
田代万里生×千住明対談【前編】クラシックとそれ以外、バリアを越えて活躍する二人に共通する想いとは?

ミュージカル作品を中心に、多彩な活動を続ける田代万里生さんが、愛するクラシック音楽を語る「万里生クラシック」。
今回は、田代さんたっての希望で作曲家の千住明さんとの対談をお届けします。東京藝術大学作曲科在学中から、ポップスからテレビや映画の音楽など幅広いジャンルで活躍してきた千住さん。同じように藝大で学び、ミュージカルの世界に羽ばたいた田代さんにとっては「先達」といえます。前編は、お二人の出会いから紐解き、千住明さんの音楽への姿勢や哲学を、田代さんが熱い共感を持って受け止めます。
「ESCOLTA」時代に出会い、12年ぶりに再会!
——今回、お二人は12年ぶりの再会だと伺いました。
田代 千住さんとはボーカルグループ「ESCOLTA」時代に初めてお会いしました。僕は藝大卒業後すぐに「ESCOLTA」のメンバーとしてデビューし、その後ミュージカルの世界に入りましたが、「ESCOLTA」時代が僕の人生のターニングポイントだったと考えています。「ESCOLTA」に入らなければ多分ミュージカルもやっていなかったと思うし、ましてやマイクを使って歌うなんていうことも思いもしなかった。
ただ、それまではクラシックという西欧の音楽を中心に勉強していたのが、だんだん英語圏の曲も歌うことになったりしていろいろと戸惑うことが多く、そんな中で千住さんが、当時の僕のクラシックの声楽の発声を活かしたメロディを書いてくださって、それがすごく心地よかったことを強烈に覚えています。
千住 たしか、「ブルーマーブル」「今も好きだから〜時は流れて」「パラダ」「愛の流星群~graceful version」、そして阿久悠さんが30年前にタイムカプセルに残した詩をもとにした合唱曲「いつかやがて〜30年後の子どもたちへ贈る言葉〜」の合計5曲をつくりました。
「ブルーマーブル」「愛の流星群」

東京藝術大学音楽学部声楽科テノール専攻卒業。埼玉県立大宮光陵高等学校音楽科声楽専攻(テノール)卒業。音楽の教員免許(中学・高校)資格を取得。絶対音感の持ち主でもある。3歳から母よりピアノを学び、7歳でヴァイオリン、13歳でトランペットを始め、15歳からテノール歌手の父より本格的に声楽を学ぶ。ピアノを三宅民規、御邊典一、川上昌裕、吉岡裕子、声楽を直野資、市原多朗、岡山廣幸、野口幸子に師事。13歳のとき、藤原歌劇団公演オペラ《マクベス》のフリーアンス王子役に抜擢。大学在学中の2003年東京室内歌劇場公演オペラ《欲望という名の電車》日本初演で本格的にオペラデビュー。その後09年『マルグリット』でミュージカルデビューを果たす。
近年の主な出演作に『キャプテン・アメイジング』『イノック・アーデン』『ラブ・ネバー・ダイ』『モダン・ミリー』『カム フロム アウェイ』『アナスタシア』『マチルダ』『マタ・ハリ』『マリー・アントワネット』『エリザベート』等。第39回菊田一夫演劇賞受賞。ミュージカルデビュー15周年記念アルバム「YOU ARE HERE」発売中。5月より『レッドブック~私は私を語るひと~』9月『アニオー姫』出演予定。
千住明(せんじゅ・あきら)
1960年東京生れ。東京藝術大学作曲科卒業。同大学院首席修了。修了作品「EDEN」は史上8人目の東京藝術大学買上、同大学美術館に永久保存。
代表作:ピアノ協奏曲「宿命」、「四季」、オペラ「万葉集」「滝の白糸」等。
ドラマ「ほんまもん」「砂の器」「風林火山」「VIVANT」、映画「愛を乞うひと」「黄泉がえり」「追憶」「こんにちは、母さん」、アニメ「機動戦士Vガンダム」「鋼の錬金術師FA」、NHK「日本 映像の20世紀」「ルーブル美術館」NHKスペシャル「平成史」「新・ドキュメント太平洋戦争」、中国ミュージカル「白夜行」、ゲーム「TRIANGLE STRATEGY」等、音楽担当作品多数。
日本アカデミー賞優秀音楽賞4回受賞等受賞歴多数。2019年には、天皇陛下御即位三十年記念式典にて天皇皇后両陛下による著作歌曲「歌声の響」の編曲とピアノを担当。三浦大知、千住真理子と共に記念演奏を披露。大阪万博PASONA館 “NATUREVERSR”のサウンドプロデュース担当。今年活動40周年を迎える。
東京藝術大学を中心としたクリエイティブグループ「SENJU LAB」主宰。
東京藝術大学、大阪音楽大学、徳島文理大学客員教授。2025年度文化庁長官特別表彰。
田代 これまでいろいろな方とご一緒してきましたが、今の僕から見ても、千住明というアーティストの多彩さ、たとえばオペラや純クラシックの作品をつくる一方でドラマや映画、アニメの音楽も手がけられている、そんな千住さんのルーツに興味津々で。今回、お会いするのは12年ぶりになるんですが、無理を承知で対談をお願いした次第です。
千住 ありがとうございます。僕は小学校から慶應義塾に通っていて、高校時代にはもうポップスの仕事をしていましたが、大学は慶應義塾大学の工学部に進みました。それは、父(注:経営工学者の千住鎮雄)が経済性工学という分野を作った人だったので、それを継いであげようと思ったからなんです。でも、いざ進学してみたら全然才能がないことがわかって(笑)、それで藝大を受け直して入りました。
——実は私は千住さんと藝大の同期なんですが、すでに大学入学時からプロとしてお名前はとどろいていたと思います。
千住 それがね、ポップスの世界の人からは「クラシックやるな」と言われていたし、クラシックの人からは「ポップスやるとダメになる」って言われていて、でも僕は果たして本当にそうなのかな、って疑問だったんです。
だって、当時すでに坂本龍一さんが活躍されていましたし、僕も絶対に二足の草鞋を履けると思って、師匠の南弘明先生に「両方の世界でやっていきたい」って言ったんですね。そうしたら先生は「藝大生のプライドを持ってやれ」と言ってくださって、当時学外の活動が制限されていた中で教授会に掛け合ってくれたりと、バックアップしてくださいました。

