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2023.06.30

音メシ!作曲家の食卓#6 美食家ドビュッシーが愛した、小さなマカロニパイ

歴史料理研究家の遠藤雅司さんが、作曲家をその食卓からクローズアップ。毎回、実際に再現したレシピもご紹介します。人間の根源的な欲求=食のエピソードからは、大作曲家の人間くさい一面が見られるかも!?

遠藤雅司(音食紀行)
遠藤雅司(音食紀行)

歴史料理研究家。国際基督教大学教養学部人文科学科音楽専攻卒。2013年から世界各国の歴史料理を再現するプロジェクト「音食紀行」をスタートさせ、実食イベントやレストラン...

イラストー駿高泰子

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宮廷の美食文化を市民が享受したパリ

19~20世紀のパリに生きた作曲家ドビュッシーの先祖はブルゴーニュ地方の小さな村出身で、ぶどう栽培などの農業にたずさわる一族でした。当時の音楽家は世襲が基本です。音楽と縁遠い環境の中で、作曲家アシル=クロード・ドビュッシーは誕生しました。

当時のパリの食事情はどうだったのでしょうか。18世紀末のフランス革命で職を追われた宮廷付きの料理人は、パリの街々でレストランを開業しました。これによって、宮廷で発展した美食文化をパリの市民も享受し、憧れの貴族の食事が市民に浸透していきました。おびただしい量の食料が入ってきた当時のパリでは、レストランのメニューにこんな料理があったそうです。

牛肉のピクルスソース/ローストビーフじゃがいも添え/やましぎのベーコン巻き/のろ鹿フィレ肉のこしょうソース/じゃがいものスフレなど

牛肉が満載です。実際、牛肉は羊や豚よりも食べられ、美食文化の中心でした。

19世紀後半のパリにおける飲食店の賑わいを表す版画「シャン・ド・マルス公園のデュヴァルレストラン」( 1878、作者不明)
レストラン・デュヴァルは、1878年のパリ万国博覧会に出店された数多くの飲食店のひとつで、シャン・ド・マルスにあるエコール・ミリテール(軍学校)の隣にあった。さまざまな国から訪れた人々がそこで昼食をとった。この版画に添えられた記事によると、ウェイトレスと(主にイギリス人)観光客の間のコミュニケーションは必ずしも容易ではなかったようで、画像の右隅で客のグループに給仕をしている女性の困惑した表情がそれを物語っている
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さらに注目すべきはじゃがいもです。16世紀末にフランス南東部に伝わったじゃがいもは、当初は家畜の餌に使われていましたが、飢饉対策などの普及活動の結果、国民の食生活に徐々に入り始めました。

そして、労働者にとっての主食は何といってもパンでした。中世から食べられてきた黒く硬いライ麦パンや、丸型や楕円の灰色のカンパーニュ(田舎パン)、そしてパリの食事情の著しい進化から、上流階級で主に食べられていた白いパンも食卓に上りました。ドビュッシー一家も質素で慎ましい生活を余儀なくされていましたので、ライ麦パンやカンパーニュなどを食べていたそうです。

料理人ドビュッシーのサティへのもてなし

ドビュッシーの食の逸話では作曲家エリック・サティとの交流が興味深く、サティの手記によれば1903年ごろに旧友ドビュッシー家を訪れて、彼の手料理をランチに食べたそうです。特に「卵と羊の骨付きあばら肉」は絶品で、サティは思い出すたびに舌なめずりをしたとか。さらに厚切り仔牛肉を食し、ボルドーの白ワインを痛飲したとのことで、料理人ドビュッシーのサティへのもてなしが容易に想像できます。

ドビュッシーの肖像画(1884)
サティの肖像画(1900以前)

「丹念に作られた繊細なもの」を愛したドビュッシー

もう一つ、食のエピソード並びにドビュッシーの原点とも言える逸話がありました。1872年の10月、10歳でパリ国立高等音楽院に通い始めたアシル少年。ドビュッシーのパリ音楽院時代の後輩にあたるガブリエル・ピエルネが彼の食の傾向をこう綴っています。

