ラヴェルの生涯と主要作品
モーリス・ラヴェルの生涯と主要作品を、音楽学者・福田達夫が解説!
文―福田達夫(音楽学者)
ラヴェルの生涯
パリ音楽院でベリオやフォーレに師事
フランスの作曲家。スイス出身の技師ピエール・ジョゼフ・ラヴェルとバスク地方出身のマリア・デルアルテ(マリー・ドルアール)の長男として,スペイン国境に近いシブール村で誕生。3ヶ月後一家はパリに移り,以後この都市に定住。1882年ピアノ教師アンリ・ギスにつき,87年からシャルル=ルネ(ドリーブの弟子)に和声を学び,作曲を試み始める。
2年後エミール・ドコンブにピアノを学び,パリ音楽院のウジェーヌ・アンティオームの予科ピアノ・クラスを経て,91年シャルル=ヴィルフリッド・ベリオのクラスに進み,和声をエミール・ペサールに学ぶ。これより前,89年パリの万国博覧会で若いラヴェルはドビュッシー同様ジャワのガムラン音楽を初めて聴いて魅惑され,またリムスキー=コルサコフ指揮のロシア音楽演奏会から強烈な刺激を受けた。
音楽院のベリオのクラスでスペイン人のビニェスを知り,一緒に現代芸術へ関心を向ける。彼らの心をとらえたのは,音楽ではヴァーグナー,ロシア楽派,シャブリエ,サティ,文学ではボードレール,ポー,マラルメだった。1893年シャブリエ,サティと個人的に接触。95年音楽院を去るが,その年〈ハバネラ Habanera〉(2台ピアノ用《耳で聴く風景》第1曲,のちに《スペイン狂詩曲 Rapsodie espagnole》第3曲となる)を含む3曲を作曲,独自の作風を示し始める。97年再び音楽院に戻ってフォーレの作曲クラスに入り,傍らアンドレ・ジェダルジュにつき対位法と管弦楽法を勉強。同時に各種の編成で作品を書く。98年《古風なメヌエット Menuet antique》初出版。99年国民音楽協会で《シェエラザード Shéhérazade》序曲を自ら指揮して初演。
ローマ賞作曲コンクールへの挑戦から円熟期へ
1900年予選落ちの経験をした後,01年から3年続けてローマ賞作曲コンクールに参加するものの大賞を与えられず,1年おいた05年,5回目の挑戦の際にはまた予選で失格と判定され,本選参加を認められない。この「ラヴェル事件」にはロランも公開状で当局に抗議。音楽院院長がデュボワからフォーレに更迭。ラヴェルはしかし既に《水の戯れ Jeux d’eau》(1901)でリストの流れを汲む新しいピアノ書法を確立し,若々しい優美な弦楽四重奏曲(1902-03)で高い評価を得ていた。このほか連作歌曲《シェエラザード Shéhérazade》(声と管弦楽,1903),ソナチネ(1903-05),《鏡 Miroirs》(1904-05)などをこの時期までに書いている。
以後,ジュール・ルナールの同名の作による歌曲集《博物誌 Histoires naturelles》(1906),《スペイン狂詩曲》(管弦楽,1907-08),アロイジウス・ベルトランの詩によるピアノ曲《夜のガスパール Gaspard de la nuit》(1908)など,続々と話題作を生み出す。ペロー他のおとぎ話に基づく愛らしい小曲集《マ・メール・ロワ Ma mère l’oye》(4手用,1908-10)をゴデブスキ家の子供に献呈。
他方,いくつかの試みの後,初のオペラ《スペインの時 L’heure espagnole》(1907-09)を1911年オペラ=コミック座で初演。同年ピアノ曲《高雅で感傷的なワルツ Valses nobles et sentimentales》を作曲,翌年これと先の《マ・メール・ロワ》とをバレエ化,初演。さらにこの年,ディアギレフの委嘱で作った《ダフニスとクロエ Daphnis et Chloé》がロシア・バレエ団により初演され大成功を収める。これより先,ストラヴィンスキーの人と作品に接し,彼を通じてシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》を知るが,《ステファーヌ・マラルメの3つの詩 Trois poèmes de Stéphane Mallarmé》(1913)にその影響が見られる。
