日曜ヴァイオリニストの“アートな”らくがき帳 File.16

ルノワールが描いた黒いピアノはジャポニスムの産物か――オランジュリー美術館コレクション

イベント
2019.10.24

ルノワールの絵画に描かれているピアノを弾く少女の絵。よく見てみると、重要なモチーフであるピアノに、ある違いが……?
日曜ヴァイオリニストで、多摩美術大学教授を務めるラクガキスト、小川敦生さんが読み解きます。

演奏するラクガキスト
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト
小川敦生
演奏するラクガキスト
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト
1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

横浜美術館で開催中の「ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」展。オーギュスト・ルノワールの展示コーナーに似た作品が2点並んでいる。《ピアノを弾く少女たち》(1892年頃)と《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル》(1897〜98年頃)。ともにパリのオランジュリー美術館の所蔵品だ。

ルノワールの展示コーナーから、《ピアノを弾く少女たち》(1892年頃)と《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル》(1897〜98年頃)

ピアノを趣味にしていた、パリの裕福な市民層

コンサートホールで開かれた演奏会の風景ではなく、家庭内でのピアノ演奏を描いた点がまず興味深い。当時のパリでは、裕福な市民層の家庭ではピアノを趣味にすることが流行していたのだろう。

比べてみると結構違う。縦長画面の《ピアノを弾く少女たち》は、背景が省略され、筆致も粗い。この絵は、政府から注文を受けたルノワールが油彩によるスケッチのように描いたものという。スケッチゆえ、みずみずしさが感じられるのが特徴だ。完成作は同じパリのオルセー美術館に収蔵されている。

さて、この絵はモデルを使って描かれたらしいのだが、内容には少々不自然な点がある。ピアノを弾く少女は、なぜか楽譜を譜面置きにはおかずに左手で持ち、鍵盤を片手で弾いている。 二人のモデルはルノワールのほかの作品にも登場するという。はたしてピアノを弾いている少女が本当にピアノを弾けるかどうかも疑わしい。ひょっとすると、いい構図にしたかったルノワールがあえてモデルにポーズを取らせたのではなかろうか。

オーギュスト・ルノワール《ピアノを弾く少女たち》(1892年、パリ、オランジュリー美術館蔵)展示風景

木目のピアノと、黒いピアノ

横長画面の《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル》については、タイトルにモチーフとなった姉妹の名前が書かれている。 この2人の父親は、画家であり美術品のコレクターでもあったアンリ・ルロルであることがわかっている。背景にあるドガの絵2点はそのコレクションだろう。こちらは家庭の実景が描かれたと考えていいのではないか。譜面立てに置かれた楽譜をめくっているのは、妹のクリスティーヌ。譜めくりは現代の演奏の場でもよく目にする日常的な光景だ。

《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル》(1897〜98年頃)展示風景

さて、ここでもうひとつの面白い違いに気づいた読者もいるのではないか。《ピアノを弾く少女たち》に描かれたピアノがアップライト型だったのに対し、《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル》に描かれているのはグランドピアノである。さらに、アップライト型は茶色く、グランドピアノは黒い。特にこの色の違いは、どういうことなのだろう。いくつかの情報に基づいて推論してみた。

チェンバロ奏者の渡邊順生さんの著書「チェンバロ・フォルテピアノ」によると、欧州で今のようにハンマーで弦をたたく仕組みのピアノができたのは1700年頃のこと。前身がチェンバロのような撥弦型の鍵盤楽器だったことはよく知られている。 ハンマーで打つ機構を持つピアノの登場は、繊細な変化とダイナミックな表現を持つ音楽を出現させ、徐々に普及する。同書で渡邊さんは、シノワズリ(中国趣味)として中国や日本の工芸が影響し、ピアノが登場する前に黒いチェンバロが作られれていたことにも触れている。

一方、黒い色のピアノの普及は、少し後の時代になるようだ。欧州に限らず、今の日本でも木目調の家具のようなピアノを目にする機会が時折あるが、それらはおおむね100年以上前の作であることが多い。欧州の楽器事情に詳しい篠崎ヴァイオリン工房の篠崎渡さんは「黒いピアノは日本の工芸品の影響、すなわちジャポニスム(日本趣味)ではないか」という。明治になって日本は欧州で開かれた万国博覧会にたびたび参加した。工芸品が欧州人の人気を博す中で黒い漆器も多く出展され、影響を与えたとの推察も成り立つかもしれない。 

『チェンバロ・フォルテピアノ』渡邊順生 (著)/東京書籍

斎藤信哉著『ピアノはなぜ黒いのか』によると、日本で国産のピアノが初めて作られたのは1880年代の終わり頃で、山葉(現・ヤマハ)の国産ピアノ第1号の登場は1900年。そして初期のピアノの外装はほとんどが黒い漆塗りだったという。 漆を用いたのは湿気の多い日本特有の事情からで、現在において「ピアノは黒いもの」というのは「日本人だけの常識」というのが同書の見解だ。

『ピアノはなぜ黒いのか』斎藤信哉(著)/幻冬舎

日本の草創期のピアノが欧州に影響をすぐに与えたと想像するのは難しいが、ピアノという西洋の楽器を通じて日本と欧州のつながりが見えてくるのはなかなかおもしろい。1897年頃描かれたルノワールの絵に黒のグランドピアノがあるのは、その点で極めて興味深いのである。

ヴァシリー・カンディンスキー《印象III(コンサート)》(1911年、ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館蔵=参考図版)

ミュンヘンにいた画家ヴァシリー・カンディンスキーが1911年に描いた《印象III(コンサート)》(ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館蔵、本展には不出品)という作品はかなり抽象画に近い趣だが、画面の真ん中に黒い塊が描かれている。ピアノをモチーフにしたと解釈されるのが一般的だ。 このころの欧州では、黒いピアノはすでにかなり普及していたのかもしれない。黒いピアノ史のさらなる検証を待ちたい。

「ルノワールと12人のパリを愛した画家たち」展プレス内覧会では、ピアニストの福間洸太朗によってルノワールの時代に製作されたというプレイエル社製のピアノを弾くパフォーマンスが行なわれた。ピアノの木目の味わいは家具としても心地よい(2019年9月20日、横浜美術館グランドギャラリー)

プーランク/3つのノヴェレッテ第1番

Gyoemon作《黒猫はいつから黒いのか?》

黒猫はいつから黒いのか? 多分誰も謎と感じないに違いないが、すべてのものに始まりはあるので、答えはあるに違いない。と言いつつ答えは分からないので、とりあえずグレーな猫でお茶を濁しておきます。Gyoemonは筆者の雅号。
展覧会情報
横浜美術館開館30周年記念 オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち

会期 2019年9月21日〜2020年1月13日
会場 横浜美術館(横浜市)
URL  https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20190921-540.html

横浜美術館で音楽会4「オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12 人 の画家たち」展によせて(ルノワールと12人展)

日程 2019年10月25日(金)
時間 (1)14時~15時30分 *売切れ
   (2)19時~20時30分
   *2回公演、同内容
演奏・レクチャー 坂本真由美(ピアノ)、三又治彦(ヴァイオリン)、坂本日菜(オルガネッタ)、山口とも(パーカッション)、沼田英子(横浜美術館 主席学芸員)
会場 横浜美術館レクチャーホール

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