彼[=ドビュッシー]は美食家であり、食いしん坊ではありませんでした。良いものがとにかく好きで、量が多いかどうかは彼にとって重要ではありませんでした。あのころ彼が音楽院の帰りにうち[=ピエルネの実家]に寄った折、母が淹れたプレヴォの1杯のショコラを大切そうに味わっていた様子は今でもはっきり思い出せるくらい覚えています。またブルボヌーに入ると、ガラス越しに置いてある高級品のところに行って、ごく小さなサンドイッチや小ぶりのマカロニ入りタンバルを選び、学友たちがもっと腹に溜まりやすいお菓子を嬉しそうに手にする様子とは一線を画していました。[…中略…]何かと小ぶりにできているもの、丹念に作られた繊細なものにことさら愛着を見せる人だったのです。

三つ子の魂百まで。小ぶりで丹念に作られた繊細なものに愛着を寄せるこのエピソードは彼の音楽作品にも通じます。まずは細かい点を補足します。ピエルネの実家に寄った際に、「母が淹れたプレヴォの1杯のショコラ」のプレヴォとは、パリで人気のあった高級食材店のことで、パリ国立高等音楽院から徒歩数分のところにありました。

続いて、ブルボヌー。パン屋兼ケーキ屋として有名でしたが、実はモンジュ通り14番地にあり、音楽院からだいぶ離れています。ピエルネの回想なので、色々なドビュッシーの思い出から印象深い逸話を集めているのがうかがえます。

ガブリエル・ピエルネ(1863-1937)はフランスの作曲家、指揮者、オルガニスト。1890-98年にはフランクの後任としてサント=クロティルド教会オルガニストの地位についている

“マカロニ入りタンバル”の謎を追う

今回紹介するのが、マカロニ入りタンバルです。タンバルはフランス語でtimbaleと綴り、広口の焼き型などのボウル型のものに入れてひっくり返すところからつけられた料理です。打楽器の意味も持ち、イタリア語「ティンパニ」と同義です。

タンバルは広口の焼き型とある通りサイズが大ぶりで、パン屋兼ケーキ屋では切り分けて提供する形だったのでしょうが、大ぶりのタンバルを切り分けたものが「小ぶり」という言い方になるのか、少々疑問に思います。

また、パン屋兼ケーキ屋で「丹念に作られた繊細なもの」としてマカロニが登場するのにも違和感を覚えます。実は、ブルボヌーでは時代が下ると、お店のキャッチコピーに「マカロンで有名」というフレーズも登場し、ピエルネはマカロンとマカロニを勘違いしたのではなかろうかと疑念も抱いてしまいました。

原点に立ち返り、パン屋兼ケーキ屋で提供される「小ぶり」かつ「丹念に作られた繊細なもの」というキーワードで、ドビュッシーが生きた時代の料理書に合致するものがないか探してみました。

 

マカロニのパイ

 

パイ生地を作り(316ページ参照)、延べ棒で平たくして5フラン硬貨くらいの厚さにし、バターを塗った天板に置く。続いてその上にイタリア風に調理したマカロニを多く載せ(マカロニの調理法は278ページ参照)トマトソースを絡めておく(トマトソースは23ページ参照)。マカロニの下に敷いたのと同じパイ生地を上にかぶせ、両方の生地が離れずくっつくよう端をつぶしてなじませる。溶き卵を塗り、火にかける。半時間ほどで火が通るものと思ってよい。

 

『マリーおばさんの真正家庭料理 ~1,000のレシピと500のコース案を掲載~』より(訳:白沢達生)

