読みもの
2022.04.30

【追悼】ラドゥ・ルプー~真のアーティストとは何かを教えてくれたラドゥ・ルプー

「千人にひとりのリリシスト」と讃えられ、多くの音楽ファンに愛された孤高のピアニスト、ラドゥ・ルプーが4月17日に76歳の生涯を閉じました。「透明な音色、たくさんのニュアンスを含んだルプーの紡ぎ出すピアノの音を生で聴けない人生が待っているとは」――音楽ライターの片桐卓也さんに、長い年月にわたり追い続けた、唯一無二のピアニストへの思いを綴っていただきました。

片桐卓也
片桐卓也 音楽ライター

1956年福島県福島市生まれ。早稲田大学卒業。在学中からフリーランスの編集者&ライターとして仕事を始める。1990年頃からクラシック音楽の取材に関わり、以後「音楽の友...

Photo: Decca/Mary Roberts

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ラドゥ・ルプーが亡くなった。2022年4月17日のことだったと言う。1945年11月30日ルーマニア、ガラツの生まれだから76歳だったことになる。

2019年に体調の問題によってピアノ演奏からの引退を発表していたので、実演でルプーを聴くことはすでに諦めていた訳だが、喪失感はこれまでのどのアーティストの訃報よりも大きく、正直に言って、彼の死にあたって何を書けばよいのかも分からない。

その大きな理由のひとつは、かなり僕自身が若い頃からルプーの演奏に接して来たせいだろうと思う。

ピアノという楽器の<美的>な可能性に新たな光をあてる

ルプーの演奏を最初に聴いたのはLPレコードで、だった。ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」である。いま、そのレコードも手元には無い。

データを色々と探ってみると、1977年、テル・アヴィヴでの録音だったようだ。ズービン・メータ指揮、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団との共演だ。

そして、クラシック音楽について短い文を書いてみようと僕が初めて思ったのも、そのルプーのベートーヴェンを聴いたのがきっかけだった。

僕は20歳をちょっと過ぎたばかりだった。その時に書いた文もどこかに行ってしまったが、大まかなラインだけは覚えている。

それまで聴いていた何人かの大ピアニストのベートーヴェンの演奏とはまったく違い、ベートーヴェンの音楽が本来持っている様々な要素〜特にピアノという楽器の<美的>な可能性〜に新たな光をあてた、それを探り出すことが出来た新世代の演奏、というような内容だった。

その録音がリリースされた時、すでに「千人にひとりのリリシスト」というルプーを語る時に常に持ち出されるコピーが付けられていたように記憶するけれど、個人的にはしっくり来ていなかった。

確かに、音色の素晴らしいコントロールから生み出される透明な弱音の魅力はルプーの演奏を語る時に欠かせないものだが、それ以上に、まず骨格のしっかりした音楽の把握力、そしてそれを自在に表現することを可能にするテクニック、さらに、そのテクニックの存在をまるで感じさせない表現のアイディアの豊かさがあった。

それは作曲家ごとに違ったタッチ、ニュアンスを演奏で感じさせてくれるものであって、ベートーヴェン以後、ブラームス、シューマン、モーツァルト、そしてドビュッシーやバルトークを聴いても、その無限とも言える音色の可能性を目の前で展開してくれた。

人生で一度きりの特別な体験

ルプーの演奏をライヴで最後に聴いたのは、名古屋のしらかわホールでのコンサートで、2012年11月3日のことだった。音響の良い、しかも客席数の少ないしらかわホールでルプーを聴くのは、まさに人生の喜び(もしかすると、人生において最初で最後の)であった。

オール・シューベルト・プログラムで、内容は「16のドイツ舞曲 D783」「即興曲集 D935」「ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960」だった。ルプーのシューベルトは日本で何度か聴いていた訳だが、この日の特別感はいったい何だったのだろう? といまでも思い出してしまう。

特に前半最初に置かれた「16のドイツ舞曲」の自由なきらめき。本当に、光溢れる野原を見渡せる大きな木陰で、風に揺られる草たちから発せられる光のメッセージを聴くような不思議な体験をした。

