怖い絵〜画家人生の絶頂期に聴力を失った天才画家・ゴヤが、無音の世界で見た真実とは?
『アート鑑賞、超入門!』『現代アート、超入門!』等の著作で、読者をアートの世界へ誘うアートライター・藤田令伊さんがONTOMOに登場。毎回さまざまなアート作品から、「絵に音楽を聴く」楽しみをご紹介します。
第5回は、8月「ホラー」特集をジャック! 現代風に言えば「ソリッド・シチュエーション・スリラー」とも呼べそうな、逃げ場のない状況で殴り合う2人の男。ゴヤが「聾者の家」という別荘に引きこもって描いた《黒い絵》シリーズの1枚です。ゴヤは一体何を思ってこんな絵を描いたのでしょうか。一番恐ろしいのは、死せる者ではなく、人間の精神かもしれません......。
アートライター、大正大学非常勤講師。単に知識としての「美術」にとどまらず、見る体験としての「美術鑑賞」が鑑賞者をどう育てるかに注目し、楽しみながら人としても成長できる...
8月は「怖い絵」というお題が出された。美術の世界では中野京子氏がこのテーマの先駆者なので、どうしても後追いのかたちとなって難しいのだが、負けずに(?)一枚の絵を紹介したいと思う。
これは、フランシスコ・デ・ゴヤの《殴り合い》という絵である。二人の男が棍棒で殴り合っている場面が描かれている。左側の男はすでに顔面あるいは頭部から血を流しており、二人の殴り合いはちょっと前から続いていることがうかがわれる。両者とも気力は衰えておらず、闘いはまだまだ続く気配にある。
奇妙なのは、どちらも膝まで地面に埋まっている点。そのため、両者いずれも動くことができず、ということは逃げることもできないため、どちらかが倒れるか、あるいは死ぬまでこの殴り合いは続けられることになる。二人のあいだに大きな力の差はないようなので、時間の経過にしたがって闘いはより凄惨なものになってゆくことが予想される。残酷といえば残酷、悲惨といえば悲惨な定めである。
二人が手にしている武器は棍棒である。先端部が幾分膨らんでいて、思い切り振り回すと遠心力が働いてけっこうな破壊力を発揮しそうに見える。もし頭部を直撃すれば、致命的なダメージを相手に負わせることも可能と思われる。火器を使うでなし、かといって素手での殴り合いでもない。棍棒という飾り気のない殺傷力のある武器であることが、この絵に不気味さを添えている。
それにしても、男たちはどうして殴り合っているのだろうか。絵にはその理由や事情を示唆する要素は何もない。ただ唐突にこの場面が見る者に提示されるだけだ。争いの理由や事情がわかれば、どちら側にシンパシーを覚えるかは別にしても、状況を理解することはできる。だが、本作のように何の説明もなく、ただ殴り合っているだけでは理解のしようがない。映画にソリッド・シチュエーション・スリラーといわれるジャンルがある。限定的な状況が設定され、極限状態を登場人物たちがどう凌いでいくかが見どころとなる種類の映画だが、この絵はそれと通じるものがある。理屈も説明も何もなく、棍棒で死の殴り合いをするしかない男と男。その問答無用さ、理不尽さは、思えば理屈抜きの恐怖といえよう。
無音の世界で一人真実を追求しつづけるゴヤ
ONTOMO的に音という面からはどうか。これも、なかなか恐ろしいものがある。上記のように、この絵には殴り合っている二人以外の要素がほとんど何もない。つまり、音の発生源がほぼ存在しない。それでも想像をたくましくすれば、聞こえてくる音がないわけではない。男たちの荒い息遣いや呻き声、服が擦れる音、棍棒が空を切る音、そして棍棒が頭を砕く鈍い音……。闘いにまつわる音だけが純粋に聞こえてくる。それらは他の要素がないぶん余計に際立ち、不毛なる音の世界というほかないこの絵の異常さを一層露わにする。
本作には別次元の怖さもある。この絵はゴヤの「黒い絵」と呼ばれる一連のシリーズの1点である。「黒い絵」は、ゴヤがマドリード郊外に手に入れた「聾者の家」という別荘に引き籠もって、誰からの依頼でもなく秘かに描いた作品群である。本作を含む14点からなり、いずれも人間の狂気や運命の冷酷さなどが描かれているとされる。のちのシュルレアリスムの先駆ともいわれる。
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ゴヤが「黒い絵」を描いた真の理由は不明である。当時スペインはフランスと戦争を戦っており、その惨たらしさへのゴヤの告発が仮託されているという説もある。そうかもしれないが、私自身はそれだけではなかったのではないかと思っている。
ゴヤは、画家人生の絶頂期に原因不明の病気にかかり、一命はとりとめたものの聴力を完全に失った人間である。それまでとは違う音のない世界に突然突き落とされたゴヤ。音を失ってから、ゴヤの探究心はものごとの表層にとどまらず、奥深くにある本質を目指すようになったといわれる。事実、人間を描く場合でも、たとえ国王の肖像であっても、その凡庸さを容赦なく描き出すということをゴヤはやっている。ゴヤは絵を描くという営為を通じて「真実の探求」を行っていったといえる。
では、この《殴り合い》にゴヤはどんな「真実」を込めたのか。強いられた状況下で殴り合いを続ける二人の男。よく見れば、二人の男はよく似ており、背格好も服装も瓜二つといってもいいくらいである。男たちは、いわば“自分殺し”を演じているのだ。あるいは、彼らの闘い方には工夫があるようには見えない。どちらも愚鈍なまでにただ棍棒を振り回すばかりである。強いられた状況を問うこともなく、ひたすら愚かな“自分殺し”を続ける男たち。そこには何の希望も価値もない。
無音の世界で一人「真実」を追求し続けたゴヤ。その透徹した精神が見たものは、人間や人間の世とは必ずしも意味を持つとは限らないという絶望的な可能性だったのではなかったろうか。この絵は音のない孤独のなかでゴヤが出した一つの答えであるように思えてくる。そして、私はそんなゴヤが畏れ多くも怖い。
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