この19世紀の料理書は初版年代こそ不明ですが、画像として引用したのはおそらく19世紀末ごろの版と思われ、この時点で30版を数えていますから、相当なロングセラーです。ドビュッシーとピエルネは1871年に出会っていますので、同時代のレシピと考えられるでしょう。パン屋兼ケーキ屋でサンドイッチと同様におかれた小ぶりのものということで、マカロニも生かしたこのレシピに従って小さいパイを想定してみましょう。

まず、パイ生地の指定があり、作り方は該当箇所を参照し、当時の5フラン硬貨の厚さ(およそ2ミリ)に生地をのばすとあります。パイの中身はゆでたマカロニ(参照先には30分ゆでれば十分という、現代の感覚からすれば相当長いゆで時間の指示がありますが、アル・デンテが世界的に好まれ始めたのは20世紀もかなり後になってからでした)にトマトソースを絡めたものをのせて、上からパイ生地を重ねて端を接着させてからオーブンなどの火にかけて焼き上げるというものです。

また、今回のキーポイントとなるマカロニは、この時代ではショートパスタではなく、今のブカティーニのような穴あきの太いロングパスタに近い形で販売されており、そのまま使うのでなければ、料理によって必要な長さに折ってゆでていました。

現代のレシピに落とし込むなら、上記は豆知識にとどめておいて、通常のマカロニを使いましょう。ドビュッシーの「小ぶり」で「丹念に作られた繊細なもの」を愛でる気持ちを、小ぶりのマカロニパイという甘みと塩味が絶妙な料理で味わいながら、19世紀パリのアシル少年に思いを馳せてみたいと思います。

フランス伝統マカロニパイ

 

【材料】(三角パイ8個分)

パイシート(10cm×10cm) 8枚

マカロニ                           200g

トマトソース
・トマト         2個
・ニンニク        1/2片
・タマネギ        1/4個
・オリーブオイル     大さじ2
・塩           2つまみ
・コショウ        2つまみ
・タイム粉        1つまみ
・ローリエ        4枚

粉チーズ                         20g

卵黄                                 1個 *焼き色用

 

 

【作り方】

1.トマトソースを作る。フライパンにオリーブオイルとみじん切りしたニンニクを入れ、弱火で1分炒める。

2.みじん切りしたタマネギを 1.に入れ、弱火で2分炒める。

3.へたを取り、皮を湯むきしてざく切りしたトマトと塩、コショウ、タイム、ローリエを2.に加え、中火で5分煮込む。途中、木べらでトマトを潰しながら全体をなじませて、ソースの完成。

4.別の鍋に水を500ml入れて沸騰させ、塩少量を加えてマカロニを入れ4分ゆでる。

5.ゆであがったら、ザルにあげてお湯を切る。

6.パイシートを用意し、10cm×10cm程度にカットする。小さければ麺棒で少し伸ばして成形する。厚さ2ミリを意識する。

7.正方形になった6.のパイシートに3.のトマトソースと5.のマカロニ、粉チーズをのせ、半分に折り曲げて、フォークで押さえながら閉じていく。

8.7.の生地の表面に少量の水で溶いた卵黄を薄く塗る。

9.200℃のオーブンで20分焼いて完成。

 

Point

*このフランスの歴史的料理書では、トマトソースはトマトにタイムとローリエを入れよという指定があるため、その記述に従った。
*19世紀のフランスのパスタの流儀に従って、ブカティーニ等のロングパスタを入手して、ゆでる前に折ってショートパスタに仕立て、時代背景を楽しむのもよい。
*チーズは何を使ってもOKだが、19世紀フランスの料理書だと、パルメザンチーズなどのイタリアチーズの指定もよく見かける。輸入食材店で複数のチーズを入手できれば数種類、中に加えると味のバリエーションが広がり、楽しい。

遠藤雅司(音食紀行)
遠藤雅司(音食紀行)

歴史料理研究家。国際基督教大学教養学部人文科学科音楽専攻卒。2013年から世界各国の歴史料理を再現するプロジェクト「音食紀行」をスタートさせ、実食イベントやレストラン...

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