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2020.06.23
音楽ファンのためのミュージカル教室 第9回

ガーシュウィンが黒人キャストで描いたオペラ《ポーギーとベス》

音楽の観点からミュージカルの魅力に迫る連載「音楽ファンのためのミュージカル教室」。
コロナ禍で休止していたMET(メトロポリタン・オペラ)ライブビューイングが、ガーシュウィンの名曲ぞろいの異色のオペラ《ポーギーとベス》を6月26日(金)から上映開始。
当時の初演までの経緯や音楽のポイント、さらには昨今の人種問題についてMETが出した声明などを、音楽評論家の山田治生さんがご紹介します。

山田治生
山田治生 音楽評論家

1964年京都市生まれ。1987年、慶應義塾大学経済学部卒業。1990年から音楽に関する執筆活動を行う。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人 -ある日本人指揮者の...

メイン写真 ©Ken Howard/Metropolitan Opera

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ブロードウェイの人気作曲家であったジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)が、本格的なオペラとして書いた《ポーギーとベス》6月26日から再び、「METライブビューイング」で上映される(4月に上映されていたが、緊急事態宣言のために地域によっては打ち切られた)

ガーシュウィンにとって唯一の本格的なオペラであるが、初演はブロードウェイの劇場で行なわれ、以後の上演も、オペラハウスよりもブロードウェイで掛かるほうが多く、あえてこの連載で取り上げようと思う。

ガーシュウィンが願った黒人キャストでの上演

《ポーギーとベス》の最大の特徴は、ほぼすべてのキャストがアフリカ系アメリカ人(黒人)であるということ。1926年、ガーシュウィンはデュボーズ・ヘイワード(米国南部出身の白人小説家)の小説『ポーギー』を読み、そのオペラ化を夢見た。ヘイワードが故郷であるサウスカロライナ州チャールストンの貧しいアフリカ系住民を描いた小説に、ニューヨークのユダヤ系ロシア移民の家庭に育ったガーシュウィンは、何らかのシンパシーを抱いたのであろう。

1928年、ラヴェル(中央)の誕生日を祝う会にて。右端がガーシュウィン。ガーシュウィンが管弦楽法の大家であるラヴェルにレッスンを頼んだところ、ラヴェルは「すでに一流のガーシュウィンが二流のラヴェルになる必要がない」と断ったといわれている。

1927年にヘイワードは、劇作家である妻とともに『ポーギー』を戯曲化。ガーシュウィンは夫妻と会って、オペラ化の話を進めた。1934年夏、ガーシュウィンはチャールストンまで行き(彼はそこでリアルな黒人音楽に触れる)、近くの島のコテージで、ヘイワードとともに創作に励んだ。作詞にはジョージの兄である、アイラ・ガーシュウィンも加わった。

ガーシュウィンには、以前から、メトロポリタン・オペラから新作オペラの話があったが、メトロポリタン・オペラの舞台に黒人が誰も上がったことのない時代に、彼がオール黒人キャストによる上演を考えていた《ポーギーとベス》を同劇場で手掛けることは不可能であり、結局、ブロードウェイで上演されることとなった

ボストンのコロニアル劇場でのトライアウト(この試演会の間、ガーシュウィンはカットを施し、作品を短くした)のあと、《ポーギーとベス》は、1935年10月にブロードウェイのアルヴィン劇場で開幕した。ガーシュウィンは、民衆のさまざまな歌や音楽を採り入れたこの作品を「フォーク・オペラ」と呼んだ。

《ポーギーとベス》あらすじ

サウスカロライナ州チャールストンの「なまず横丁(キャットフィッシュ・ロウ)」。男たちはサイコロ賭博に熱中している。

©Tristram Kenton/Metropolitan Opera

クラウンがベスを連れて現れ、賭博に参加する。クラウンは、ロビンズと喧嘩になり、彼を刺し殺してしまう。クラウンは逃げ、ベスは足の不自由なポーギーの家に転がり込む。

 

ポーギーとベスは愛し合い、一緒に暮らし始める。ベスは、町の人々とキティワ島へのピクニックに参加するが、足の不自由なポーギーは行かない。ピクニックを終えて、島から帰ろうとしていたベスは突然現れたクラウンに引き留められる。

ベスが2日遅れでポーギーの部屋に帰り、ポーギーは彼女のしたことを悟るが、赦す。嵐の夜、クラウンがキティワ島から戻って来る。クラウンはポーギーの部屋に忍び込む。二人は争い、ポーギーがクラウンを殺してしまう。

ポーギーが警察での取り調べを受けている間、ベスは麻薬密売人スポーティング・ライフとニューヨークへ行ってしまう。それを知ったポーギーはベスを追って、ニューヨークへと向かう。

