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2022.06.29
ONTOMO作曲家辞典

ラヴェルの生涯と主要作品

モーリス・ラヴェルの生涯と主要作品を、音楽学者・福田達夫が解説!

音楽之友社
音楽之友社 出版社

昭和16年12月1日創立。東京都新宿区神楽坂で音楽の総合出版、並びに音楽ホール運営事業を行なっています。

モーリス・ラヴェル
(Joseph) Maurice Ravel
1875年3月7日、バス=ピレネー(現ピレネーザトランティク県)のシブール生まれ
1937年12月28日パリ没

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文―福田達夫(音楽学者)

ラヴェルの生涯

パリ音楽院でベリオやフォーレに師事

フランスの作曲家。スイス出身の技師ピエール・ジョゼフ・ラヴェルとバスク地方出身のマリア・デルアルテ(マリー・ドルアール)の長男として,スペイン国境に近いシブール村で誕生。3ヶ月後一家はパリに移り,以後この都市に定住。1882年ピアノ教師アンリ・ギスにつき,87年からシャルル=ルネ(ドリーブの弟子)に和声を学び,作曲を試み始める。

2年後エミール・ドコンブにピアノを学び,パリ音楽院のウジェーヌ・アンティオームの予科ピアノ・クラスを経て,91年シャルル=ヴィルフリッド・ベリオのクラスに進み,和声をエミール・ペサールに学ぶ。これより前,89年パリの万国博覧会で若いラヴェルはドビュッシー同様ジャワのガムラン音楽を初めて聴いて魅惑され,またリムスキー=コルサコフ指揮のロシア音楽演奏会から強烈な刺激を受けた。

音楽院のベリオのクラスでスペイン人のビニェスを知り,一緒に現代芸術へ関心を向ける。彼らの心をとらえたのは,音楽ではヴァーグナー,ロシア楽派,シャブリエ,サティ,文学ではボードレール,ポー,マラルメだった。1893年シャブリエ,サティと個人的に接触。95年音楽院を去るが,その年〈ハバネラ Habanera〉(2台ピアノ用《耳で聴く風景》第1曲,のちに《スペイン狂詩曲 Rapsodie espagnole》第3曲となる)を含む3曲を作曲,独自の作風を示し始める。97年再び音楽院に戻ってフォーレの作曲クラスに入り,傍らアンドレ・ジェダルジュにつき対位法と管弦楽法を勉強。同時に各種の編成で作品を書く。98年《古風なメヌエット Menuet antique》初出版。99年国民音楽協会で《シェエラザード Shéhérazade》序曲を自ら指揮して初演。

1894~95年頃に撮影されたパリ音楽院におけるベリオのクラス。一番右がラヴェル。

ローマ賞作曲コンクールへの挑戦から円熟期へ

1900年予選落ちの経験をした後,01年から3年続けてローマ賞作曲コンクールに参加するものの大賞を与えられず,1年おいた05年,5回目の挑戦の際にはまた予選で失格と判定され,本選参加を認められない。この「ラヴェル事件」にはロランも公開状で当局に抗議。音楽院院長がデュボワからフォーレに更迭。ラヴェルはしかし既に《水の戯れ Jeux d’eau》(1901)でリストの流れを汲む新しいピアノ書法を確立し,若々しい優美な弦楽四重奏曲(1902-03)で高い評価を得ていた。このほか連作歌曲《シェエラザード Shéhérazade》(声と管弦楽,1903),ソナチネ(1903-05),《鏡 Miroirs》(1904-05)などをこの時期までに書いている。

1901~04年にラヴェルが住んでいたパリの家にある記念碑。この地で《水の戯れ 》、弦楽四重奏曲、ソナチネを作曲した。

以後,ジュール・ルナールの同名の作による歌曲集《博物誌 Histoires naturelles》(1906),《スペイン狂詩曲》(管弦楽,1907-08),アロイジウス・ベルトランの詩によるピアノ曲《夜のガスパール Gaspard de la nuit》(1908)など,続々と話題作を生み出す。ペロー他のおとぎ話に基づく愛らしい小曲集《マ・メール・ロワ Ma mère l’oye》(4手用,1908-10)をゴデブスキ家の子供に献呈。

