高橋悠治ができるまで——戦後のピアノ事始めから新しい音楽の作曲、言葉の世界へ
唯一無二の個性をもつ作曲家、ピアニスト、そして稀有の文章の書き手でもある高橋悠治さん。80歳を迎えた今年の締めくくりとして、世代を越えて多くの演奏家が集まるコンサート「高橋悠治作品演奏会Ⅰ『歌垣』」(12月29日、東京オペラシティリサイタルホール)がおこなわれる。
その企画・主催を担当する、ミラノ在住の作曲家・指揮者の杉山洋一さんは、小学校高学年の頃から悠治さんの音楽に夢中だったとのこと。
第4回の「レジェンドに聞け!」は、ONTOMOエディトリアル・アドバイザーの林田直樹が、杉山さんを含めた座談会形式で、悠治さんに話をうかがいました。
1938年東京に生まれる。柴田南雄、小倉朗に作曲を師事。1960年、一柳慧、小林健次と「ニュー・ディレクション」を結成。この年東京現代音楽祭にピアニストとしてデビュー...
1969年生まれ。桐朋学園大学作曲科卒業。95年イタリアに留学。指揮をエミリオ・ポマリコ、岡部守弘に、作曲を三善晃、フランコ・ドナトーニ、サンドロ・ゴルリに師事。指揮...
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
楽譜が手に入らない時代、中学生の電話にも親切に応える
林田 杉山さんは小さい頃から悠治さんの音楽が好きだったそうですが、どんなきっかけで?
杉山 最初、僕は普通にクラシックの勉強をしていたのですが、渋谷に昔あったヤマハの楽譜売り場に行くと、いろんな作曲家の、ケージとかの楽譜までが棚にたくさん並んでいて、そこで高橋悠治の楽譜が目に入ったんです。手書きのものもあって、これは何だろう? どんな音がするんだろう? と思ったところからです。
そこから始まって、音楽評論家の秋山邦晴さん(※高橋悠治さんの実妹・高橋アキさんの夫)の本も読み、親に頼んで、悠治さんの出されていた「水牛通信」を、中学生の頃から毎月とって読むようになった。
林田 「水牛通信」の最年少の読者だったのでは?
高橋 うん。まあそうだったと思いますよ。
杉山 「水牛通信」の最後には連絡先が書いてあって、あるとき『ピアノと30楽器のための“歌垣”』という曲の存在を知り、楽譜が見たい! と思ってお電話をしたんです。中2の頃かな。そしたら、「どっかいっちゃった」という話だった。
高橋 なかったからね、家には。
杉山 すごく優しく応対してくださったんです、信じられないくらい。すげなくガチャンかと思ったのに。たぶん、2時間くらいは電話したんですよ。
林田 そんなに長くですか?
杉山 電話するまでに随分悩んだんですよ。どんな音がするんだろうと、素朴に楽譜が見てみたかった。考えたあげくに、夜の8時頃にお電話をしたら、ご本人が出られた。そしたら、何を話したかな……よもやま話を2時間くらいしてくださった気がします。……あのときは、すみませんでした!
一同 (笑)
高橋 まあ、電話が長いって家で言われてるからね。2時間なんてよくあったわけ。
杉山 『長電話』っていう本もありましたね。
高橋 そう。そういう本も作ったし(笑)。
林田 当時中学生の杉山さんが「どんな音なのか聴いてみたい!」「どんな楽譜なのか見てみたい!」って思った、その渇望感って、まぶしいというか、新鮮ですね。「未知の音を聴きたい」、それって現代音楽の一番根本にあるものじゃないですか?
杉山 僕はいま20何年イタリアにいますけど、もともと行った理由も、聴きたい音が東京にはなかったからなんです。ケージにしても、クセナキスにしても、当時はそんなに楽譜はなかったし。昔は、そんな情報は簡単に手に入らなかったですよね。
高橋 なかったよ。
杉山 いわゆる「現代音楽」というものすらなかった時代、悠治さんはどういうところから、「現代音楽」のほうに行ったのですか?