違う会場で、違うピアノで、違う天候の日に聴けば、同じ演奏でも違った印象になるのだろうけれど、本当に演奏とは一期一会のものであることを、あらためて教えてくれた。

そのコンサートの後、友人に誘われて、楽屋へルプーを訪ねた。個人的には演奏後の楽屋にアーティストを訪ねることは、仕事以外ではしないのだが、この日だけは自然に自分の足が向いていたようだ。

インタビュー嫌い、で有名なルプーだけに、気難しい人なのだろうと思っていた。しかし、実際にはそんなことはなかった。まったくの初対面の人間に対しても、自然な笑顔を見せてくれた。

その時に話題となっていたのは、ピアノを演奏する椅子のことだった。ルプーはすでに腰の調子がかなり悪くて、通常のピアノ用椅子は「とても使いにくいし、背もたれが無いとダメだし、ぴったり来る椅子がないのだけれど、どうしたら良い?」と、困ったような微笑を見せながら語っていた。

そんなに腰の調子が悪くても、こんなに素晴らしい演奏が出来るのが不思議だったけれど、本人は真剣に悩んでいた様子だった。そんな他愛のない会話だったけれど、こちらはルプーの表情、仕種のひとつひとつの中になにかのメッセージを感じようとしていた。本当にファンというのは仕方のないものだ。

理由はわからない、ただ魅かれる

その次、2013年の来日公演は聴き逃した。もちろん、ずっと来日を待っていた訳だが、そこに演奏活動からの引退のニュースが届いた。動転した。誰にも感じることが出来ない、あの透明な音色、たくさんのニュアンスを含んだルプーの紡ぎ出すピアノの音を生で聴けない人生が待っているとは。

もちろん好きな録音を繰り返し聴くことは出来る。例えば初期の録音であるブラームスの小品集、シモン・ゴールドベルクとのモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集、マレイ・ペライアとのデュオ・アルバム、バーバラ・ヘンドリックスとのシューベルト歌曲集など。

そう、実はルプー単独の録音より、そうしたデュオの録音を愛聴しているのだが、その理由を自分に問うたことはまだない。そして、自分がなぜルプーの演奏を好きなのか、その理由を問うこともない。ただ、魅かれるのである。

 

写真で語る音楽シーン Vol.6 ルプー

 

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ブラームス:ピアノ小品集 [SHM-CD]
ラドゥ・ルプー
[ユニバーサルミュージック UCCD-4563]
曲目:2つのラプソディーOp.79、3つの間奏曲Op.117、6つの小品Op.118、4つの小品Op.119
ラドゥ・ルプー

ルーマニア生まれ。6歳でピアノを始め、12歳で自作だけで構成したプログラムでデビューを飾る。1961年に奨学金を得てモスクワ音楽院に入学、ガリーナ・エギャザロヴァ、ハインリヒ・ネイガウスに師事し、後にスタニスラフ・ネイガウスに師事した。
1966年ヴァン・クライバーン国際コンクール、1967年エネスコ国際コンクール、1969年リーズ国際コンクールの3つのコンクールで優勝。
ベルリン・フィル(1978年にカラヤンの指揮でザルツブルク音楽祭にデビュー)、ウィーン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、そしてロンドン、アメリカの主要なオーケストラとはすべて共演し、各地の主要な音楽祭にはすべて出演、ザルツブルク音楽祭、ルツェルン・フェスティバルには定期的に招かれた。
デッカへのレコーディングには、ベートーヴェンの協奏曲集、ブラームスの協奏曲第1番、グリーグとシューマンの協奏曲、シモン・ゴールドベルクとのモーツァルトのピアノとヴァイオリンのためのソナタ全曲、チョン・キョンファとのドビュッシーとフランクのヴァイオリン・ソナタ、またベートーヴェン、ブラームス、シューマン、シューベルトの独奏曲がある。1995年にはシューベルトのソナタイ長調D.664と変ロ長調D.960の録音でグラミー賞を獲得。

片桐卓也
片桐卓也 音楽ライター

1956年福島県福島市生まれ。早稲田大学卒業。在学中からフリーランスの編集者&ライターとして仕事を始める。1990年頃からクラシック音楽の取材に関わり、以後「音楽の友...

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