148年前の今日、カールスルーエでブラームスの《勝利の歌》初演!
1872年6月5日、ドイツ・カールスルーエの宮廷劇場で開催された「戦争で倒れた人たちのための」演奏会で、ブラームスの《勝利の歌》が初演されました。
1870〜71年にかけての普仏戦争でプロイセン王国が勝利したことを祝して、1871年4月までにまず第1楽章が書かれました。第2楽章と第3 楽章は、1871年5月以降に着手し、その年の夏には完成させていました。バリトン独唱(第3楽章のみ)と混声4部の2重合唱、オーケストラと言う大規模な作品にもかかわらず、ブラームスにしては筆が速かったといえます。
歌詞は新約聖書の「ヨハネの黙示録」第19章からとられています。第1楽章には当時のドイツ国歌《神よ勝利の栄冠に》、第2楽章にはプロテスタントのコラール《いざすべて神に感謝を》のメロディが用いられており、ブラームスの愛国心と宗教心を感じさせる作品です。
ブラームスは、この曲を最初から《勝利の歌》とするつもりはなかったようで、はじめは聖書からの歌詞をもつ「テ・デウム」にしようと考えていた。その場合に、作曲の契機にしても構想にしても、大きな刺激を受けたのが1743年のユトレヒトとゲッティンゲンでのフランス軍に対するイギリス軍の勝利を祝うためにヘンデルが書いた《ゲッティンゲン・テ・デウム》だった。そして実際にブラームスは、このヘンデルの曲をかねてから大変に愛好していて、1872年秋にウィーンの楽友協会芸術監督になったときには、その自分の指揮する第1回の演奏会のプログラムにこの曲をすえたほどだった。
『作曲家別名曲解説ライブラリー ブラームス』(音楽之友社)401ページより
記念すべきウィーン楽友協会の芸術監督就任後、初めての演奏会で選ぶとは、よほど気に入っていたのですね。ヘンデルの《ゲッティンゲン・テ・デウム》もあわせて聴いてみましょう。
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