『サウンド・オブ・ミュージック』とロジャース&ハマースタインが生んだ名曲の数々
音楽の観点からミュージカルの魅力に迫る連載「音楽ファンのためのミュージカル教室」。
第26回は、不朽の名作『サウンド・オブ・ミュージック』! 作曲ロジャース&作詞ハマースタインが手がけた“名曲の宝庫”のような作品を、誕生の背景と主要ナンバーから見てみましょう。
1964年京都市生まれ。1987年、慶應義塾大学経済学部卒業。1990年から音楽に関する執筆活動を行う。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人 -ある日本人指揮者の...
数々のヒット作を生み出した名コンビ、ロジャース&ハマースタイン
『サウンド・オブ・ミュージック』(以下、「SOM」と略す)は、「ドレミの歌」、「私のお気に入り」、「エーデルワイス」、「マリア」、「もうすぐ17歳」、「すべての山に登れ」など、まさに名曲揃い。舞台でも映画でも大ヒットしたこのミュージカルは、世界でもっとも人気の高いミュージカルの一つに違いない。
そんな「SOM」は、『回転木馬』、『南太平洋』、『王様と私』などで人気を博した、作曲家のリチャード・ロジャースと脚本・作詞家のオスカー・ハマースタイン2世とのコンビ(いわゆるロジャース&ハマースタイン)の最後の作品である。
(1945年撮影)
リチャード・ロジャース(1902~1979)は、ニューヨークでロシア系ユダヤ人医師の息子として生まれ、子どもの頃からヴィクター・ハーバートのオペレッタやジェローム・カーンのミュージカルに親しんだ。コロンビア大学で学び、学生時代から作曲活動を行なっていた。
まず、1919年にコロンビア大学では先輩にあたる、作詞家のロレンツ・ハート(1895~1943)と知り合い、キャリアを始めた。そしてロジャース&ハートのコンビは、数々のミュージカルや歌を生み出し、ヒットさせた。
二人のコラボレーションでもっともよく知られたナンバーは、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」であろう。もともとはミュージカル『ベイブス・イン・アームス』(1937)のなかの1曲として書かれた。
マイルス・デイヴィス、フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンらによってカバーされ、ジャズのスタンダードとなっている。
「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」
ロジャース&ハートのミュージカルの代表作としては、『コネチカット・ヤンキー』(1927)、『オン・ユア・トーズ』(1936)などがあげられる。しかし、二人のコラボレーションは、1943年のハートの急逝によって、終わる。
『コネチカット・ヤンキー』2001年ブロードウェイ公演の予告
ロジャースは、ハートが亡くなる以前から、やはりコロンビア大学での先輩にあたるオスカー・ハマースタイン2世(1895~1960)ともミュージカルを手掛けていた。ハマースタインは、1927年、ジェローム・カーン作曲の画期的なミュージカル『ショウ・ボート』の脚本・作詞で大きな成功を収めていた。
ミュージカル『ショウ・ボート』
ロジャース&ハマースタインの最初のヒット・ミュージカルは、1943年3月開幕の『オクラホマ!』。そして二人は、『回転木馬』(1945)、『南太平洋』(1949)、『王様と私』(1951)、映画用の『ステート・フェア』(1945)、テレビ用の『シンデレラ』(1957)など、次々とミュージカル史上に残る名作を作り上げた。
そして、1960年のハマースタインの死によって、1959年11月開幕の「SOM」が結果的にロジャース&ハマースタインの最後のミュージカルとなったのであった。
音楽によって心が通い合う家族を描いた『サウンド・オブ・ミュージック』
「SOM」は、実在したゲオルク・フォン・トラップ大佐とその妻マリアをモデルとし、マリアが書いた「トラップ・ファミリー合唱団物語」を原作としている。舞台は、ナチス・ドイツがオーストリアを併合しようとしている1938年頃のザルツブルク。修道女見習いだったマリアが、妻を亡くしたトラップ大佐の7人の子どもたちの家庭教師となり、大佐と結婚し、家族とともにナチスを逃れて、スイスに向かうというストーリー。
作曲をロジャース、作詞をハマースタインが手掛け、台本はハワード・リンゼイとラッセル・クラウスが担った。トライアウトを経て、1959年11月16日にブロードウェイのルント・フォンテーヌ劇場で開幕し、1962年11月にマイク・へリンジャー劇場に会場を移しながら、1963年6月15日まで公演は続いた(通算1443公演)。オリジナル・キャストのマリアは、メアリー・マーティン。
