読みもの
2024.04.22

『レコ芸』歴代編集部員が選ぶ 心に刺さった批評#4 演奏解釈の背景に広がる豊かな世界

昨年7月号で休刊した月刊誌『レコード芸術』を、内容刷新のONLINEメディアとして再生させるべく、2024年5月24日までクラウドファンディングによる『レコード芸術』復活プロジェクトを実施中! それにちなみ、『レコ芸』歴代編集部員の記憶に残る“心に刺さった批評”をご紹介していきます。

高間裕子
高間裕子 音楽之友社 編集部 MOOK編集

高校時代まではピアノ、大学時代は声楽科。音楽之友社入社以降、『レコード芸術』編集部、営業部を経て、現在はMOOK編集。普段聴く音楽はほぼピアノ曲。休日は、魚市場通い→...

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文学や哲学、西洋史や美術など、幅広い分野に精通している喜多尾先生は、独自の視点から音楽の核心を突く評論をされ、そして文章はユーモアにも溢れているので、いつも楽しく深く学ばせていただきました。この評では、先生の座右の曲(と私が思っている)《冬の旅》演奏の解釈の新しさが明晰に語られ、自分がぼんやりいいなあと感じながら聴いていた背景に、豊かな世界が繰り広げられていて瞠目しました。

(高間裕子)

シューベルト:歌曲集《冬の旅》全曲 イアン・ボストリッジ(T)レイフ・オーヴェ・アンスネス(p)[EMIクラシックス  TOCE55692]

 

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シューベルト:歌曲集《冬の旅》全曲 イアン・ボストリッジ(T)レイフ・オーヴェ・アンスネス(p)

推薦 喜多尾道冬

ボストリッジは細部の微視的な彫琢で知られるテノールで、そのため全体の堅固な構成が脆弱になる危険も秘めていた。またインテリ風の意識過剰もマイナスに働くこともないではなかった。しかし、この《冬の旅》ではそのアキレス腱が克服され、これまでにない新しい展望を開くことに成功している。

ボストリッジは冒頭から凍てつく厳冬のさなかを、自虐と自己慰撫のあいだで揺れつつ旅する若者を浮かび上がらせる。これまでの演奏のほとんどは、いかに辛い旅に耐えるかという忍耐のさまざまな方法論に終始した。しかし、彼は希望を抱いたかと思うとつぎの瞬間に絶望し、無理やり自己陶酔しようとしながら、冷たい現実から眼をそらせられない心の揺れを演出する。そのなりゆきはまさにわたしたち自身が失恋したときに体験する心理そのものと通底する。

アンスネスはその心理を的確に理解し、ピアノは情景描写よりは、心の揺れと変化をなぞっていると言えるほどだ。〈菩提樹〉のざわめきも心のざわめきとなり、若者はその心のひびきに耳を澄ませ、来し方行く末を沈思するといった趣。〈川の上で〉の氷に足をとられて歩むぎこちなさも、心の反映を示す。

若者は歩みつづけてゆくうちに、心の揺れの振幅にしだいに通じてゆき、たんにその微視的な描写と反復にとどまらず、甘えがちな自分を突き放したり、心の痛みを「意識」することによろこびを見出したりするようになってゆく。いわばこの弁証法的な心の成長が、これまでのボストリッジになかった新しい展開だ。

こうして辛い旅はしだいに心たのしいものに変化してゆく。〈鬼火〉では鬼火の揺らめくピアノの描写も、若者が岩のあいだに好奇心をもってそれを眺めに入ってゆく心のときめきに近い。「もはや私は迷いには慣れている」からである。〈からす〉でももはや不吉なアパシーはひびかない。ピアノは覚醒に満ち、声は明るくさえある。からすは新しい行く手の親しい導き手になろうとしているかのようだ。

〈最後の希望〉もむしろ「はじめての希望」とさえ呼べる「自覚」のよろこびがひびき出ている。だから〈村で〉のピアノ伴奏は若者を疎外する不気味さよりは親和をひびかせ、若者の声は世と和解する用意さえ示している。これはまったく新しい解釈だ。

〈道しるべ〉でもけっして足取りは重くない。行く先に希望を見出したのか、軽快で小走りになりそうですらある。〈幻の太陽〉がその延長上にあり、人生と決別する諦観をひびかせているよりは、到達すべき目標のようにすら見える。最後の〈辻音楽師〉は、素足の老人を遠くから距離をおいて眺めるのではない。すぐそばに寄って抱きかかえるようにして、ともに空っぽの皿を覗き、いたわり合うような共感で終わる。ボストリッジ&アンスネスの演奏は、《冬の旅》の将来の解釈を大きく変える予感をはらんでいる。

(初出:『レコード芸術』2005年3月号 新譜月評)

高間裕子
高間裕子 音楽之友社 編集部 MOOK編集

高校時代まではピアノ、大学時代は声楽科。音楽之友社入社以降、『レコード芸術』編集部、営業部を経て、現在はMOOK編集。普段聴く音楽はほぼピアノ曲。休日は、魚市場通い→...

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