第一次世界大戦と母の死を乗り越えて代表作《ボレロ》を作曲
1914年,第一次世界大戦勃発。ラヴェルは空軍への入隊を志願するが,虚弱なため不許可,16年やっと自動車輸送隊運転手の任務に就く。だが,赤痢になり,さらに足が凍傷にかかる。17年,母死亡。同年作曲の,バロック舞曲の形を借りた《クープランの墓 Le tombeau de Couperin》は,その6つの小曲が前線で倒れた友人にそれぞれ捧げられる。20年レジオン・ドヌール勲章の叙勲を辞退。21年モンフォール=ラモーリに居を構える。
戦争,病気,母の死の衝撃から創作の筆は滞りがちだったが,1920年《ラ・ヴァルス La valse》を演奏会初演。25年コレットの台本によるオペラ《子供と魔法 L’enfant et les sortilèges》(1920-25)をモンテカルロで初演,翌年パリ初演。同年《マダガスカル島の歌 Chansons madécasses》作曲。28年,それまでのヨーロッパ内の演奏旅行とは違い,大西洋を越えてアメリカとカナダをまわり,途中でガーシュウィンに会う。同年末,イダ・ルビンシテイン・バレエ団が《ボレロ Boléro》初演。29-31年,2曲の協奏曲を作曲。《左手のための協奏曲》は大戦で右手を失ったオーストリアのパウル・ヴィトゲンシュタインの注文で書かれた。32-33年の《ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ Don Quichotte à Dulcinée》以後,すべての計画は未完。32年自動車事故にあい,それがもとで33年健康が突然悪化,37年頭部外科手術は成功せず,永眠。
ラヴェルは,発想や形式や和声法の点ではシャブリエ,サティ,ドビュッシーあるいはロシア五人組の影響を受けているが,パリ音楽院の伝統的教育と彼の資質からして,古典主義的な均整を理想とし,自作に彫たくを加えた。彼の音楽については,発想の自在さ,官能的ともいえる響きの豊かさ,リズムの自由,名人技的表現が指摘される一方,明確な輪郭,堅固な構成,硬質の響きなどが特徴に挙げられる。管弦楽法の卓越した技術は《ダフニスとクロエ》《ボレロ》などで明らかで,クーセヴィツキーの依頼によるムソルグスキーの《展覧会の絵 Tableaux d’une exposition》の管弦楽編曲(1922)は有名。
ラヴェルの主要作品
【オペラ】
《スペインの時》 1907-09 ; 《子供と魔法》 1920-25
【管弦楽曲】
夢幻劇の序曲《シェエラザード》 1898 ; 洋上の小舟[p版を編曲] 1906 ; スペイン狂詩曲(1.夜への前奏曲 2.マラゲーニャ 3.ハバネラ 4.祭り)[ハバネラは2p版を編曲] 1907-08 ; 逝ける王女のためのパヴァーヌ[p版を編曲] 1910 ; バレエ音楽《マ・メール・ロワ》[4hds版を編曲] 1911 ; 高雅で感傷的なワルツ 1912[p版を編曲,同年バレエ《アデライード,または花言葉》]; 舞踊交響曲《ダフニスとクロエ》 1909-12 ; 道化師の朝の歌[p版を編曲] 1918 ; クープランの墓[p版を編曲] 1919 ; ラ・ヴァルス――管弦楽のための舞踊詩 1919-20 ; ファンファーレ[バレエ《ジャンヌの扇》用に合作] 1927 ; ボレロ 1928 ; 古風なメヌエット[p版を編曲] 1929 ; ツィガーヌ――演奏会用狂詩曲(vn, orch)[vn, p版を編曲] 1924 ; 左手のためのピアノ協奏曲 1929-30 ; ピアノ協奏曲 G 1929-31
【室内楽曲】
