三大「お腹がすくオペラ」〜1週間、豆しか食べられない主人公を観て何を思う?
10月の特集は「食」!
オペラにおける印象的な「食」を、音楽ライターの飯尾洋一さんがナビゲート。食欲の秋にピッタリな、観ていてお腹がすくオペラはどれだ……?!
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
オペラの食事シーンでグッとくるのは?
オペラと空腹は切っても切れない関係にある。なにしろオペラは長い。夜の上演であれ、昼の上演であれ、いつ食事をとればいいのかわからなくなる。おおむね休憩が長めに設定されるので、休憩中に急いで軽食をとることも多いのだが、うっかり食べそこねると次の幕で空腹に襲われる。
そこで選んでみたのが、三大「お腹がすくオペラ」だ。経験上、オペラを見てお腹が空くのは、《椿姫》のパーティーシーンや《エフゲニー・オネーギン》の宴会シーンのような、単に立派な料理が並ぶ場面ではなく、なにか特殊なシチュエーションで「グッとくる」ことが多い。
第3位:《ドン・ジョヴァンニ》のグッとくるつまみ食い
まずは第3位。モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》の第2幕、ドン・ジョヴァンニの晩餐のシーンだ。オペラ的にはここで騎士長の石像がやってくるところが見せ場だが、食欲的なハイライトはその前段階にある。ドン・ジョヴァンニが晩餐を楽しむのを見て、従者のレポレッロはたまらず主の目を盗んでつまみ食いをする(バレているのだが)。
ゴクリッ。
なんてうまそうなんだ。この「豪勢な料理をひそかにつまみ食いをする」というシチュエーションが「グッとくる」ポイントだ。つまみ食いを見つけたドン・ジョヴァンニが、イジワルにもレポレッロに口笛を吹けと命ずるとき、わたしたちの口腔内には空想上の極上のキジ肉が出現し、大量の唾液を分泌させる。
第2位:空腹が物語の隠れたテーマ、《ヘンゼルとグレーテル》
第2位には、フンパーディンクの《ヘンゼルとグレーテル》を挙げたい。森で迷ったヘンゼルとグレーテルの兄妹は、お菓子の家にたどり着く。子ども時代、「お菓子の家」というパワーワードに胸を躍らせなかった者はいないだろう。家全体がお菓子だというのなら、いったいどこから食べればいいのか。
だが、もちろん、これは魔法使いの罠だ。魔法使いは兄妹を捕まえて食べてやろうと企んでいる。兄妹はお菓子を食べようとしているが、魔法使いは兄妹を食べようとしている。食うか、食われるかの関係がここにある。
そもそも、この話自体の本質的なテーマは「食」にある。もっといえば「飢え」だ。作曲家フンパーディンクは、原作にある棘をきれいに取り払っているが、元来の「ヘンゼルとグレーテル」は、飢饉により困った両親が口減らしのために子どもを森に捨てる話である。親も空腹、子どもも空腹、魔女も空腹。そんな全面的な空腹ストーリーを前にして、観客が空腹を覚えずにいられるだろうか。
《ヘンゼルとグレーテル》第2幕より
《ヘンゼルとグレーテル》お菓子の家が登場する第3幕
第1位:1週間ひたすら豆を食べさせられる《ヴォツェック》の主人公
そして、第1位はこれしかない。ベルクの《ヴォツェック》だ。貧しい兵士ヴォツェックは、愛人と子どもと養うために医師の人体実験のモルモットになっている。しかし愛人は貧乏暮らしに倦み、鼓手長と浮気をしている。愛人の裏切りに気づいたヴォツェックはナイフで彼女を殺し、やがて狂気とともに池で溺れ死ぬ……。
そんな救いのないオペラだが、初めて観たときから気になったのは、第1幕で医師が登場する場面。マッドサイエンティスト風の医師は、お金を払ってヴォツェックで人体実験をしている。今週は豆しか食べてはいけないという。
豆づくし、だと? いったいどんな料理なら食べられるのかと考えてみると、私たちは日頃から豆料理をたくさん食べている。まっさきに思い浮かぶのは、豆腐と油揚げの味噌汁。豆腐、油揚げ、味噌、ぜんぶ大豆だ。これに納豆と枝豆を付けてもよい。ふっくら煮豆もいいだろう。意外と医師の指示する食生活はヘルシーな気もする。しかも医師はヴォツェックに対して「来週は羊肉だけを食え」と命ずる。
じゃあ、毎日、ジンギスカン……?
羊肉は高たんぱく低コレステロールでミネラル豊富だという。医師はヴォツェックに健やかな食生活を求めているのではないか。無化調ならぬ無調オペラが連想させるのは、おいしくて健康的な食生活なのだった。
《ヴォツェック》第1幕
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