レポート
2025.12.18
海外レポート・イギリス【音楽の友 1月号】/Worldwide classical music report, "U.K."

英国ロイヤル・オペラ・ハウスがヤナーチェク晩年の傑作《マクロプロス事件》上演

イギリスの11月の音楽シーンから、注目のオペラ公演やコンサートを現地よりレポートします。

久保 歩
久保 歩

新潟県出身。1996年から英国ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック、2001年からパリ・エコール・ノルマル音楽院でピアノを学ぶ。その後、ロンドン大学ロイヤル・ホロ...

音楽の友 編集部
音楽の友 編集部 月刊誌

1941年12月創刊。音楽之友社の看板雑誌「音楽の友」を毎月刊行しています。“音楽の深層を知り、音楽家の本音を聞く”がモットー。今月号のコンテンツはこちらバックナンバ...

英国ロイヤル・オペラ・ハウスの《マクロプロス事件》から © Camilla Greenwell

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英国ロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)がヤナーチェク《マクロプロス事件》(1926年初演)を初めて上演した(11月7日)。

遺産をめぐって約100年間続いているグレゴル家とプルス家の訴訟に決着がつくはずの日に、337歳の歌手エミリア・マルティが現れて遺言書の所在を言い当てる。

ケイティ・ミッチェルの演出では、エミリア・マルティ(アウシュリネ・ストゥンディーテ)はヤネクの恋人クリスタ(ヘザー・エンゲブレットソン)と出会い系アプリで知り合い、冒頭マルティが住んでいるホテルのスイートで関係を持つ。しかしヤネクとクリスタは詐偽師で、マルティが部屋を出ていくとクリスタはマルティの所持品を漁り始め、同時にマルティの過去を知ってゆく。

デザイナーホテルのような装置(ヴィキー・モーティマー)の上に設置された巨大スクリーンには、エミリア・マルティやクリスタのスマートフォン画面が写し出され、音楽の演奏中にテキスト・メッセージが急テンポで表示された。ヤナーチェク晩年の傑作の一つで、人間にとって永遠に生きるということの無意味さを抉り出した作品を、ここまで表面的で人間味の薄れた物語に書き替えた演出家にはあ然とした。

ミッチェルは、初日を控えたインタヴューで「オペラ業界における女性蔑視」を理由に、この公演を最後にオペラ演出から引退すると発言している。彼女にとってもっとも重要なことは、男性を虜にするエミリア・マルティに象徴される異性愛を女性抑圧の根源とみなし、エミリア・マルティとクリスタの同性愛によってフェミニズムを主張することらしい。ヤナーチェクが描こうとした、性別を超えた人間の存在自体に関わる物語は、舞台に現れなかった。

また、現代の設定に合わせるために、エミリア・マルティの年を字幕上で337歳から437歳に変更するといった台本の書き換えは、初めてこのオペラを見る観客に作品を誤解させるだろう。

音楽面でもばらつきが感じられた。ヤクブ・フルシャの指揮は「序曲」からいつになく色彩と躍動感に欠け、歌手はエミリア・マルティ役のストゥンディーテ、プルス役ヨハン・ロイターらが健闘していたが、同様に重要な登場人物であるアルベルト・グレゴル役ショーン・パニカーとハウク役アラン・オーケは存在感が薄かった。

フルシャ指揮フィルハーモニア管のマーラー

《マクロプロス事件》の公演の合間に、フルシャはフィルハーモニア管弦楽団の定期演奏会にも登場し、めったに聴かれないマーラー「交響曲第7番《夜の歌》」を振った(11月13日、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール)。

おとぎ話、空想の世界、子供の世界観に魅了され、ドイツ・ロマン派のジャン・パウルや、E.T.A.ホフマンの奇怪な幻想世界を好んだマーラーが書いた、異彩を放つ交響曲だ。リヒャルト・シュトラウスのオペラに象徴される当時のモダニズムから一線を画しているのが、大きな特徴となっている。

第1楽章の葬送行進曲のような序奏では遅めのテンポが取られたが、付点のリズムに重みがなく、ものものしい雰囲気はあまり感じられず、テナーホルン、そのほかの金管楽器も精彩を欠いていた。このため第1主題が出現したときのインパクトは薄く、弦楽器による抒情的な第2主題とのコントラストももう一つで、その後の楽想の急転の連続にはぎこちなさが感じられた。

第2楽章(ナハトムジーク)冒頭は第1ホルンが残念ながらことごとく音を外した。続く主部も幻想的な世界が描き出されずに終わってしまった。しかし、チェロによる長調の第2主題は滑らかで優美だった。スケルツォ楽章の第3楽章は主部では音を極度に抑えて軽くし、ようやく闇のなかにうごめくものたちが顔を出した。第4楽章(ナハトムジーク)はクラリネット、ギター、ハープなどによるセレナーデが、浮遊感のあるほのぼのとした雰囲気を醸し出した。

運動選手を思わせる素早い動きを特徴とするフルシャは、ピタリと合ったアンサンブルと楽団を掌握する破格の統制力を持っているが、これがいちばん生かされたのは第5楽章ロンド・フィナーレだった。夜明けを告げるような騒々しいティンパニで開始し、金管の筋肉質なファンファーレはエネルギーがみなぎっていた。全体を通して躍動感のある冴えたリズムは強く印象に残った。それとともに、おとぎの国にようやく訪れた幸福を思わせた、鐘やカウベルの鳴り響く最後も成功していた。

久保 歩
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新潟県出身。1996年から英国ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック、2001年からパリ・エコール・ノルマル音楽院でピアノを学ぶ。その後、ロンドン大学ロイヤル・ホロ...

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