弦楽四重奏曲 F 1902-03 ; 序奏とアレグロ(hp, fl, cl, str-qt) 1905 ; ピアノ三重奏曲 1914 ; ヴァイオリンとチェロのためのソナタ 1920-22[第1楽章は20年の《クロード・ドビュッシーの墓》に所収]; フォーレの名による子守歌(vn, p) 1922 ; ツィガーヌ――演奏会用狂詩曲(vn, p) 1924 ; ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 1923-27
【ピアノ曲】
耳で聴く風景(2p 1.ハバネラ 2.鐘が鳴る中で) 1895-97 ; 口絵(2p[5hds]) 1918 ; ラ・ヴァルス[2p版とp独奏版] 1919-20 ; マ・メール・ロワ(4hds 1.眠れる森の美女のパヴァーヌ 2.おやゆび小僧 3.シナの陶器首振り人形の女帝レドロネット 4.美女と野獣の対話 5.妖精の園) 1908-10 ; ボレロ[orch版を4hds版と2p版に編曲] 1929 ; グロテスクなセレナード 1892-93 ; 古風なメヌエット 1895 ; 逝ける王女のためのパヴァーヌ 1899 ; 水の戯れ 1901 ; ソナチネ 1903-05 ; 鏡(1.夜蛾 2.悲しい鳥 3.洋上の小舟 4.道化師の朝の歌 5.鐘の谷) 1904-05 ; 夜のガスパール(1.オンディーヌ 2.絞首台 3.スカルボ) 1908 ; ハイドンの名によるメヌエット 1909 ; 高雅で感傷的なワルツ 1911 ; ……風に(1.ボロディン風に 2.シャブリエ風に) 1912 ; クープランの墓(1.前奏曲 2.フーガ 3.フォルラーヌ 4.リゴードン 5.メヌエット 6.トッカータ) 1914-17
【管弦楽・室内楽伴奏の声楽曲】
カンタータ :《ミルラ》(3独唱, orch) 1901, 《アルシオーヌ》(3独唱, orch) 1902, 《アリッサ》(3独唱, orch) 1903 ; シェエラザード(独唱, orch 1.アジア 2.魔法の笛 3.つれない人) 1903 ; ステファーヌ・マラルメの3つの詩(独唱, picc, fl, cl, B-cl, p, str-qt 1.ため息 2.むなしい願い 3.壺の腹から一跳びに躍り出た) 1913 ; マダガスカル島の歌(独唱, fl, p, vc 1.ナアンドーヴ 2.おーい! 3.心地よい) 1925-26 ; ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ(独唱, orch 1.空想的な歌 2.叙事詩風な歌 3.酒の歌) 1932-33
【合唱曲】
無伴奏混声合唱のための3つの歌(1.ニコレット 2. 3羽の美しい極楽鳥 3.ロンド) 1914-15
【歌曲】
恋い焦がれてみまかれる女王のバラード 1893頃 ; 暗く果てしない眠り 1895 ; 聖女 1896 ; 紡ぎ車の歌 1898 ; 何と打ち沈んだ! 1898 ; クレマン・マロの2つのエピグラム(1.私に雪を投げつけたアンヌの 2.スピネットを弾くアンヌの) 1896-99 ; 花のマント 1903 ; おもちゃのクリスマス 1905 ; 5つのギリシア民謡(1.花嫁の歌 2.向こうの教会へ 3.私と比べられる色男は誰 4.ピスタチオを摘む女の歌 5.何と楽しい!) 1904-06 ; 博物誌(1.孔雀 2.こおろぎ 3.白鳥 4.かわせみ 5.ほろほろ鳥) 1906 ; 大風は海のかなたから 1907 ; 草の上で 1907 ; ハバネラの形のヴォカリーズ=エチュード 1907 ; トリパトス 1909 ; 民謡集(1.スペインの歌 2.フランスの歌 3.イタリアの歌 4.ヘブライの歌 5.スコットランドの歌)[フランドルの歌とロシアの歌は未発見] 1910 ; 2つのヘブライの歌(1.カディッシュ 2.永遠の謎) 1914 ; ロンサールここに眠る 1923-24 ; 夢 1927
【編曲】
ムソルグスキー《展覧会の絵》(orch) 1922
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly