
METが新シーズン開幕、ダーヴィドセンに注目

アメリカの9月の音楽シーンからニューヨークのレポートをお届けします。

ニューヨークのクラシック音楽エージェント、エンタテインメント会社勤務を経て、クラシック音楽を中心としたパフォーミング・アーツ全般について執筆、日本の戯曲の英訳も手掛け...
メトロポリタン歌劇場(MET)は9月22日、ヴェルディ《マクベス》の新制作上演で2026〜27年シーズンを開幕した。
今回の上演の最大の呼び物が、マクベス夫人を歌ったリーゼ・ダーヴィドセンであったことは、事前の宣伝からも明らかだった。アンナ・ネトレプコを依然として追放した状態であるMETにとって、ダーヴィドセンはいまや最大のドル箱スターである。本役は彼女にとって、今年5月にコペンハーゲンにおける演奏会形式の公演で手がけたばかりの役であり、舞台での演唱は今回が初めてだという。はたして彼女は、登場のアリア、王の暗殺を企てる場面のアリア、〈乾杯の歌〉、そして罪の意識に苛まれる〈夢遊の場〉と、要所ごとの見せ場で観客から最大級の喝采を浴びていた。
ダーヴィドセンの歌唱は、速いパッセージを処理するアジリタ(細かくて速い音符を転がすように歌う高度な技巧テクニック、コロラトゥーラと同義で使われる)が滑りがちであったものの、幅広い音域における劇的な跳躍など、全体として強いコミットメントが感じられた。とりわけ〈夢遊の場〉では、消え入るような高音も確実で、ひときわ高い集中力を示していた。それでも、この役に期待される強い性格表現を十分に聴かせるには、中低音域における声の威力や表現力に課題があったのではないだろうか。その無理強いしない歌唱は好感が持てるものであるいっぽうで、マクベス夫人の強烈さや多面性を遠ざけてしまうものでもあったかもしれない。
表題役マクベスは、前述の演奏会でもダーヴィドセンと共演したクイン・ケルシーが歌った。いつのまにか、METの代表的なヴェルディ・バリトンと見なされるようになった彼だが、声の威力という点では安定感があり、今回もMETの期待に応えたといえるかもしれない。惜しむらくは、その歌唱に往年のヴェルディ・バリトンに聴かれたような様式感やエレガンスが希薄なことだ。そのほか、バンクォー役のライアン・スピード・グリーンのエレガントな歌唱、マクダフ役のフレディ・デ・トマーゾの若々しい歌唱も好ましかった。ティルマン・ミヒャエル率いる合唱も、合唱がとりわけ重要な役割をはたす本作品を支えるのにふさわしい安定感を示していた。
にもかかわらず今回の演奏が際立ったものとならなかったのは、METの音楽監督ヤニック・ネゼ=セガンの指揮に推進力があまり感じられなかったからではないだろうか。通常、ヴェルディ前期作品に分類される《マクベス》には、ベルカントの様式感もまだ残されており、歌に寄り添うだけでない、ドラマを前へ進める強い推進力が求められる。ところがネゼ=セガンの指揮は、「前奏曲」から引き締まった様式感に乏しく、テンポも遅くなりがちだった。マクベス夫人とマクベスの間に強いケミストリーが感じられず、今という時代にも強い訴求力を持つはずの合唱曲〈虐げられし祖国よ〉が期待ほどの感銘を与えなかったのは、寄り添いすぎてしまうネゼ=セガンのアプローチによるところが大きかったように思われる。魔女たちの合唱も、指揮次第でさらにドラマを推進する力を発揮できたはずだ。
ルイーザ・プロスキーの演出は、回り舞台を多用して場面転換をスピーディーに行うが、全体のトーンとしては欧米の《マクベス》上演にありがちな薄暗い舞台に終始する。背景にはより現代を想起させる瓦礫が積み上げられ、爆撃によって裂かれたかのような開口部がプロセニアムの役割をはたす。そのなかで、テューダー朝あるいはエリザベス朝を思わせる衣裳をまとった登場人物たちがドラマを展開する。今回の演出は、そこに時代を超越した永遠を見いだすかどうかで評価が分かれるだろうが、少なくとも筆者には、巨大なMETの空間では、それほどニュアンスの感じられるものには思えなかった。
マクベス夫妻の行動を見守り、ときに彼らに介入する魔女たちの存在も、遠目には森の妖精のようにも映り、時代の証言者だったとしても中途半端ではないだろうか。冒頭からアクロバティックに振り付けられた戦闘場面も、ネゼ=セガンのテンポとの乖離が目立ち、それほど効果的に感じられなかった。しばしばカットされる最後のマクベスの独白を聴くことができたのは収穫だったが、鎧を外され、民衆に嘲笑されながら火刑に処されるマクベスを見せる演出は、ノーブルに響く合唱との対比を狙ったものだとしても、必ずしも成功しているようには思われなかった(9月22日、26日所見)。
《マクベス》のMET新制作は19年ぶりであったが、コロナ禍後の2021年以来続いてきた、現代に生きる作曲家による新しいオペラの新制作でシーズンを開幕するというMETの方針は、今回の上演でひとまず途切れたことになる。こうした転換を埋め合わせるかのように、METは9月24日、新たな観客層の開拓を目的としたイニシアチヴとして、これまでMETを訪れたことのないニューヨーカーを対象に、今シーズン7万枚のチケットを抽選で無料配布することを発表した。
本イニシアチヴはニューヨーク市と共同で進められるが、この発表にあたりMETは、民主社会主義者として知られ、今年、ニューヨーク市初のイスラム教徒として市長に就任したゾーラン・マムダニをMETの舞台に登場させた。同市長はSNSを巧みに利用して若年層の支持を拡大したことで知られるが、市長自身によるSNSを通じた発表は、大きな話題を呼んだ。

サンフランシスコ・オペラでオーケストラのストライキ
サンフランシスコ・オペラは、オーケストラとの契約更新にいたったものの、オーケストラのストライキによって初日からしばらく公演キャンセルに追い込まれた。クリーヴランド管弦楽団も、契約更新をめぐる対立からオーケストラがストライキに突入したばかりだ。ボストン交響楽団では、契約更新にいたったものの、アンドリス・ネルソンスの契約を更新しないとの決定に端を発した経営陣とオーケストラの軋轢が続いている。首都ワシントンD.C.のケネディ・センターは、ドナルド・トランプ大統領がみずからを会長に据えて以来、わずか19カ月で存続が危ぶまれるほどの危機状態に陥っている。このように芸術を取り巻く環境が厳しさを増すなか、観客動員率が75パーセント程度にまで落ち込んでいるMETが、売れ残った座席を解放することでオペラに初めて触れる観客を獲得し、その後も価格上昇が続くチケットを購入する観客に育てることができるのか。その成否が注目される。
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