読みもの
2021.07.11
体感シェイクスピア! 第4回

『テンペスト』の妖精エアリアルが操る「音楽という魔法」~シベリウスとミレイはどう描く?

文豪シェイクスピアの作品を、原作・絵画・音楽の3つの方向から紹介する連載。
第4回は、『テンペスト』をシベリウスの劇付随音楽とジョン・エヴァレット・ミレイの絵画から読み解きます。劇展開を牽引する妖精エアリアルはどのように描かれている? 実は『テンペスト』では、音楽が重要な要素となっているのです。

ナビゲーター
齊藤貴子
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齊藤貴子 イギリス文学・歴史文化研究者

上智大学大学院文学研究科講師。早稲田大学および同大学エクステンションセンター講師。専門領域は近代イギリスの詩と絵画。著作にシェイクスピアのソネット(十四行詩)を取り上...

ジョン・エヴァレット・ミレイ《エアリアルに誘い出されるファーディナンド》(1850年、個人蔵)

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人間が主役のシェイクスピア作品で際立つ『テンペスト』の“できる妖精”

あまりに当たり前で、今さらいうのも気が引けるけれど、シェイクスピア劇の主役は人間前回取り上げた『夏の夜の夢』みたいに、人ならぬ妖精たちが大活躍する作品もあるにはあるが、よく考えてみれば、シェイクスピアに妖精オンリーの話は皆無。超自然的存在の彼らは、あくまでわれら自然界の人間と関わりあうことで、その特殊な能力、つまりは存在感を発揮する。

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『夏の夜の夢』とならんで、シェイクスピアの二大妖精ものとして知られる『テンペスト』でも、もちろんそう。ただし、シェイクスピア最後期の代表作『テンペスト』に登場する妖精エアリアルは、他作品のどんな妖精たちより人間(?)ができている。というか、とにかくやることなすことソツがない。

エアリアルは、魔術師プロスペローのしもべ。もとはミラノ大公でありながら、弟の奸計にあって領地を追われ、一人娘ミランダと絶海の孤島で暮らすプロスペローに、顎でこきつかわれている。それでも常に主人の意を汲み、次々と望む通りの結果を出す励行ぶりで、プロスペローとの間に主従関係以上の確かな信頼関係を築きあげ、最後には自由の身の上となるのだからすごいもの。周囲の皆さんにご迷惑かけっぱなしの『夏の夜の夢』の妖精パックとは大違いで、出過ぎず、引っ込み過ぎず、しくじらず。とにかく優秀で大変出来た人物……じゃなくて妖精である。

シベリウスの劇付随音楽《テンペスト》ではフルートでエアリアルを表現

実際、芝居の幕開け早々、エアリアルはプロスペローの指図どおりに嵐を起こし、彼の仇たちの船を難破させ、復讐のために一行を島へとおびき寄せる。物語のすべてがここから始まる以上、冒頭の嵐の場面はきわめて重要。

ゆえにシェイクスピアに魅せられた音楽家のひとり、20世紀最高の交響曲作曲家と目されるフィンランドのジャン・シベリウス(1865~1957)も、晩年になって手掛けた劇付随音楽《テンペスト》の「序曲」のテーマに、とりもなおさず嵐のシーンを選んだ。弦と管と打楽器を使い尽くした、何かとんでもないことが起こりそうな予感しかしない、暗澹としてドラマティックな調べ——。これは確かに、音楽による嵐の描写のひとつの頂点である。

シベリウス:劇付随音楽《テンペスト》より「序曲」

非常にありがたいことに、シベリウスは1時間超の劇音楽《テンペスト》から「嵐」の序曲および2つの演奏会用組曲を再編成していて、その組曲第1番の冒頭には、エアリアルの象徴たるソロ・フルート際立つ楽曲「オークの木」が置かれている。これにはひたすら感謝、そして脱帽。おかげさまで、素晴らしい独奏を初めから堪能できるのはもちろん、シベリウスという音楽家の文学的慧眼も改めて確信できる。だって、このフルートみたいな得もいわれぬ楽の音で誰も彼をも操り、最初から最後までストーリーをぐいぐい牽引していくのがエアリアルなのだから。

