後世に伝えたい台湾人形劇「布袋戯(ポテヒ)」の人間国宝、陳錫煌を追う映画『台湾、街かどの人形劇』
どの国でも存亡の危機に瀕する芸能は存在します。台湾の街かどで上演され続けている「布袋戯(ポテヒ)」もそのひとつ。テレビのドキュメンタリーで観て以来、この布袋戯の名人・陳錫煌(チェン・シーホァン)に心奪われていたという高橋彩子さんが、台湾で実演に触れたレポートに加え、ドキュメンタリー映画『台湾、街かどの人形劇』を紹介してくれました。
早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...
街かどから姿を消しつつある台湾の伝統芸能、布袋戯(ポテヒ)
近代化と引き換えに、私たちはどれだけの文化を失ったのだろう。
かつて日本の紙芝居と同様、街かどで演じられて一世を風靡し、今や存亡の危機にあるのが、200年以上の歴史を持つ台湾の人形劇、布袋戯(ポテヒ、ほていぎ)だ。手のひらサイズの人形の衣装に人形遣いが手を入れ、小さな舞台の中でセリフを発しながら動かす布袋戯は、迫力の立廻りを披露したり繊細な仕草を見せたりと多様な魅力を持つ。
その布袋戯の名手・陳錫煌(チェン・シーホァン)の存在を知ったのは、2011年、NHKでドキュメンタリー『赤い箱 ~台湾 人形師の魂~』の再放送(初放送は2010年)を見てのことだった。台湾で唯一、台湾の重要伝統芸術布袋戯類保存者、つまり“人間国宝”であると同時に、古典布袋戯偶衣飾盔帽道具製作技術保存者でもある、1931年生まれの陳の芸と人生に迫るドキュメンタリーに魅了され、いつかその舞台を観たいと思ったものだ。去る10月、彼が率いる陳錫煌傳統掌中劇團の舞台『虹霓関』を、観る機会に恵まれた。
台湾で名人・陳錫煌の舞台に触れる
この公演は、台湾国内の伝統芸能の普及・発展を目指す国立伝統芸術センターのプロジェクト「開枝散葉系列-重塑民間劇場」の一環として、無料で行なわれたもの。
台中の歴史ある寺院、“万和宮”前の広場にプラスチックの椅子が並べられ、老若男女さまざまな人たちが集う。布袋戯の人形を手にした子どもの姿もあった。
『虹霓関』は、隋の天下統一から唐玄宗時代の安禄山の乱までを描いた17世紀末の歴史小説「隋唐演義」のエピソードをもとにした作品で、日本でも京劇の名人・梅蘭芳が演じて、評判となった演目。揚州に攻め入るため、虹霓関を守る新文礼を殺害する武将・王伯当。新文礼の妻・東方玉梅は夫の仇を討つべく王伯当に戦いを挑み、捕らえるが、彼に一目惚れしてしまう……。
勇壮な戦いあり、恋あり、幽霊の出現ありと、見どころ満載の人形劇に見入っていると、にわかに舞台脇のスタッフたちに動きがあり、カメラマンがカメラを構える。人形遣いに陳錫煌が加わったのだ。
陳は片手に王伯当、もう片方の手に東方玉梅を持ち、恋に落ちた二人と、彼らが幽霊に滅ぼされるまでを臨場感たっぷりに表現。終演後には、観客との記念撮影に気さくに応じる陳の姿があった。
父と子、2人の人間国宝の物語
さて、そんな陳の布袋戯に迫るドキュメンタリー映画『台湾、街かどの人形劇』が、間もなく日本で公開される。原題は「紅盒子」、英題が「Father」。実は冒頭に書いた『赤い箱 ~台湾 人形師の魂~』の監督・楊力州(ヤン・リージョウ)が、そのドキュメンタリーを発展させ完成させた映画だ。
紅盒子=赤い箱とは、戯劇の神、“田都元帥”の像を収めた小箱で、陳は公演前には必ず像を取り出し、線香を手向けて祈る。この田都元帥を、陳はやはり人間国宝だった父、故・李天禄(リ・ティエンルー)から受け継いだ。
李天禄といえば、台湾出身の世界的な映画監督、侯孝賢の映画作品にいくつも出演し、侯監督の93年の映画『戯夢人生』ではその半生が本人のナレーションとともに描かれた人物。台湾の布袋戯史を語る上で欠かせない存在だ。つまり、『台湾、街かどの人形劇』は、その偉大な父=Fatherとの物語でもある。陳の父は、長男の陳に辛く当たり、父の劇団は次男が継いだ。若き日に赤い箱だけを持って父の元を去った陳だが、未だに「李天禄の息子」と紹介される運命から免れてはいない。
伝統芸能の存続の道とは
台湾を代表する伝統芸能の一つとなった布袋戯は、筆者が観た陳の舞台がそうであるように、公的機関によって保護されて上演されるようになり、また、海外からも招聘されるようになった。『台湾、街かどの人形劇』では、華やかな国際親善の場において拍手で迎えられ、どこか居心地悪そうにしている陳の姿が微笑ましい。その一方で、街かどの芸能としては衰退の一途をたどっているさまも映し出される。生活の一部ではなくなった布袋戯が、わかりやすい芸や作品で人々に迎合している現状への陳の嘆きは、日本の伝統芸能で名人たちが抱いている思いと共通するだろう。
映画の中で、状況を打開すべく「台湾各地で経験や志のある人を生徒として募集しよう。私が教えに行く」と提案する陳が「台湾の中部・南部にはもう布袋戯の団体はひとつもない」と告げられる場面は残酷だ。それでも「できることは何でもする」と言って、陳は活動を続ける。
陳の呼びかけで老齢の楽師や傀儡戯(糸操り人形劇)の人形師が集まり、埃をかぶった道具を取り出して一世一代の晴れ舞台に臨む場面は、涙なくしては見られない。
フィルムに刻まれた名人芸
陳の技芸がしっかりと記録されていることも、この映画の魅力であり価値だろう。小さな人形が判子を押す、団扇を仰ぐ、棒を振り回す……。数ミリ単位の繊細な動きには、ただただ見惚れるばかり。かと思えば、人形が指を離れて空中で一回転してまた指に戻るといったダイナミックなアクロバットも披露。陳が遣えば、まるで命が宿ったように人形同士が生き生きと語らい、陳もまた人形と心を通わせているかに見える。
また、人形を持たず「エア」で遣う映像からは、その手を通して芸の神髄が伝わってくる。そしてラスト、『偶然の縁組』と題された古典演目では、珠玉の芸に唸らされること請け合いだ。
許諾を取って屋外で布袋戯を上演しても、近隣住民から苦情が出る現代。斜陽の布袋戯が往時そのままの活況を取り戻すことは、恐らくもうないのだろう。それでもこの魅力ある芸能が、今も陳を通して最後の輝きを見せているのは紛れもない事実だ。そのことを、この映画を通して一人でも多くの人に知ってもらいたい。
2019年11月30日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
2018年製作/99分/台湾
原題:Father
配給:太秦
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