外国の地名が、聴覚と味覚をむすびつける
ソーセージ、キッシュ、ピッツァにパエリャ......。こんな西洋の素敵な料理たちは舌だけに美味しいわけではないかも? 白沢さんの連載2回目では、ひとつひとつの料理からその国の音楽に思いを馳せる。そんな楽しみ方をご紹介くださいます。
英文学専攻をへて青山学院大学大学院で西洋美術史を専攻(研究領域は「19世紀フランスにおける17世紀オランダ絵画の評価変遷」)。音楽雑誌編集をへて輸入販売に携わり、仏・...
外国の地名を聞くと、とっさにその場所の風景に思いを馳せてしまう……と同時に、無意識に妄想のスイッチが入ってしまう。そういう方は意外に少なくないのではないでしょうか。
すでによく親しんでいる地名なら、何か具体的なイメージとともに。よく知らない場所や初めて聞いた地名なら、どこか神秘的な魅力をもって……いや、必ずしも魅力的なイメージが沸くとは限らないかもしれませんが。ともあれ、何かしら期待感のようなものをまとった外国の地名にふれる機会になりやすいのは、やはり、何らかの楽しみのなかでその地名に出会うとき。
ONTOMOはクラシック音楽の出版社から生まれたWebマガジンですから、今はクラシック音楽にからめて、そのことについて考えてみようと思います。
日々の暮らしのなか気軽に接することができて、ひととき非日常の時間にも連れて行ってくれる……音楽にそういう側面があるとすれば、同じことは“食”にも言えるかもしれません。とくに、自分たちが長年親しんできたのとは少し違う、独特な味わいをもった外国の料理や飲み物は、時としてそれを口にしているあいだ、ひととき“旅”の気分を味あわせてくれることも。
舌と耳。この二種類の体験を重ねてみると、日常のちょっとした非日常的時間はひときわ濃密に、印象深いものとなってきます。
そこで“何を口にするとき”“何を聴くか”を考えるのに「外国の地名」を軸にしてみたら……。
たとえば、お歳暮などで届くドイツ流ソーセージ。
最近では贈答用のしっかりした品に限らず、巷の食品店などでもよく、ドイツ流の本格的な製法を意識したソーセージを見かけます。チューリンガー、クラカウアー、ニュルンベルガー、ミュンヒナー・ヴァイスヴルストなどカタカナ語の名前がついていることもよくありますが、それらは発祥の地にちなんだ呼称。フランクフルトソーセージやウィンナー(ウィーン流)というのと同じで、今上げた例ならそれぞれチューリンゲン流、クラクフ流、ニュルンベルク流、ミュンヘン式白ソーセージという意味です。
白ソーセージ×ラインベルガ―
ドイツのチューリンゲン地方といえば、ヴァイマールやアイゼナハ、大学都市イェーナなどの古都があるところ。音楽でいえば大バッハの故郷でもあり、パッヘルベル、フンメル、リスト……と数多くの作曲家たちが活躍をみせた場所です。香草の効いた白いチューリンガーソーセージを上手に焼けたなら、彼らの作品を聴きながら食事をすればドイツ旅行の気分が味わえるかも(実際チューリンガーソーセージは17世紀以前からあったそうですから、ちょっとした時間旅行にもなるかもしれません)。
にんにく風味の効いた、焼いても茹でてもおいしいクラカウアーソーセージなら、昔からドイツ語話者も多く行き交ってきたポーランド南部の古都に想いを馳せて、かの地の舞踏に根ざしたショパンのクラコヴィアクを聴きながら……。ミュンヘン名物の白ソーセージなら、このバイエルンの王都と切っても切り離せないリヒャルト・シュトラウスやラインベルガー、ワーグナーなどの音楽が似合うかもしれませんね。
ラインベルガー(1839-1901)〈九重奏曲〉より/ シュトゥットガルト九重奏団(SWR music SWR-10140)
キッシュ・ロレーヌ×ボワモルティエ×シュミット