ピアノから作曲、高橋悠治さんが習った歴代の先生たち
高橋 ピアノはね、ちゃんとやってなかった。家の母親がピアノを教えだしたのね。教えだしたというのは変な言い方でしょう? 戦争があって、最後の2年間、歌舞音曲のようなことは禁止。ピアノは弾いてはいけなかった。だから軍歌とかしかなかったのよ、その頃は。それでまあ、家に黒い箱がある。敗戦の日の後に、またピアノを弾き出したわけ。母親が。
それで、自分もバイエルみたいなものを習って、そしてそれが終わる頃には、もう退屈したから、練習はしない。だけど、春秋社の世界音楽全集というのが家に何冊かあったから、ずっと弾いているうちに、じゃあこんなものなら作れるんじゃないかとか思って、というような感じよね(笑)。
杉山 いつ頃の話ですか。
高橋 10歳くらいじゃないの。それで、作曲をやりたいと言ったらば、橋本國彦(1904-1949)のところに連れていかれて、ハーモニーを教えてやるみたいな話になって、そしたら、音楽帳みたいな五線紙のノートを野村光一(1895-1988)がくれた。みんな、音楽評論をやっていた父親の知り合いなんだよね。そのノートを持って、橋本先生のところに母親付きで行き、そしたらソファにぐったり寝ているわけよ。結核で死にそうだったから。やっとの思いでハーモニーの課題を書いてくれて、それはレッスン2回で終わった。
それで、ピアノも母親じゃ言うこと聞かないっていうんで、近所の先生を探して、宅孝二(1904-1983)のところに行った。そしたら面白くなさそうに、じゃあこのチェルニーをやりさないみたいな感じで(笑)。音階みたいなのをやって練習して、2回くらい行ったかな。3回目くらいに行ったら、先生は東京に稼ぎに行ったとかでいない。「ちょっと待ってください」と部屋着を着た女の人が言うわけだよね。母親と2人で待っていたら、同じ柄の部屋着を着た女の人がもう2人出てきた。それで母親が驚いて「失礼しました」と帰ってきた。ピアノ・レッスンはそれで終わり(笑)。
それっきり2、3年は放っとかれて、今度は父親の友だちだからといって、長谷川良夫(1907-1981)のところに連れて行かれた。ところが鎌倉から経堂までは遠い。泊りがけで対位法を習って。そういう具合に続いた。
杉山 そこから、新しいほうの音楽に至った理由というのは?
高橋 うーん。そんなちゃんとやらなかったよね。そのあと、ピアノは伊藤裕のところに行って、それも田園調布だから遠かったけど、そのうちに月謝が払えなくなったわけ。家は金がないから、月謝が払えません、で全部終わった。
柴田南雄さん(1916-1996)のところに習いに行くのは、わりと続いた。その間に、桐朋の高校に入った。柴田さんには、クルシェネク(オーストリア出身の作曲家/1900-1991)を最初に教わった。そのうちに調性音楽もやらなきゃまずいかな、じゃあ別宮貞雄(1922-2012)が(フランスから)帰ってきたから対位法とかフーガを習いに行きなさいと言われて。1年くらい習ったかな。そしたら高校が終わった。桐朋短大に作曲科があったけど、短大から「教えない」と放り出されて、今度は小倉朗(1916-1990)のところに行った。
小倉朗はその頃釣りに夢中で、自転車で夜釣りに行く。「え? 自転車に乗れない? じゃ俺が教えてやる」っていうんで、まず自転車を教えてもらった。「俺が押さえているから行ってみろ」という感じで。でも魚を釣りに行っても釣れない。帰りに魚屋へ寄って、魚を買って帰ってきて、それを奥さんがさばいて、刺身にして酒を飲む。「何だ、酒の飲み方も知らないのか。俺が教えてやる。こうやって腕を回してクッと飲むんだ」と酒の飲み方を教わって。それで「作曲も教えてやろうか。でも俺も書けねえんだよな。書けないのが当たり前だ」。
一同 (笑)。
高橋 それが桐朋短大の1年間。そしたら今度は、「俺がオペラを書いたから、一緒にピアノを弾け」と言う。そして指揮者の森正に試験されて、《蝶々夫人》のプレリュードか何かを。「あ、できるな。よし」みたいに雇われて、それで5年間働いた。そうやっているうちに、ボー・ニルソンの曲を、作曲をやっているから楽譜が読めるらしいっていうんで頼まれて、それを弾いた。そしたら便利な奴が出たっていうんで、曲を弾くようになって。
その頃、武満徹が鎌倉に住んでいた。行き帰りの電車で見るわけだよね。同じコンサートに行くから。