タイトルにもあるように「SOM」は、音楽そのものがテーマの一つとなったミュージカルである(ほかに音楽がテーマとなったミュージカルとしてはロイド・ウェッバーの『オペラ座の怪人』などがあげられる)。そして、「SOM」では、音楽の力が人を動かすことが示される。音楽によって、心が通い合い、心がつながり、ファミリーが一つになるのである。
映画『ウエスト・サイド・ストーリー』(1961)でも監督を務めたロバート・ワイズ監督によって映画化され、1965年に公開されると、世界的に大ヒットした。映画では、マリアをジュリー・アンドリュースが演じた。
アンドリュースつながりでいうと、この連載で前回取り上げた『メリー・ポピンズ』(1964)の映画版でも、彼女は主役を務めていた。2作は、ともに家庭教師としてある家に入り込み、子どもたちの心をつかむことによって、大人をも変えてしまう。主人公がメリー(マリアに由来する)とマリアというのも、興味深い一致である。
代表的なナンバーと聴きどころ
「サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)」
全体のテーマ音楽ともいえるナンバー。マリアが雄大な自然と“音楽の調べ”との一体感を歌う。トラップ大佐からマリアが追い出されそうになったときに、子どもたちがこの曲を歌い、トラップ大佐はマリアを留まらせる。まさに音楽の力。
「マリア(Maria)」
修道女たちが姿を消した見習い修道女マリアの話をしている。マリアの素行の悪さを指摘する割にはリズミックで楽しい音楽。マリアが“いたずらな妖精”であることが示される。
「ドレミの歌(Do-Re-Mi)」
マリアが子どもたちに音楽を教えるシーンで歌われる。誰もが子どもの頃に歌ったであろう歌。様々な国の言語で歌われ、日本ではペギー葉山の訳詞が定着している。オリジナルでは、ドはDoe(雌鹿)、レはRay(太陽の光線)、ミはMe(自分自身)、ファはFar(遠く)、ソはSew(縫うこと)、ラはLa(ソの次の音)、シ(ティ)はTea(お茶)。
「サウンド・オブ・ミュージック」「マリア」「ドレミの歌」
「もうすぐ17歳(Sixteen Going on Seventeen)」
若者ロルフ(後にナチスに傾倒する)と トラップ大佐の長女リーズルは恋仲。17歳のロルフは年長を気取り、16歳のリーズルは大人になる不安を歌う。そして二人は歌い踊る。
「私のお気に入り(My Favorite Things)」
舞台版では、修道院内で歌ってはいけないと修道院長から注意を受けたマリアが歌うが、映画版では、激しい雷雨の夜、マリアが怖がる子どもたちのために歌う。韻を踏みながら、好きなものを並べ、短調で始まり長調で終わるその変化に、気持ちが晴れていく様が描かれている。ジョン・コルトレーンらがカバーし、ジャズのスタンダードになっている。日本ではテレビのCMなどでも使用されていた。
「おやすみ、さようなら(So Long, Farewell)」
トラップ邸でパーティが催され、寝る時間になった子どもたちは、客人たちに「おやすみなさい、さようなら」と歌う。鐘が鳴り、子どもたちが「クックー」と鳩時計を模倣する。英語のほか、ドイツ語やフランス語でも「さようなら」が歌われる。
「もうすぐ17歳」「私のお気に入り」「おやすみ、さようなら」
「すべての山に登れ(Climb Ev’ry Mountain)」
第1幕の終わり、トラップ大佐との感情に困惑するマリアが修道院に戻ったときに、修道院長は「すべての山に登って、あなたの夢を見つけなさい」と歌う。このナンバーは全体のラストでも歌われ、それは一家がスイスに逃れていく様子と重ねられる。
「ひとりぼっちの羊飼い(The Lonely Goatherd)」
舞台版では、激しい雷雨の夜にマリアの部屋に逃げ込んできた子どもたちを落ち着かせようとマリアが歌う。映画版では、マリアと子どもたちによる人形劇のシーンで歌われる。オーストリアの民謡であるヨーデルのような音が跳躍するフレーズが使われる。
「エーデルワイス(Edelweiss)」
エーデルワイスは、オーストリアの国の花。音楽祭でトラップ大佐が祖国を思い、ギターで弾き語りをする。大佐のようなアマチュアでも歌えるシンプルかつ感動的な歌である。
「すべての山に登れ」「ひとりぼっちの羊飼い」「エーデルワイス」
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