読みもの
2021.05.09
日曜ヴァイオリニストの“アートな”らくがき帳 File.25

武満徹×宇佐美圭司〜作曲家と画家の美しい「きずな」の成果とは?

日曜ヴァイオリニストで、多摩美術大学教授を務めるラクガキストの小川敦生さんが、美術と音楽について思いを巡らし、素敵な“ラクガキ”に帰結する連載。今回は、東大の食堂で誤って廃棄されてしまった現代美術家・宇佐美圭司の大作《きずな》を復元する展覧会。楽譜も思わせるその作品と、作者の生前に交流があった作曲家・武満徹との共通点を見出します。

小川敦生
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

「宇佐美圭司 よみがえる画家」展会場風景

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作曲家の武満徹(1930〜1996)は、画家の宇佐美圭司(1940〜2012)と深い親交をもっていた。二人は世代が近く、第二次世界大戦後の日本で芸術の新境地を開拓したという共通点を持つ。特に興味深いのは、二人が音楽と美術のジャンルの垣根を超えて交流を深めていたことだ。

そもそも、戦後の混沌に始まる時代を生きた二人の心は、ジャンルにこだわることなく新しいものを生み出そうという気概に満ちていた。そんなことに思いを馳せたのは、東京・目黒区の東京大学駒場博物館で開かれている「宇佐美圭司 よみがえる画家」展を取材し、宇佐美のさまざまな時期の作品を目にする機会を得たからだ。

東大で失われた《きずな》を巡る展覧会

同館で宇佐美の展覧会が開かれることになったのは少々特殊な経緯によるので、手短に説明しておこう。発端は、宇佐美の大作絵画作品の消失という、とんでもない事件だった。東京大学本郷キャンパス(東京・文京区)の中央食堂の壁にかかっていた宇佐美の油彩画《きずな》(1977年)が、2017年に行なわれた同食堂の改修工事の際に消失したのだ。誤廃棄が推測されるできごとだった。

その後、東大の関係者が事実と真摯に向き合い、写真などをもとにコンピューターを利用して《きずな》を「再制作」し、展示を実現するにいたったのが今回の展覧会だ。全体としては、宇佐美の画業全体を俯瞰する中で《きずな》の位置づけを探る構成になっている。

「宇佐美圭司 よみがえる画家」展(企画:三浦篤、加治屋健司、折茂克哉)会場風景
2017年の東京大学本郷キャンパス中央食堂改修工事の際に失われた宇佐美圭司の油彩画《きずな》(1977年)は、福井県のアトリエにあった写真等を元に画像として「再制作」され、この写真のように展示室上部の壁面に映像として映し出されたほか、プリントも展示された。オリジナルは369☓479.4cmの大作だった。

この展覧会では《きずな》は画像として再現され、映像およびプリントで展示された。再現画像を見て改めて興味を覚えたのは、動きの表現だった。音楽寄りの視点で見れば、この絵は楽譜のように見えなくもない。左上に楽譜の始まりの記号を思わせるようなモチーフがあり、五線譜のように真横に描写が展開している。その「五線」のような層は何段にも重なっており、目で流れを追っていくと密度、緩急、色の変化などがあって最後は右下端で終わる。音楽の忠実な再現という機能に徹した現代の五線譜との主な違いは、カラフルで造形美を優先していることだろうか。

再現され、プリントされた《きずな》。

《きずな》は、宇佐美が1960年代に制作を始めた人型シルエットをモチーフにした作品群の中に位置づけられる。人型シルエットは1965年の米「LIFE」誌に掲載された暴動事件の報道写真に出てきた黒人4人の姿から取ったもので、「かがむ人」「たじろぐ人」「走る人」「投げる人」の4種類がある。その4つの動作には、それぞれ異なる動きがある。スピード感も異なる。音の高低や緊張感、スピード感に変化を持つ時間芸術である音楽にも通じている。

筆者は宇佐美の生前、福井県越前町のアトリエを訪ねたことがあるのだが、切り抜かれた大小多数の人型を目にした記憶が今も脳裏から離れない。そして、たった4つの型に宇佐美が固執していた理由が、《きずな》の再現画像を目にした今、ようやく見えてきた。決して型として印象を固定するためのモチーフではなく、音楽のような動きに富んだ表現を可能にするきっかけとしての形だったのだ。

