読みもの
2023.04.17

音メシ!作曲家の食卓#4 ラフマニノフがイタリアで魅せられた絶品パスタ

歴史料理研究家の遠藤雅司さんが、作曲家をその食卓からクローズアップ。毎回、実際に再現したレシピもご紹介します。人間の根源的な欲求=食のエピソードからは、大作曲家の人間くさい一面が見られるかも!?

遠藤雅司(音食紀行)
遠藤雅司(音食紀行)

歴史料理研究家。国際基督教大学教養学部人文科学科音楽専攻卒。2013年から世界各国の歴史料理を再現するプロジェクト「音食紀行」をスタートさせ、実食イベントやレストラン...

イラストー駿高泰子

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ラフマニノフとロシアへの郷愁

20世紀を生きたロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)。ラフマニノフの家系は15世紀にまで遡ることができます。その一族は音楽の才能で名声を博しており、ヴァイオリンやピアノの演奏に優れていました。

曽祖父は合唱団とオーケストラを編成しました。ラフマニノフ少年も幼少期から音楽の才能を示し、部屋の隅で母親の奏でるピアノ演奏を聴くのを好んだり、祖父とピアノの連弾に興じたりしたなどのエピソードが残っています。

成長したラフマニノフに対する周囲の印象は、あまり感情を表さないものの、心の奥底に秘めた情熱の炎がしばしば見受けられる人物といったものでした。

ラフマニノフはロシアを深く愛していました。例えば文学では、レフ・トルストイ(1828~1910)とアントン・チェーホフ(1860~1904)など同時代の作家の作品を愛読し、イリヤ・レーピン(1844~1930)、ヴァレンティン・セローフ(1865~1911)などのロシアの画家の作品を鑑賞しに美術館を訪れていました。また、モスクワのマールイ劇場に通い、俳優たちの演技に感動するなどしています。

イリヤ・レーピンが描いたレフ・トルストイの肖像画(1887年)
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そして音楽では、ロシアの作曲家のミハイル・グリンカ(1804~1857)やピョートル・チャイコフスキー(1840~1893)などを愛していました。

そんな彼の人生を左右する大きな時代のうねりがありました。ロシア革命です。演奏家としてのキャリアを順調に積み重ねていたラフマニノフは、ロシアのみならずヨーロッパとアメリカで演奏旅行を行なっていましたが、革命の進行とともに取り巻く環境が激変しました。

ロシアを深く愛していた彼はそんな状況を憂い、結果、一家でロシアを去ります。まずは1917年に演奏会に招かれたスウェーデンへ向かい、そしてデンマークに拠点を移し、1918年からはアメリカへ渡ってコンサート活動を行なうようになりました。

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