【特別対談】林田直樹×藤田令伊 「知識の有無」は鑑賞を左右するのか?
知的好奇心をくすぐる異分野プロフェッショナル対談、第1回はアートライターの藤田令伊さんをゲストにお迎えして、ホスト・林田直樹でお届け。“好奇心”“エロスと死”など興味深いワードが飛び交った前編につづいて、後編では“知識”についてのお話です。芸術やクラシック音楽について「たくさん知っていること」は、果たして良いことなのか?
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
アートライター、大正大学非常勤講師。単に知識としての「美術」にとどまらず、見る体験としての「美術鑑賞」が鑑賞者をどう育てるかに注目し、楽しみながら人としても成長できる...
国立音楽大学演奏学科鍵盤楽器専修(ピアノ)卒業、同大学大学院修士課程器楽専攻(伴奏)修了を経て、同大学院博士後期課程音楽学領域単位取得。在学中、カールスルーエ音楽大学...
評論家は自分の知見をひけらかすために、“導く”のではなく“通せんぼ”しがちである
藤田:こういうことばかりを話していると、知識がないとクラシックや美術に親しめないのかと一般の方はビビってしまう可能性がありますよね。現代美術やアートに向き合う人とお話するときにいつも気を付けていることなんですが、初心者向けの美学や哲学の入門書を書いている佐々木健一という美学者が言っていることで、アマチュアリズムを忘れてはいけないという言葉があります。これは名言だと思います。ついつい逆になりがちですよね。「こんなに知っている」「こんなに鋭い」ということを見せたくなりがちですから。
林田:ガイドをするときに大切なのは、作品と鑑賞者の人の間に橋渡しをすることですよね。いわゆる評論家、ライターの人は自己PRをしたいがために音楽と聴衆との間に“通せんぼ”をしてしまいがち。これはよくないですよね。なので、とにかく通せんぼをしないように、ということを大切にしていますね。
例えば、私は解説を書くときに“ソナタ形式”という言葉をなるべく使わないようにしています。その言葉の意味は、あまりにも大きすぎます。ベートーヴェンとブラームス、シューマン、それぞれの違いなど、語りきれないし、それを初心者向けの解説に、第1楽章ソナタ形式などと無造作に書いてしまっても、かえって遠ざけるだけですよね。もちろんありとあらゆる音楽用語を取り去ってしまうと、楽曲解説として成立するかというと難しい問題はあるのですが……。
言い回しの問題もあります。“いうまでもなく”とか“良く知られているように”とか。という表現は絶対使ってはいけないですね。
藤田:アートも一緒です。現代アートの世界が典型的ですね。この作品は“アプリオリ”にどーたらこーたらとか……。これは哲学を勉強した人なら知っている言葉でしょうが、安易に使っているのを見ると、配慮が足りないなと。このひと言で“導く”のではなく“通せんぼ”する文章になってしまう。
知識には種類がある
藤田:言い方、量、順番が大切ですね。私は授業でこれらを段階的に出すようにしています。やはり知識が一定の力をもっていることは事実で、「美術鑑賞に知識はいらない」という人もいますが、知識は否応なしに押し寄せてくるものでもあり、美術の本も雑誌もテレビも、見れば知識ばかりです。なので、知識とどう付き合うかを教えることが大事になってきます。
ひとつは知識には種類があるということを伝える必要があると思います。まずは「事実情報」。これは客観的な事実を伝えるだけのものです。次に「価値情報」。これは発信者の価値判断を含んだ情報です。この2種類があって、場合によっては入り混じっています。これを自分の中で整理して受け止める必要があります。事実情報はデータとして蓄積すればいいし、価値情報はあくまでも発信者がそう思っているものですから、参考として受け入れるようにすればよいと思います。
林田:価値情報であることを表明している限りにおいては、価値情報も重要ですよね。例えば、「コレすごくいい曲だから聞いて」というのは価値情報ですが、主観だということをハッキリ表明している限り、さほど害をもたらしません。「いっしょに食べようよ」というような意味で、そういう誘いは不可欠だと思います。気をつけないといけないのは事実情報と価値情報を混同してしまうことでしょうね。
藤田:それらがミックスされてしまっていますよね。授業やセミナーでは、価値情報はあくまでも参考にして、最後には自分自身の価値情報を大切にしてほしいと伝えています。
蜜蜂に習いなさい――フランシス・ベーコン
藤田:あと言っているのは、哲学者のフランシス・ベーコンが言っている「蜜蜂に習いなさい」ということ。蜜蜂は花粉や樹液、花の蜜を集めていますよね。でも巣に帰ってやることは、それらを自分たちで加工してハチミツにするということ。すなわち「自分のもの」にしている。知識や情報を得たとき、それが大切です。ジョン・ロックはこれを「知識化」と言っています。それが本当の意味で知識を役立てるということかなと。