《焔の船No.10》(1962年、個人蔵)展示風景
《Laser: Beam: Joint》(1968年/2021年、個人蔵)展示風景
《大洪水 No.7》(2011年、個人蔵)展示風景

展覧会の構成は、宇佐美の初期から晩年までの画業を俯瞰する内容だった。《焔の船No.10》は最初期の作品。《Laser: Beam: Joint》は南画廊(東京)での展示をこのほど再現したもの。アクリル板は、宇佐美のアトリエに残っていたという。《大洪水 No.7》は、線遠近法を脱したレオナルド・ダ・ヴィンチの「大洪水」の素描画に想を得た作品群の一つ。

相互に影響を与えあった現代美術と現代音楽の巨匠

現代美術画廊の草分けだった東京の南画廊で宇佐美が武満と交流を始めたのは、1960年代前半のことだ。1970年に大阪で開かれた日本万国博覧会の鉄鋼館で、武満がプロデューサー、宇佐美が美術監督を務めた公演が催される。武満の音楽と宇佐美がレーザー光線で描いた光の動画のコラボ作品だった。

その後の共同制作は、武満の管弦楽曲『ノヴェンバー・ステップス』のレコードジャケット(1970)や『時間の園丁』などの著書(1996)の装幀を宇佐美が手掛けるに留まったようだが、《きずな》からもわかるように、宇佐美の多くの作品には武満との交流で育まれた音楽性がにじみ出ていたと筆者は見る。

宇佐美が手掛けた武満のレコードジャケットの展示風景

武満もまた、森の木々に想を得た『グリーン』など、絵画的な楽曲を多く作曲したほか、通常の五線譜からは逸脱した、抽象絵画のような図形楽譜による作曲などもしている。

武満徹:『グリーン(ノヴェンバー・ステップス第2番)』

最後に、二人の関係を物語る印象的な話を紹介しておく。

福井県に宇佐美がアトリエを建てたのは1991年のこと。海に面した高台にあり、そこからの眺望はまさに「絶景」だった。一方、武満は1960年代から長野県御代田町を拠点にしていた。家族ぐるみの交流を続けていた宇佐美はアトリエに武満専用の宿泊室を作り、作曲ができるようにとピアノを設置していた。

結局、1996年に武満が急逝し、そこでの作曲は実現しなかった。しかし、山あいの地域で暮らした武満の作品に森などの自然に想を得た楽曲が多いことを考えると、海に面した部屋を準備した宇佐美の思いは実に心憎い。そんな思いがふつふつと湧いてくるのである。

宇佐美が装幀を手掛けた、武満徹著『時間の園丁(ときのえんてい)』(新潮社刊/筆者蔵)。武満が亡くなった1996年に出版された。本書には、武満が作曲した「スペクトラル・カンティクル」の譜面の上に宇佐美の版画が刷られた半透明の紙を重ねた特装本があり、完成した版画を武満は晩年の病床でしみじみ眺めていたという。
※「宇佐美圭司 よみがえる画家」展では展示されていません。
Gyoemon作《四つの猫型による図形楽譜》
宇佐美圭司の四つの人型を使った作品と武満徹の図形楽譜に触発された迷作。はたしてこの楽譜からどんな音が奏でられるかは、猫のみぞ知る、と言われています。今日もGyoemon(=筆者の雅号)のラクガキにお付き合いいただき、ありがとうございました。
展覧会情報
「宇佐美圭司 よみがえる画家」展

会場: 東京大学教養学部 駒場博物館 1階展示室(東京・目黒区)

学内公開期間: 2021年4月13日(火)~5月31日(月)(平日のみ)

一般公開期間: 日時指定予約制 2021年6月2日(水)~6月27日(日)(火曜日定休)

※緊急事態宣言を受けて、当初の予定から公開期間に変更があった。今後も変更の可能性があるので、公式サイトで確認のこと。

小川敦生
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

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