オペラ、ミュージカル、スピリチュアル、ゴスペル、ジャズ、カントリーなどを融合させたガーシュウィンの音楽は、魅力満載。もっとも有名な「サマー・タイム」はジャズのスタンダード・ナンバーにもなっている。

第1幕大詰めのコーラスはまさにゴスペル。「おれにはないものだらけ」では、ポーギーがバンジョーを伴って、何も持たないゆえの自由を陽気に歌う。※音源はウィリアム・ウォーフィールドによる歌

ポーギーとベスによる「ベス、おまえはおれの女だ」は20世紀に書かれた最高の愛の二重唱のひとつに違いない。

ポーギー役のエリック・オーウェンズ(左)と、ベス役のエンジェル・ブルー。©Paola Kudacki/Metropolitan Opera

スポーティング・ライフは「いつもそうとは決まっていない」と皮肉に歌う。そしてイチゴ売りの女や蟹売りの男の歌が聴こえてくる。

麻薬密売人スポーティング・ライフ役のフレデリック・バレンタイン(右)。今回がMETデビューの若手テノール。©Ken Howard/Metropolitan Opera

黒人とメトロポリタン・オペラの過去

前述したように、《ポーギーとベス》が作られた1930年代、黒人歌手がメトロポリタン・オペラに出演することはなかった。1950年代の公民権運動の高まりによって1964年に公民権法が制定されるまで、アメリカには、人種分離法(ジム・クロウ法)があり、はっきりとした形で人種差別が残されていたのである。

メトロポリタン・オペラに初めて黒人歌手がソリストとして登場したのは、1955年1月7日。当時を代表するアフリカ系アメリカ人歌手マリアン・アンダーソンがヴェルディのオペラ《仮面舞踏会》で黒人の女占い師、ウルリカ役を歌った。

1955年12月10日のライブ音源。1:26あたりでアンダーソンが登場し、拍手が起こる

その後、メトロポリタン・オペラでは、レオンタイン・プライス、グレース・バンブリー、バーバラ・ヘンドリックス、サイモン・エステス、ジェシー・ノーマン、キャスリーン・バトルら、アフリカ系アメリカ人のスター歌手たちが活躍する。

メトロポリタン・オペラで初めて《ポーギーとベス》が上演されたのは、ブロードウェイでの初演から半世紀を経た、1985年2月であった。主要キャストはすべて黒人、完全版による上演。1990年、そのプロダクションを、私は現地で見たが、劇場内はいつもに増してアフリカ系アメリカ人が多く、聴衆の温かさ、誇らしさがとても印象に残った。

30年ぶりのメトロポリタン・オペラでの上演と声明

今回、30年ぶりに《ポーギーとベス》がメトロポリタン・オペラで上演された。ライブビューイングで収録されたのは2020年2月1日の公演(新型コロナウイルスがニューヨークに広がる直前である)。

まさに、エリック・オーウェンズの《ポーギーとベス》といっていいだろう。ポーギーを演じるオーウェンズは、現在、アフリカ系アメリカ人歌手のなかで、もっとも活躍している一人。メトロポリタン・オペラでは《ニーベルングの指環》でのアルベリヒが忘れ難い。ダンス(振付:C.A.ブラウン)を採り入れたジェイムズ・ロビンソンによる新たな演出は、鮮やかで躍動感がある。

そして、今年5月25日、ミネソタ州でジョージ・フロイドさんが白人警察官に殺されるという事件が起きた。全米に、世界に抗議運動が広がったが、それに際し、メトロポリタン・オペラは、6月2日にSNSで次のようなメッセージを発した。

  

芸術に人種差別の居場所はない。ニューヨーク市に人種差別の居場所はない。この国にも世界中にも人種差別の居場所はない。メトロポリタン・オペラは、正義と平等を支持する声を上げている人々とともに立ちます。ジョージ・フロイドを悼んで。#BlackLivesMatter

METライブビューイング情報
ガーシュウィン《ポーギーとベス》新演出

上映期間: 2020年6月26日(金)~7月2日(木)

※東劇のみ7/9(木)までの2週上映

指揮: デイヴィッド・ロバートソン

演出: ジェイムズ・ロビンソン

出演: エリック・オーウェンズ、エンジェル・ブルー、ゴルダ・シュルツ、ラトニア・ムーア 、デニース・グレイヴス、フレデリック・バレンタイン

上映時間: 3時間39分 (休憩1回)

MET上演日: 2020年2月1日

言語:英語

第1、2幕と特別映像、休憩のタイムテーブル

山田治生
山田治生 音楽評論家

1964年京都市生まれ。1987年、慶應義塾大学経済学部卒業。1990年から音楽に関する執筆活動を行う。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人 -ある日本人指揮者の...

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