田代 僕も「ESCOLTA」を始めたとき、マイクを持って歌っただけで、クラシック業界の人からは「魂を売った」的なことを言われました(笑)。当時はオペラ歌手がミュージカルに出演すると「ミュージカルの人」とオペラ界から見られ、逆にミュージカル界からは「オペラの人」と言われ、どちらの分野でも部外者扱いされた時期があったので、その感覚はよくわかります。
千住 だから、こっちの世界とあっちの世界というバリアを取り払う、それが僕の役目だと思いました。
人に聴かれてこそ音楽は命を持つ
千住 そこで関わったのが2000年に東芝からリリースされた『〜the most relaxing〜 feel』というアルバムです。
田代 『feel』、めちゃくちゃ流行りましたね!2や3も出て。あと同じようなヒーリング系のアルバムで『image』というのもありました。あの頃はまだ「クラシカルクロスオーバー」

千住 これは坂本龍一さんも言っていたことなんですが、当時の日本には「大人の音楽」がなかった。80年代以降、日本のポップスでは小室哲哉さんが流行っていましたが、もちろん彼の音楽は素晴らしいですけれども、いずれ大人になったときに、やっぱり趣味のいいワインのような音楽があるべきだと思って作ったのが『feel』です。大人の耳を育てるという意味があった。
田代 『feel』はいろいろなジャンルの曲が入っている、いわゆるコンピレーション・アルバムでしたね。
千住 そう。一種のカタログ・ミュージックで、大人の耳を育て、客層を増やすという狙いがあったんです。そこから今度はクラシックをポップス化する、という流れが出てきて、そうして生まれたのがESCOLTAだと思います。
田代 そういうことなのか! 全然知らなかった(笑)。
千住 僕の基本的なコンセプトは、人に聴かれる音楽を書くということ。だからエンタテインメントも入ってくる。人に聴かれない音符を書くのはかわいそうじゃないですか。音楽っていうのは人に聴かれて初めて命を持つものですから。

田代 千住さんのそういう考え方は、どこからきたものなんでしょうか?
千住 僕の父は経営工学者としてトヨタやコカ・コーラなどの企業や社会人教育機関に教えに行っていたのですが、その際、非常に簡単な例え話をするんですね。たとえば、「雨が降ってきたときに走るのと傘をさして歩くのと、どっちが濡れると思いますか」という風なね。僕は「どうして小学生でもわかるような話し方をするの?」って聞いたら、「専門家っていうのはやさしい言葉でしゃべるんだよ。難しいことを言うのは、本当の専門家じゃない」と語ってくれたんです。この教えは僕ら兄妹に大きな影響を与えています。
ただ、単にやさしくするだけでなく、専門家が聞いたときにも「なるほど」と思わせる深みがあるということが重要で、奇しくもそれは先ほど紹介した「何をやってもいいけれど藝大生のプライドを持ってやれ」という南先生の言葉と重なるんです。
田代 それは基礎がしっかりとしているからこそ、できることでもありますよね。それと、僕の尊敬する劇作家・井上ひさしさんの有名な言葉、「
千住 その通りです。声楽家でも基礎があるから安心して任せられる、というのがすごく重要だと思います。
後編では、オペラとミュージカルの制作の違い、日本と中国のミュージカル事情などをさらに掘り下げます。どうぞお楽しみに!





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