でもね、自分で作曲するのは、結局、武満とか諸井(誠)とか、そういう人たちの曲をアンサンブルでも弾いているうちに、ちょっと何かやってみないかと言われて、それでNHKの電子音楽を…そういう具合になってくるわけ。それで、誰も知らないわけだ。作曲なんか見たこともないのにさ。頼まれてやって。
1960年頃、東西音楽会議というのがあった。そこに(ヤニス・)クセナキスやエリオット・カーター、ルー・ハリソンとかヘンリー・カウエルとかが来た。
杉山 変な作曲家ばっかりですね。
高橋 そこでクセナキスがね、自分の曲とか、ピエール・シェフェールのミュージック・コンクレート(音響・録音技術を使った電子音楽の一種)とかいろんなものをかけた。クセナキスの曲が一番面白かったから、何か習いたいと思ったが、両方とも金がないから、しばらく文通して。数学のあれをやれの、これをやれの、言われて。
確率をどう作曲に使うのかと思ってもわからないわけだよ。だから、自分でそういうのを考えて、それでNHKの電子音楽のときは、そのやり方で書いたわけ。
ケージは楽譜もなくて、秋山(邦晴)がアメリカの音楽雑誌の紹介記事で(ジョン・)ケージとはこういうものだと書いてあるから、じゃあ易を使って作曲してみようっていうんで……だから、全部自分のクセナキス、自分のケージ、そういうのを作っていたわけだ。
言葉と音楽、一貫した存在感
林田 僕にとっての悠治さんって、言葉が欠かせない要素としてありまして。書かれることが、ところどころものすごく煌めくというか、刺さるわけです。たとえば、光州事件やアジアの民衆のような、政治的な言葉の世界と、純粋なクラシック音楽の世界と……純粋と言っていいのかわからないですけど……一人の人物の中に共存しているというところに興味をもちはじめて、それで今に至るんです。
いつも悠治さんの文章って、句読点がないじゃないですか。文節のあいだに1字アキっていうのをなさいますよね。
高橋 そういうものはあるからね。句読点のない文章。しゃべって一息みたいな、そんな感じでしょう。だから、点とか丸とかはいらない、みたいなことはあるかな。それから、「散らし書き」っていうんだけど、それは古今集の頃かな。違う意味がいっぱい出てくる、言葉の切り方を変えると。そういうスタイルなのね。新古今になったらそれはなくなってしまった。だから本当に一時的なもの。
英語なんかの場合は、詩に句読点はない。だけど言葉の切れ目があって、行の切れ目があって、それから連の切れ目があって、そういう具合ね。でも、行をどこで分けるかということを操作すると、何となく意味がつながっているが行は変わる、ということの効果もあるわけだし。
音楽を書く場合は、自分で演奏したり、2、3人の場合だったら、休止符は書かないで、ただ空けておく。
高橋悠治 作曲/ピアノ《散らし書き》
林田 サックスの栃尾克樹さんが演奏されている《残り火》という曲がありますよね。あの曲の譜面を見せてもらったときに、にょろにょろにょろにょろ、空白。にょろにょろにょろにょろ、空白。これは言葉じゃないかと思ったんです。
高橋 ああ、言葉ね。《残り火》というのは(フランスの劇作家 サミュエル・)ベケットのラジオドラマのタイトルで、老人が、目が見えなくて、海のそばにいて、波の音を聴いていると、昔の人たちが頭の中に現れてくる。そういうのがベケットのドラマなんだけど。
林田 そのイメージなんですか。あの曲も。
高橋 うーん。そこまでは言えないかな。詩の何かを使うことはある。そこから思いつくっていうことはあるから。
林田 悠治さんの言葉を楽しみにしている人っていっぱいいると思うんです。たとえばシェーンベルクの歌曲集《架空庭園の書》をメゾソプラノの波多野睦美さんと一緒に演奏されたでしょう。あのとき、日本語の訳詞が配布された。悠治さんの日本語に訳された《架空庭園の書》を読む喜びがコンサートのあとにはあった。シューベルトの《冬の旅》もそうです。悠治さんの日本語に訳した言葉に魅力があるというのも、やっぱり大事な側面だなと思う。
メゾソプラノの波多野睦美さんと共演した『ゆめのよる』
杉山 一貫したそこに高橋悠治という存在感を感じますよね。
林田 半分、詩的言語の領域に入っているなと感じるんです。どうしてあのように煌めくような言葉を作り出せるようになったんですか?
