。その理由の一つはヴェネツィア方言の台本であろう。筆者もこの方言は解さないので、字幕を見ないとよくわからない表現が多く、またこの方言ならではの表現もあるだろうから、ヴェネト地方の聴衆以外には伝わらない部分も多いのではないか。二つ目の理由は、原作の会話をほぼそのまま踏襲していると思われる台本で、それに音楽をつけたことでかなり長くなってしまった感があることだ。
ただ、出演した若い歌手たちはいずれもしっかりしたテクニックで、その面での不安はまったくない。演技については、作品そのものと演出によって改善できると思われたところもある。終演後、彼らには奨学金が贈られたりしたが、この公演がアカデミーの質の高さを示しているとはいえるだろう。今回の上演をきっかけにこのオペラが多く上演されるようになるかと問われると、懐疑的にならざるを得ないが。





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