洋風総菜のお店やパン屋さんにあるキッシュ・ロレーヌ(卵と肉を使ったクリーミーな中身のパイ)からも、妄想は膨らみます。フランス東部のロレーヌ地方は、ドイツ語圏だった時代も長い複雑な歴史をもつ地域……文化的にも豊かで、画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールやクロード・ロランの故郷としても知られるほか、古くはマダンやボワモルティエなどロココ期の名作曲家たちを、あるいはピエルネやフローラン・シュミットなどフランス近代音楽の名匠たちを輩出しています。キッシュ・ロレーヌのように広く知られている伝統家庭料理は、たいてい起源や“本当の”レシピをめぐって静かな議論が沸き起こっているものですが、18世紀のボワモルティエや20世紀初頭のシュミットはどんなキッシュを食べて育ったのだろう……?などと想像しながら食事する時間はきっと、少し豊かなひとときになるのではないでしょうか。
ボワモルティエ(1689-1755)〈トリオによるソナタ ホ短調〉作品37-2より/アンサンブル・ル・プティ・トリアノン(Ricercar RIC-381)
フローラン・シュミット(1870-1958)〈そして牧神は、月夜の麦畑にそっと、身をひそめ〉/ローラン・ヴァグシャル(ピアノ) (Timpani 1C1219)
ナポリ流ピッツァ×スカルラッティ
“真の”製法を公に認定する機関まで存在するナポリ流ピザ(いや“ピッツァ”と呼ぶべきでしょうか)の場合は……? 数百年来のオペラ大国ナポリ、一緒に聴くべき音楽には事欠きません。今や世界的な存在となったピザですが、その“真の”姿はナポリでは18世紀初頭まで遡れるそうですから、せっかくならA.スカルラッティやペルゴレージに代表されるナポリ楽派の痛快なアリアを聴きながら、かの南国の王都の在りし日の風景を思い浮かべてみてもよいのかもしれません。
A.スカルラッティ(1660-1725)ナポリ語によるカンタータ《愛の神、小憎らしい奴》より/マルコ・ビズリー(歌)アンサンブル・アッコルドーネ(Cypres CYP-1649)
パエリャ×ロドリーゴ
スペイン料理なら――何を例にとるか迷いますが、ここはひとまずパエリャで。パエリャはスペイン東部の沿岸地域バレンシア地方に根ざした料理だそうですが、この地は《アランフエス協奏曲》で名高いロドリーゴを生んでいます。もっとも、あの有名な協奏曲の舞台アランフエスはバレンシア地方ではなくマドリード近郊なのですが。ここはここで、アスパラガスと苺の季節に賑わうスペインの食都でもあったりします。余談まで。
ロドリーゴ(1901-1999)《ギターを讃えて》より/チャールズ・ラミレス(ギター)(Signum SIGCD-244)
ロールキャベツ×ヴラディゲロフ
夕食の定番メニューにも、せっかくなら物語を。たとえばロールキャベツ。バルカン半島各地にルーツのある欧州郷土料理でもありますから、バルカン半島の作曲家の世界を重ねてみると、ちょっとした旅情まで味わえるかも。たとえば、ブルガリアの作曲家パンチョ・ヴラディゲロフの妖艶かつ野趣あふれる狂詩曲とか……。
ヴラディゲロフ(1899-1978)狂詩曲〈ヴァルダル〉/スヴェトリン・ルセフ(ヴァイオリン)エレーナ・ロザノヴァ(ピアノ) (Ambroisie AMB9953)
……こんな調子で、モロッコのクスクス(モーリス・オハナ)やベルギービール(イザイ、フランク、フランドル楽派……)、ニューヨークチーズケーキ(バーンスタイン、ライヒ……)などの話もしてみたかったところですが、今はこれくらいで。ちょっと変わったすてきな料理に出会えたら「さあ何を聴きながらいただこうか?」と考える遊び、楽しんでいただけたでしょうか。ワインやビール、デザートなどでも同じ遊びができそうです。
あの音楽家も、こういうものを味わっていたのか……なんてイメージしながら、それぞれの時代の風景を思い描きつつ、豊かな食のひとときを過ごせたらよいですね。
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