連載
2026.01.27
【Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画】ピーター・バラカンの新・音楽日記 44

ボブ・ディランの「ブートレグ・シリーズ」第18集は若き日の貴重なライブ録音を含む8枚組!

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。

●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2026年1月号に掲載されたものです。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

イラスト:酒井恵理

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ミネソタ州の田舎町ヒビングからグレイハウンド・バスに乗ってやってきた青年

2025年の初めに公開された映画『名もなき者』で、1960年代前半のボブ・ディランの目覚ましい成長ぶりが改めて注目の的になりました。その映画がきっかけになったかもしれませんが、今度その時期を多くの未発表音源で裏付ける素晴らしいボックス・セットが発売されました。長年続いているディランの「ブートレグ・シリーズ」、今回はVol.18、『Through The Open Window 1956-1963』というCD8枚組です。

映画『名もなき者』

ブートレグ・シリーズVol. 18『Through The Open Window 1956-1963』

1956年というとボブ・ディランはまだ15歳でした。その年のクリスマス・イーヴに、彼が住んでいたミネソタ州の田舎町ヒビングからグレイハウンド・バスに乗って、州都ミネアポリスの隣町セイント・ポールのミュージック・ショップで、友人と従兄弟と3人で78回転のSP盤を吹き込みます。曲は当時流行っていたロックンロールの「Let The Good Times Roll」。たかだか37秒の音質の悪いこのアセテート盤で、若きボブ・ジママン(Zimmermanは英語ではこう発音します)は初歩的なピアノを弾き、リード・ヴォーカルも担当します。決して巧いとは言えないものですが、熱意が伝わるこの録音の歴史的価値は極めて高いです。

ヒビングの友人の家で録音した1956年の自作曲が1曲、60年に引っ越したミネアポリスの自宅で歌ったブルーズとフォークの歌が2曲、そしてニューヨークに出る直前、60年暮にウィスコンシン州マディスンで知り合ったギターの上手なダニー・カルブとの共演を含む3曲が収録されています。当時19歳のディランは、ミネアポリスでもマディスンでも大学生が中心のフォーク・シーンに魅力を感じ、特にウディ・ガスリーの曲を多く歌っていて、61年の初頭にはウディが40年代から住んでいたニューヨークを目指して、それまで育った中西部を後にします。

ボブの姿がまるでドキュメンタリー映画のように

今回のボックス・セットはディランの研究者でもあるショーン・ウィレンツが中心になって編纂されています。19歳でウディ・ガスリーのフォロワーの一人としてニューヨークに現れた61年1月から、3000人も収容するカーネギー・ホールをいっぱいにする63年10月までの短い間に、普通では考えられないほどの才能を発揮していくボブ・ディランの姿が、まるでドキュメンタリー映画のように浮かんでくる内容です。

録音の場所はニューヨークで知り合った人たちのアパートだったり、フォーク・シーンの現場となっていたグレニッジュ・ヴィレッジの色々なコーヒー・ハウス(つまりフォーク・クラブ)だったりすることが少なくないです。まだカセットというものが存在する前の時代なので、オープン・リールのテープ・レコーダーを持つ人がけっこういたということになります。中にはラジオ番組の録音もあり、シンシア・グディングが持っていたフォーク・ミュージックの専門番組で、ディランの初期のオリジナル曲が62年3月に早くも公共の電波に乗っていました。

これまで見たことがない写真も豊富に入り全曲の英詞と日本語訳も付属

この時期は、ウディ・ガスリーやトラディショナルのフォーク・ソングのメロディを拝借しながら自作をどんどん作り始めていました。ウディが得意としたトーキング・ブルーズ(いうならばフォーク・ラップのようなもの)の形をとった作品がいくつかあり、初期のアルバムにも収録されていますが、問題になった曲もありました。「Talkin’ John Birch Paranoid Blues」です。

ボブ・ディラン「Talkin’ John Birch Paranoid Blues」

ジョン・バーチ・ソサイエティは1958年に誕生した極右の政治団体で、冷戦の最中だったこの時期に共産主義との闘いでフォーク・シーンに多かった左翼の人たちと敵対する存在でした。彼らのことを面白おかしく揶揄したディランのこの曲を2作目のアルバムに収録するはずでしたが、発売ぎりぎり前になってレコード会社の弁護士から、名誉棄損で訴えられる可能性があるということでストップがかかり、大幅にアルバムの内容を変更したことが詳しく解説で書かれています。その解説は120ページほどのハード・カヴァーの本の仕様で、これまで見たことがない写真も豊富に入っています。国内盤にはその完全な日本語訳、そして全曲の英詞と日本語訳がついています。

貴重な曲が聴けるライブなどキュレイションの教科書だ

ディランはプロテスト・ソングで知られているものの、実際にそういうメッセージを持った歌を作っていた時期は短く、公民権運動などの政治活動に深く関わっていたガールフレンドのスージ・ロトロからの影響が強かったし、グレニッジュ・ヴィレッジに集中していた当時のフォーク・シーン全体の空気も大きかったです。とは言え、そこに出てきたディランはあっという間に周りが驚くような曲を作るようになり、ミネアポリスから出発する前の彼を嘲笑っていたような仲間が、たまに里帰りする時に聞かせる歌を聴いて愕然とするほどの変身ぶりでした。

まだ全国的に有名になる前のディランはすごい勢いで新曲を作り、しかも誰も聴いたことがないような表現で他の歌手たちも耳を疑う姿が解説から伝わります。

最初の3作のアルバムのために録音したのに収録されなかったアウトテイク、ハーモニカ奏者として共演したセッションなどもあり、ライヴでは63年に初めて出演したニューポート・フォーク・フェスティヴァルの他、最後のCD2枚では63年10月26日のカーネギー・ホールのコンサートが丸々収録されています。その後なぜか二度とライヴで歌わなかった名曲もあり、必聴の内容です。このセットは実にキュレイションの教科書といえます。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

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