林田:自分がそう聴いた、感じた、ということを大切にするのはクラシック音楽でも一緒です。どんなに詳しそうな人が自分と違う意見を言っていたとしても、それに負けず、自分が感じたものを大切にしてほしい。
現実問題として、文句なしに最高だったとか自分としては駄目だったという極端なものだったら価値判断しやすいんですが、実際はその中間地点だったということが多いじゃないですか。こうなると自分ではっきりと結論づけられないので、権威の人の意見にひっぱられることが多くなって、それを正解、と思ってしまう。
でも実際、誰かがその演奏や作品を判断する特権はもち得るはずがないんです。そこを踏まえればいいと思います。つまり誰かが正解をもっていると思いすぎなければいいということ。
クラシック音楽を鑑賞するとき、知識はなくても深いところに入っていけると思いたいのですが、じゃあ知識は必要ないのかというと、そんなことはないんです。そこで私は知識を“助けてくれるもの”と考えるようにしています。
絵の場合だと、この絵を誰がどんな状況で書いたかということを抜きに作品そのものを観ることが基本で、まず実物を見ないと。複製とかそういうものにはない実物ならではの力は美術にはありますよね。ある程度生のものと対峙して会話して、その絵と時間を過ごすことで得られるものが大事だと思います。知識はあくまでも副次的なものなんです。
藤田:知識は部下と考えるべきと提案しているので同じ考えです。やはり見てほしいし、聴いてほしいですよね。
《運命》の動機を思って聴くのか?
藤田:知識といえば訊きたいことがあって……。美術の場合はいろいろな見方ができます。エモーショナルな見方とか、分析的な見方など……。音楽ももちろんそうだとは思うんですけど、一般論として、絵と音楽を比べると、音楽の方がエモーショナルなものに訴えかける部分が強い芸術だと思うんです。聴き手もエモーショナルな聴き方するということが多いのではないかと。そういう中で“知識をもって聴く”、というのはどういう聴き方になるのでしょう。
林田:教養だと思って聴くのかもしれないです。ベートーヴェンが耳が聞こえなくなり苦しんで自殺しようとして、でも頑張って《交響曲第3番》(英雄)を書いた、というようなことが“知識”ですよね。こういうストーリーがあると、曲を理解するきっかけや助けになるのかもしれません。
藤田:オーケストラがバーッと演奏している中でそういうことを意識して聴くんですか?
林田:そういう部分はあると思います。例えば《運命》は、ベートーヴェン自身がタイトルはつけていません。でも弟子のシントラーが“ベートーヴェン先生が運命は扉を叩くと仰った”っていうから《運命》という副題がついた。……実はこのタイトルは商業主義によってつけられたものなんです。つけたほうがキャッチーですからね。その証拠に、外国でプログラムとかCDのブックレットを見ると《運命》なんて副題はついていないんです。輸入盤で1枚だけ《fortune》と書いてあるものはありましたが……。
藤田:あの“ジャジャジャジャーン”を聴くと“運命の動機だ!”と思ってしまいますね。
林田:曲目解説にも“いわゆる運命の動機だ”とか書いてありますけどね。この曲については最近、全然別の解釈も出てきているんですよ。指揮者のアーノンクールが研究して調べた結果、ベートーヴェンが書いたもっとも政治的な交響曲であると言っているんです。当時の帝都ウィーンはもっとも検閲の厳しい警察国家で、自由にものを言えない世の中でした。一度はナポレオンによってヨーロッパ全体に広まった“自由”という考え方と完全に逆方向にいってしまった失望の中で、《交響曲第5番》の第1楽章は政治的な圧政、第3楽章と4楽章は歓喜のファンファーレ、まさに解放のアジテーションだと。
藤田:そうすると《第5番》を《運命》と言っているのは壮大なる刷り込み教育をしている可能性がありますね。これは鑑賞論の世界ではもっともやってはいけないこととされています。我々は刷り込まれている可能性が高いですね。
林田:そういうケースは色々なところにあるんでしょうね。ベートーヴェンのあの曲を《運命》というのは事実としての知識ではないんですよね。みんな事実として思い込んでいるけれど……往々にしてみんなが事実と思っていることがひっくり返ることってありますからね。
藤田:いつか運命というタイトルがひっくり返ることはありますかね? 《運命》をやめようと。
林田:僕は“運命やめよう推進委員会”の会長をやりたいくらいなんですけどね(笑)。でも、みなさんやめないですよね。
藤田:非常に驚きをもって聞きました。やはり知識や情報っていうものは怖いな。気をつけて扱わないと。
林田:やはり作品そのものに対峙することに尽きると思うんですよね。
藤田:素直な、先入観のない感受性は本当に大切ですよね。あるセミナーでギリシア人画家、エル・グレコの『オルガス伯の埋葬』という、世界三大絵画にも選ばれたりする名画を扱ったことがありました。これはオルガス伯という貴族の埋葬の場面で、土気色した顔の死者の周りに立っている人々が下に描かれていて、その上にはマリアとイエス・キリストがいてそれを見ている……という絵になっています。
