シューマンのバイロイト旅行とジャン・パウルが愛した幻のビール
京都産業大学外国語学部助教。専門は18世紀の文学と美学。「近代ドイツにおける芸術鑑賞の誕生」をテーマに研究し、ドイツ・カッセル大学で博士号(哲学)を取得。ドイツ音楽と...
1828年4月、18歳のロベルト・シューマンはバイロイトを訪れた。当時、バイロイト音楽祭はまだ開催されていない(祝祭劇場の完成は48年後)。
なぜ、シューマンはこの町に立ち寄ったのか。彼は日記に旅の様子をメモしている。
ロルヴェンツェライ―幸せな語らい―ジャン・パウルの部屋と椅子―陽気なバイエルン人―ジャン・パウルを回想―幻想の世界を散歩―湿度計―酒場―(中略)―ビールに酔う―バイエルン人―大量のビール
1828年4月25日のシューマンの日記より
シューマンは、大好きな作家ジャン・パウルの足跡をたどろうとしたのだ。ジャン・パウルは、皮肉や機知に富んだ小説を残し、1825年にバイロイトで亡くなった。長編小説『巨人』は、マーラーの「交響曲第1番《巨人》」の題材にもなっている。
町外れの宿ロルヴェンツェライは、彼が多くの作品を執筆し、毎日ビールを飲んでいた場所だ。
この宿では、出来立てのビールを味わうことができた。かつて、ビールはこうした街道沿いの宿や修道院で作られていたのだ。シューマンは宿に残された書斎を見学し、作家の愛したビールを味わった。余程嬉しかったのか、どうやら飲み過ぎてしまったようだ。
バイロイト訪問は、若き作曲家の創作意欲をかき立てた。
翌年シューマンは、ジャン・パウルの小説『生意気盛り』に触発され、ピアノ曲《蝶々》Op.2の創作に取りかかった。「仮面舞踏会」の場面を音楽で表している。シューマンが所有していた『生意気盛り』に、曲の番号(全12曲)がメモしてあるため、物語のどの部分から影響を受けたのか明らかになっている。題名が違うのにここまで影響関係がはっきりとわかるものは珍しいだろう。
主人公のヴァルトは、ある資産家の遺産を受け継ぐことになる。相続には条件があり、ヴァルトは指定された職務を果たし、実務能力を身に付けなければならない。しかし、弟プルトが現実主義者であるに対し、兄のヴァルトはどうしても詩人気質を捨てきれずにいる。この対照的な兄弟は、人間が持つ二面性を表している。
シューマンは、晩年の病床でもこの作品を読んでいた。
現在のロルヴェンツェライはジャン・パウル記念館になっており、もう往年のビールの味を確かめることはできない。しかし、ラガービールが普及する前だったことをふまえると(「R.シュトラウスのオペラ《薔薇の騎士》が献呈されたプショル家が作るヘレスビール」参照)、2人の天才が飲んだのは、麦の甘みが前面に出た赤褐色のボックビールだったと考えられる。ぜひ《蝶々》に耳を傾けながら、そのビールがどんなに美味しかったのか、想像してみたい。
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