シベリウス:演奏会用組曲《テンペスト》第1番より第1曲「オークの木」

原作でも音楽で誘い出すエアリアル

そんなエアリアルの妖精としての本領、ほかに類をみない存在感がシェイクスピアの原作においてもっともよく発揮されているのは、第1幕第2場。透明人間よろしく己の姿を消して、漂着者たちから独りはぐれたナポリ王子ファーディナンドを奏楽と歌声で誘い出し、こういわしめる場面である。

Where should this music be?

i’ the air or the earth?

 

この調べは一体どこから聴こえてくるのか?

空からか 大地からか?

ジョン・エヴァレット・ミレイの絵画ではポーズと配色でエアリアルを表現

目には見えねど、耳に響く快い調べ。その出どころを求め、あてどなく歩みを進めるファーディナンドの姿を描いているのが、19世紀イギリスの有名画家ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829~1896)の《エアリアルに誘い出されるファーディナンド》である。

ジョン・エヴァレット・ミレイ《エアリアルに誘い出されるファーディナンド》(1850年、個人蔵)

人間の目には見えないという設定のエアリアルを描くにあたり、ミレイがこの絵で凝らした工夫は主にふたつ。

ひとつは、必死に耳を澄ますファーディナンドと、その耳に直接語りかけているエアリアルのポーズ。これは秀逸の一言に尽きる。なぜなら、シェイクスピアの原作を知っていようが知らなかろうが、画中の若者には緑の物体が見えていない、すなわちファーディナンドにはエアリアルがまったく見えないのだと、誰でもひと目でよくわかる

もうひとつは彩色。背景の緑の草むらに半ば溶け込むような、エアリアルの保護色めいた色彩表現はカムフラージュ効果抜群。これは「見えない」という設定のシェイクスピアの原作に可能な限り忠実な、奇跡みたいなエアリアルの可視化といっていい。

耳を澄ますポーズと周囲に溶け込む緑の彩色。このふたつの要素は、絵の中のファーディナンドが、もうすっかりエアリアルの音楽の虜となり、その魔法に操られていることを示すもの。あとはプロスペローの書いた筋書きどおり、娘のミランダと出逢って恋に落ちるだけ。その名も「ミランダ」と題されたシベリウスの組曲第2番中の曲に顕著な、ピンと一本芯と筋の通ったヴァイオリンのごとき彼女の強さと優しさに支えられ、周囲の誤解や諸々を乗り越えて結ばれる運びとなる。

シベリウス:演奏会用組曲《テンペスト》第2番より第6曲「ミランダ」

『テンペスト』全体を通して音楽が重要な要素を担う

このように人を動かし操る「音楽という魔法」こそ、妖精エアリアルの得意技にして真骨頂。なるほど、作中唯一の女性であるミランダのジェンダー的役割とか、彼女に横恋慕し、島の主たるプロスペローからは奴隷然と扱われる怪物キャリバンの植民地人的悲哀とか、『テンペスト』は色々と論点豊富な作品ではある。

けれど、劇中ただの一度として日の目をみることのないキャリバンまでもが「この島はいつも音でいっぱいだ、歌声や甘い旋律が喜びを与えてくれる」と誇らしげに述べるとおり、シェイクスピアやシベリウスがそれぞれに伝えているのは、音楽のもつ不思議なチカラ。やはり音楽こそが『テンペスト』最大のテーマだ。

あまりに当たり前で、今さらいうのも気が引けるけれど。

シベリウス:演奏会用組曲《テンペスト》第1、2番全曲

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齊藤貴子
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齊藤貴子 イギリス文学・歴史文化研究者

上智大学大学院文学研究科講師。早稲田大学および同大学エクステンションセンター講師。専門領域は近代イギリスの詩と絵画。著作にシェイクスピアのソネット(十四行詩)を取り上...

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