読みもの
2021.06.16
体感シェイクスピア! 第3回

『夏の夜の夢』の細部に宿る美~メンデルスゾーンの序曲に凝縮されたシェイクスピアの世界

文豪シェイクスピアの作品を、原作・絵画・音楽の3つの方向から紹介する連載。
第3回は、6月下旬の夏至に繰り広げられる『夏の夜の夢』をとりあげます。メンデルスゾーンによる序曲とイギリスの画家ペイトンによる作品、どちらにおいても原作の世界観を表す大切なものは……?

ナビゲーター
齊藤貴子
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齊藤貴子 イギリス文学・歴史文化研究者

上智大学大学院文学研究科講師。早稲田大学および同大学エクステンションセンター講師。専門領域は近代イギリスの詩と絵画。著作にシェイクスピアのソネット(十四行詩)を取り上...

ジョゼフ・ノエル・ペイトン《オベロンとティターニアの口論》(1849年頃、スコットランド国立美術館蔵)

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1年でもっとも神秘的な夏至の頃に繰り広げられる『夏の夜の夢』

美は細部に宿る。

一体誰が最初にいったか知らないけれど、オーケストラの音を聴くたびに、これは真実だとつくづく思う。絶世の美男美女でなくとも、何だかキレイと思わせる人が毛先指先といったディテールを決して疎かにしないように、楽曲全体の美しさもまた、一音一音へのこだわりが積み重なって生まれるもの。

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いわばオーケストラは「細部の美」の集合体。いつ聴いても、つくづくそんなふうに思わせるのが、シェイクスピアの喜劇に基づきフェリックス・メンデルスゾーン(1809~1847)が作曲した劇付随音楽《夏の夜の夢》序曲である。

アテネ近郊の森を舞台に、貴族や職人、そして人ならぬ妖精たちが、惚れ薬の魔法によって恋の大騒ぎを繰り広げる。それがシェイクスピアの『夏の夜の夢』の話の筋だが、騒ぎのすべては、イタズラ好きの妖精パックが惚れ薬を垂らす相手を間違えたり、出来心で職人のひとりの頭をロバに変えたりしたせいで生じたもの。

そんなふうに、己の所業のせいで右往左往する人間たちを

Shall we their fond pageant see

Lord, what fools these mortals be!

さあさあ おもしろ芝居を見てみましょう?

人間って なんてバカなんでしょう!

と、上手に韻を踏みながら笑い飛ばすパックの姿と態度は、正に作者シェイクスピア自身のそれ。男も女も、お偉い貴族さまも村の職人さんも、誰も彼もが惚れた腫れたで死ぬほど騒いで、人間とは何とも愚かなもの。元がこんなに「バカ」なんだから、別に今さら立派じゃなくても、真面目じゃなくてもいいじゃない。そんなに目くじらたてて、ああだこうだ気にしなさんな。所詮人間なんだから——それがシェイクスピアの『夏の夜の夢』という作品が放つメッセージ。 

こんなふうに、シェイクスピアの芝居で本当に大切なことを言うのは、いつも主役ではなく脇役と相場が決まっている。そして、『夏の夜の夢』でその役が妖精に割り当てられているのには、描かれた舞台にちょっと事情がある。

というのも、原タイトル中の Midsummer Nightには、文字通り「真夏の夜」という意味もあるけれど、何もギラギラした熱帯夜のことをいっているわけではない。英語でMidsummerといったら、真夏とは別にもうひとつ「夏至」という意味があって、ヨーロッパでは昔から、Midsummer Nightは夏至の祭りが行なわれる6月24日前夜のことを指してきた。

その頃になると、魔女や妖精など人ならぬ妖しい生き物たちが、どこからかワラワラ湧いて現れるという、これまた古くからの言い伝えがあって、すなわち夏至とは、妖精の季節。1年の中でも最高に神秘的な時期なのである。

夏至の世界に引き込み、妖精たちの戯れを表す《夏の夜の夢》序曲

メンデルスゾーンが、《夏の夜の夢》序曲の導入部で表現しているのは、この夏至の頃の妖精たちが息づく森。つまりはその神秘性である。管楽器の妙なるハーモニーで始まり、続く弦楽器が細かい動きで、それこそ時に指で弦をはじくピチカート奏法をも駆使して表現しているのが、妖精たちのさざめきであり、ざわめきだ。