藤田:これをある受講生が「これは素晴らしい、世界三大絵画といわれるだけある」、とおっしゃったんです。それで、「どこがいいのですか?」と訊いたんですね。そしたらその受講生は「これは幸せな絵」だと。そのときは正直、「ピンボケなことを言っている」と思ったんです。だって葬式の絵ですからね。そこで、重ねて「どういうところに幸せを感じるんですか?」と聞いたら、「上にマリアさまとイエスさまがいて、下は現実の世界になっている。上の二人は私たちを見守ってくださり、マリアさまとイエスさまの愛が降り注いでいるように私には見える」、と答えられたんです。
それを言われて、あっと思いましたね。そういわれてはじめてその人のおっしゃる幸せな絵というのがわかりました。僕は知識に刷り込まれていたんです。これは葬式の絵で、世界三大絵画と言われているから値打ちがあると。でも、その人にはそういう先入観がなかった。あれほど知識との付き合い方に気をつけなきゃと思っていたのに……と反省しました。
アートがもたらしてくれる「宝物」こそ、人間的成長を助ける
林田:アート鑑賞は楽しみでありながら人間的成長ができる稀有なものと、藤田さんは著書で書いていますね。クラシックも人間的に成長させてくれると強く想うんです。やはり“聴く”という行為自体がそうかなと。クラシックはまず時間が長くて、2~3分じゃ終わりません。そこには集中力と忍耐力、全体を把握する力が必要です。それって人間のとても大切な基本力だと思う。表面だけすくいとって“わかった”は知的じゃなくて、わからないものに対峙して格闘して理解しようと努めたり、わからないなりに快感があって引っ張られるということがとても大切なんです。それが人間的に成長することにつながるのではないかと。
藤田:美術もそうです。一般的な鑑賞者の人が美術鑑賞と向き合う中で汲みとってほしいのは、よき思い出を一つでも数多く積み重ねてほしいということなんです。これは編集者だった時代に、作家の佐藤愛子さんから聞いた言葉です。最初はよくわからなかったけれど、今はわかります。“よき思い出”にはありとあらゆるものが集約されています。感動体験や人に役に立ってよかったと思うこと、おいしいものを食べたときの経験など、ありとあらゆるものが集約しています。それがひとつでも多いことは良い人生であるということにつながります。普通の人が美術に向き合う中で汲みとってほしいのはそれなんです。
林田:別の言い方をさせてもらうと、無形の財産をもつということかなと。
たとえば素晴らしい絵をみたとき、絵を見てる時間って長くても3分とか頑張っても30分ですよね。
藤田:多くの人は30~40秒ほどしか見ていないという研究もあります。
林田:自分の場合ですが、バチカンのシスティーナ礼拝堂にいったときに、ミケランジェロの『最後の審判』を見ました。その時間は30分くらいだったと思うんですが、自分の中で記憶として、大事に大事にあのとき感じた色彩や印象を抱えているんです。あの絵と過ごした時間が財産になっている。音楽でも、バーンスタインが指揮したマーラーの《交響曲第9番》を生で聴いたということが大事な財産になっています。聴いていたのは1時間半ほどだけど、その後の人生の中での“無形の宝物”になっていて、自分の人生を照らし続けています。鑑賞はそういう宝物を持ち続けることだと思う。
藤田:それはやはり林田さんが自分でなにかを感じて気づいたからですよね。30分も同じ絵を見ているなんて尋常じゃないけど、それほどのものを感じたということでしょう。
程度はいろいろで、よかったなでもいいし、涙がでるほど感動するんでもいいんです。知らなかった世界に目が開く、でもいい。とにかく自分でなにかに気づいて良い思い出にしてもらえたらいいと思う。
(対談おわり)
アートや音楽は一見“高尚”なものに見えたり、壁を感じてしまうことがあるかもしれません。でも実は日常や、皆さんの好きなものの中にいつも溶け込んでいるものなのです。そのことに気がつくだけで、もっと普段の生活も充実したり輝きだしたりするかもしれません。ぜひアートやクラシック音楽の扉を開けてみてください。皆さんの生活がもっとステキなものになるはずです!
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1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
アートライター、大正大学非常勤講師。単に知識としての「美術」にとどまらず、見る体験としての「美術鑑賞」が鑑賞者をどう育てるかに注目し、楽しみながら人としても成長できる...
国立音楽大学演奏学科鍵盤楽器専修(ピアノ)卒業、同大学大学院修士課程器楽専攻(伴奏)修了を経て、同大学院博士後期課程音楽学領域単位取得。在学中、カールスルーエ音楽大学...
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