三島由紀夫が短編小説「蝶々」に描いた、晩年の三浦環
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
三島由紀夫がクラシック音楽を愛聴していたことは、よく知られています。小説の中にも、クラシックの作品や演奏家の名前がたびたび登場しますね。
そんな中で、短編小説「蝶々」は、タイトルの通り、プッチーニのオペラ《蝶々夫人》と、日本人として初めて世界的に活躍したオペラ歌手で「マダム・バタフライ」と呼ばれた三浦環(1884-1946)の存在が、重要なモチーフとなって展開する物語です。
三島由紀夫は、終戦後の1946年3月21日に日比谷公会堂で行なわれた、三浦環最晩年のリサイタルを聴いているようです。
三浦環が歌うプッチーニ《蝶々夫人》の「ある晴れた日に」(日本コロムビア)
短編小説「蝶々」の話の本筋は、主人公の男性が、かつて想いをよせるも、自らが戦地に赴いている間に人妻となった女性に宛てて書いた手紙と、二人の再会後の出来事をめぐる物語。
ですが読んでいると、この短編、三島が三浦環のリサイタルを聴いて心に浮かんだことを記しておきたくて書いた物語なのではないか、とも思える。
三島は、すでに病を患っていて2ヶ月後に他界することになる三浦環が、シューベルトの歌曲集《美しき水車小屋の娘》を歌った舞台の印象を、「蝶々」の主人公・清原にこう語らせています。
結婚式の食卓かとばかり飾り立てた病みおとろえた肉体から、小鳥のような囀りがひびいてくるのはまるで魔術だ。(……)その声のかげで肉体が老い朽ちてもその声だけは永久にかわらぬ肉つきの面であった。
——『女神』(三島由紀夫 著/新潮文庫)短編小説「蝶々」より引用
シューベルト:歌曲集《美しき水車小屋の娘》※音源はイアン・ボストリッチの3度目の録音
三島は巧みな表現で三浦環の歌唱を褒め称えますが、一方で、その容姿や立ち居振る舞いについての描写は、生々しく、はっきりいって残酷です。しかし、どこか美しい。
その詳しい記述が、後のストーリー展開とどれほどかかわりがあるのかな? という感じながら、序盤にかなり細かく描かれている。そのため前述の通り、この記憶を書き残しておきたかったんだろうなぁという気がしてしまうのです。
そのほかにも、プッチーニ《蝶々夫人》の音楽やストーリーへの共感のようなものが、三島ならではの独特な語り口で描かれています。中編小説「女神」を収録した文庫に一緒に入っていますので、未読の方は、ぜひ。
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