イヴァン・フィッシャー指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏(冒頭)

人数の多い弦楽器が、息を詰めるようにタイミングを合わせ、森の妖精たちの戯れを、本来なら足音ひとつ立てぬその繊細な動きを、かそけき音で伝えてゆく。そうして奏でられる第一主題は、オーケストラのこれでもか! という大音量放出状態とはまったく別次元で、聴衆の感嘆を誘わずにはおかない。

細部まで彩られた妖精たちが絵画でもカギを握る

それは、同じ場面を表現した傑作、19世紀イギリスの画家ジョゼフ・ノエル・ペイトンによる絵画《オベロンとティターニアの口論》にも言える

ジョゼフ・ノエル・ペイトン《オベロンとティターニアの口論》
(1849年頃、スコットランド国立美術館蔵)

なるほどタイトル通り、画面の中央、インドから連れてきた可愛い小姓を取り合って、睨み合いを続けている妖精の王オベロンと王妃ティターニアが、一応この絵の主役ではある。けれど、本当の意味で画面を支配しているのは、むしろ周囲にいる無数の妖精たちだ。

画面のそこかしこで、おしゃべりしたり寝転んだり。あるいは、妙にアクロバティックかつエロティックに、身をくねらせてみたり。そんなふうにひしめき合う妖精たちの群れは、本来なら奇妙で異形。なのにペイトンの絵が全体として不気味さを感じさせず、あくまで晴れやかで祝祭的な雰囲気に包まれているのは、妖精たちのディテールが徹底的に明るい色彩で描き込まれているから。

妖精の王オベロンと王妃ティターニア
細部まで明るい色彩で描かれた妖精たち

メンデルスゾーンは12分で原作の構造までも完璧に表現

そうした邪気のない無数の妖精たちを彷彿とさせる第一主題の繊細な弦の音の粒こそ、メンデルスゾーンの《夏の夜の夢》序曲の命。ひいては、かの有名な「結婚行進曲」を擁する楽曲全体の祝祭的雰囲気を、本当の意味で支えている要素といってもいい。

メンデルスゾーン:劇付随音楽《夏の夜の夢》全曲(「結婚行進曲」は6曲目)

実際、この弦楽器による「細部の美」がなければ、妖精の森のイメージはもちろん、そのあと突如始まる壮麗な旋律や、種々の変化の意味も意義も伝わらない。

抑えに抑えた弦楽のあとの行進曲的メロディは、アテネの公爵シーシアスの華やかな宮殿を表現。続いて訪れる弧を描くような優しい旋律の第二主題は、貴族の恋人たちのとろけるように甘い雰囲気を、そこからさらに管楽器に導かれて始まる第三主題は、職人たちの陽気な踊りを伝えている。その後、例の弦がささやくような妖精たちの主題が繰り返されて《夏の夜の夢》序曲は終わっていくが、これらは全部で約12分。

——一体どれだけの人が気づいているのだろう。メンデルスゾーンが実のところ、このわずか12分で、貴族・職人・妖精の三種三様の登場人物群から成るシェイクスピアの原作の構造までも完璧に表現していることに。

「恋人たちよベッドへ。もう妖精の時間だ」という公爵シーシアスの台詞で原作の芝居はクロージングへと向かうが、メンデルスゾーンもまた「妖精」の繊細な弦の主題を最後にもういちど提示しながら、森に消え入るように静かに曲を終わらせてゆく。原作のストーリー展開の鍵を握るのが妖精であるように、《夏の夜の夢》序曲の鍵を握るのも、妖精みたいな繊細な弦の響き。美も才も、大切なものは全部細部に宿っている。

ナビゲーター
齊藤貴子
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齊藤貴子 イギリス文学・歴史文化研究者

上智大学大学院文学研究科講師。早稲田大学および同大学エクステンションセンター講師。専門領域は近代イギリスの詩と絵画。著作にシェイクスピアのソネット(十四行詩)を取り上...

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