他方,いくつかの試みの後,初のオペラ《スペインの時 L’heure espagnole》(1907-09)を1911年オペラ=コミック座で初演。同年ピアノ曲《高雅で感傷的なワルツ Valses nobles et sentimentales》を作曲,翌年これと先の《マ・メール・ロワ》とをバレエ化,初演。さらにこの年,ディアギレフの委嘱で作った《ダフニスとクロエ Daphnis et Chloé》がロシア・バレエ団により初演され大成功を収める。これより先,ストラヴィンスキーの人と作品に接し,彼を通じてシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》を知るが,《ステファーヌ・マラルメの3つの詩 Trois poèmes de Stéphane Mallarmé》(1913)にその影響が見られる。

1910年撮影のラヴェル

第一次世界大戦と母の死を乗り越えて代表作《ボレロ》を作曲

1914年,第一次世界大戦勃発。ラヴェルは空軍への入隊を志願するが,虚弱なため不許可,16年やっと自動車輸送隊運転手の任務に就く。だが,赤痢になり,さらに足が凍傷にかかる。17年,母死亡。同年作曲の,バロック舞曲の形を借りた《クープランの墓 Le tombeau de Couperin》は,その6つの小曲が前線で倒れた友人にそれぞれ捧げられる。20年レジオン・ドヌール勲章の叙勲を辞退。21年モンフォール=ラモーリに居を構える

戦争,病気,母の死の衝撃から創作の筆は滞りがちだったが,1920年《ラ・ヴァルス La valse》を演奏会初演。25年コレットの台本によるオペラ《子供と魔法 L’enfant et les sortilèges》(1920-25)をモンテカルロで初演,翌年パリ初演。同年《マダガスカル島の歌 Chansons madécasses》作曲。28年,それまでのヨーロッパ内の演奏旅行とは違い,大西洋を越えてアメリカとカナダをまわり,途中でガーシュウィンに会う。同年末,イダ・ルビンシテイン・バレエ団が《ボレロ Boléro》初演。29-31年,2曲の協奏曲を作曲。《左手のための協奏曲》は大戦で右手を失ったオーストリアのパウル・ヴィトゲンシュタインの注文で書かれた。32-33年の《ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ Don Quichotte à Dulcinée》以後,すべての計画は未完。32年自動車事故にあい,それがもとで33年健康が突然悪化,37年頭部外科手術は成功せず,永眠。

ラヴェルは,発想や形式や和声法の点ではシャブリエ,サティ,ドビュッシーあるいはロシア五人組の影響を受けているが,パリ音楽院の伝統的教育と彼の資質からして,古典主義的な均整を理想とし,自作に彫たくを加えた。彼の音楽については,発想の自在さ,官能的ともいえる響きの豊かさ,リズムの自由,名人技的表現が指摘される一方,明確な輪郭,堅固な構成,硬質の響きなどが特徴に挙げられる。管弦楽法の卓越した技術は《ダフニスとクロエ》《ボレロ》などで明らかで,クーセヴィツキーの依頼によるムソルグスキーの《展覧会の絵 Tableaux d’une exposition》の管弦楽編曲(1922)は有名。

ラヴェルの主要作品

【オペラ】

《スペインの時》 1907-09 ; 《子供と魔法》 1920-25

【管弦楽曲】

夢幻劇の序曲《シェエラザード》 1898 ;  洋上の小舟[p版を編曲] 1906 ;  スペイン狂詩曲(1.夜への前奏曲  2.マラゲーニャ  3.ハバネラ  4.祭り)[ハバネラは2p版を編曲] 1907-08 ;  逝ける王女のためのパヴァーヌ[p版を編曲] 1910 ;  バレエ音楽《マ・メール・ロワ》[4hds版を編曲] 1911 ;  高雅で感傷的なワルツ  1912[p版を編曲,同年バレエ《アデライード,または花言葉》];  舞踊交響曲《ダフニスとクロエ》 1909-12 ;  道化師の朝の歌[p版を編曲] 1918 ;  クープランの墓[p版を編曲] 1919 ;  ラ・ヴァルス――管弦楽のための舞踊詩  1919-20 ;  ファンファーレ[バレエ《ジャンヌの扇》用に合作] 1927 ;  ボレロ  1928 ;  古風なメヌエット[p版を編曲] 1929 ;  ツィガーヌ――演奏会用狂詩曲(vn, orch)[vn, p版を編曲] 1924 ;  左手のためのピアノ協奏曲  1929-30 ;  ピアノ協奏曲  G  1929-31

【室内楽曲】

弦楽四重奏曲  F  1902-03 ;  序奏とアレグロ(hp, fl, cl, str-qt) 1905 ;  ピアノ三重奏曲  1914 ;  ヴァイオリンとチェロのためのソナタ  1920-22[第1楽章は20年の《クロード・ドビュッシーの墓》に所収];  フォーレの名による子守歌(vn, p) 1922 ;  ツィガーヌ――演奏会用狂詩曲(vn, p) 1924 ;  ヴァイオリンとピアノのためのソナタ  1923-27

【ピアノ曲】

耳で聴く風景(2p  1.ハバネラ  2.鐘が鳴る中で) 1895-97 ;  口絵(2p[5hds]) 1918 ;  ラ・ヴァルス[2p版とp独奏版] 1919-20 ;  マ・メール・ロワ(4hds  1.眠れる森の美女のパヴァーヌ  2.おやゆび小僧  3.シナの陶器首振り人形の女帝レドロネット  4.美女と野獣の対話  5.妖精の園) 1908-10 ;  ボレロ[orch版を4hds版と2p版に編曲] 1929 ;  グロテスクなセレナード  1892-93 ;  古風なメヌエット  1895 ;  逝ける王女のためのパヴァーヌ  1899 ;  水の戯れ  1901 ;  ソナチネ  1903-05 ;  鏡(1.夜蛾  2.悲しい鳥  3.洋上の小舟  4.道化師の朝の歌  5.鐘の谷) 1904-05 ;  夜のガスパール(1.オンディーヌ  2.絞首台  3.スカルボ) 1908 ;  ハイドンの名によるメヌエット  1909 ;  高雅で感傷的なワルツ  1911 ;  ……風に(1.ボロディン風に  2.シャブリエ風に) 1912 ;  クープランの墓(1.前奏曲  2.フーガ  3.フォルラーヌ  4.リゴードン  5.メヌエット  6.トッカータ) 1914-17

【管弦楽・室内楽伴奏の声楽曲】

カンタータ :《ミルラ》(3独唱, orch) 1901, 《アルシオーヌ》(3独唱, orch) 1902, 《アリッサ》(3独唱, orch) 1903 ;  シェエラザード(独唱, orch  1.アジア  2.魔法の笛  3.つれない人) 1903 ;  ステファーヌ・マラルメの3つの詩(独唱, picc, fl, cl, B-cl, p, str-qt  1.ため息  2.むなしい願い  3.壺の腹から一跳びに躍り出た) 1913 ;  マダガスカル島の歌(独唱, fl, p, vc  1.ナアンドーヴ  2.おーい!  3.心地よい) 1925-26 ;  ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ(独唱, orch  1.空想的な歌  2.叙事詩風な歌  3.酒の歌) 1932-33

【合唱曲】

無伴奏混声合唱のための3つの歌(1.ニコレット  2. 3羽の美しい極楽鳥  3.ロンド) 1914-15

【歌曲】

恋い焦がれてみまかれる女王のバラード  1893頃 ;  暗く果てしない眠り  1895 ;  聖女  1896 ;  紡ぎ車の歌  1898 ;  何と打ち沈んだ!  1898 ;  クレマン・マロの2つのエピグラム(1.私に雪を投げつけたアンヌの  2.スピネットを弾くアンヌの) 1896-99 ;  花のマント  1903 ;  おもちゃのクリスマス  1905 ;  5つのギリシア民謡(1.花嫁の歌  2.向こうの教会へ  3.私と比べられる色男は誰  4.ピスタチオを摘む女の歌  5.何と楽しい!) 1904-06 ;  博物誌(1.孔雀  2.こおろぎ  3.白鳥  4.かわせみ  5.ほろほろ鳥) 1906 ;  大風は海のかなたから  1907 ;  草の上で  1907 ;  ハバネラの形のヴォカリーズ=エチュード  1907 ;  トリパトス  1909 ;  民謡集(1.スペインの歌  2.フランスの歌  3.イタリアの歌  4.ヘブライの歌  5.スコットランドの歌)[フランドルの歌とロシアの歌は未発見] 1910 ;  2つのヘブライの歌(1.カディッシュ  2.永遠の謎) 1914 ;  ロンサールここに眠る  1923-24 ;  夢  1927

【編曲】

ムソルグスキー《展覧会の絵》(orch) 1922

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