高橋 (笑)そんなことを聞かれてもね。何とも言えないよね。でもまあ、中学生の頃は詩を書いていて、それも何かの見よう見まねなんだけど、ずっと詩を書くということは思っていた。どこかに書いたこともあるんだよね。そしたらそれを読んだ谷川俊太郎さんに、「こういう詩的な言葉を使うのは、詩ではない」と言われたんだね。
杉山 そういう話をうかがうと、悠治さんの書かれた絵本を思い出しますね。あの絵本はみんな子ども向きですよね?
高橋 それはそうですよ。でも、まあ、あの場合は、柳生弦一郎の絵がまずあるわけ。場面ができると、それに言葉を添えるみたいな感じよね。
杉山 ポンと並んだ普通の言葉なんだけれども、そこにただ平板な一義的な言葉ではなくて、一行変えたら違う言葉になるような、さまざまな豊かな、音楽的に言うと、倍音がたくさんあるようなね。そういう言葉のイメージがありますよね。
高橋 言葉ってひとつだけじゃなくて、つながり方で、そこにある関係も、そこにない関係も、想像できるわけだ。それはまあ、音でもそう。音と音の関係。そういう感触、かな。そのつながり方で、違うイメージができる。
杉山 おっしゃる通りで、楽譜も、さっきの《残り火》にしてもそうだけど、それでしかない、という読み方もあるけれど、さまざまな見方ができる楽譜なんですよね。
12月29日、録音が残っていない作品の個展
林田 12月29日(土)のコンサートの話ですが、杉山さんが小さいときに聴きたかったという《歌垣》をやりますね。でも、楽譜はどこかいってしまったのですよね?
杉山 今は全世界の図書館の検索ができるから、《歌垣》の楽譜もファクシミリが残っていて見つかったんですけどね。実はどういうふうにしようか考えているんです。オーケストラとピアノのスコアが全部で5つある。でもどこを弾いているかも、はっきり言ってわからない状態なんです。
高橋 高い音だけ、低い音だけとか、5つのセクションに分ける。5本指があるから、指でもってどれというふうにいう。それで、1つの楽譜の中にキューが5つある。だから、もう片手でどのキューというふうに示す。1の2というふうにキューを出して、そこから始まるとするでしょ? それを演奏している間に、もうひとつのグループの3の2とすると重なっていく。確率を使った作曲なんだよね。
杉山 それで、みんなが勝手にテンポ揺らしたり、ダイナミクスを決めたりするんですよね。ピアノがこう弾いたら、こちらの歌垣としてはこう反応します、というのは予め決めるんですけども。指揮をすると言っても、音の質感という話はしますけど、要するに、上から押さえつけるものではない。
林田 指揮者はキューを出す人?
杉山 そう。《歌垣》に関しては、それ以上でもそれ以下でもない。だけど面白いのは、新作のほうはちゃんと指揮しなきゃいけない。
林田 指揮って、悠治さんは最近はなさっている?
高橋 してないです。もう何十年もしてないよね。
杉山 いかがですか。指揮はお好きなんですか。
高橋 うーん。かなりやっていた時期もあるけど。それが職業になっちゃうとね。というのはちょっと言いにくいことだけど、ピアノ弾いているでしょう。そうすると、知っている曲をやってください、になってくる。それに応えていたら、ただのピアニストになっちゃうわけだ。だからそうやってそこから外れるかということを考えるよりしようがない。
指揮者はやっぱりね、大勢をコントロールする立場だから、気持ちがいい。いろいろ葛藤はあるだろうけど。何十人を動かしているというのが気持ちよくなると、だんだん作曲しなくなってくる。ブーレーズがそう。
一同 (笑)
日本を代表する作曲家・ピアニスト、高橋悠治の作品個展を2回シリーズで行なう。
現在では演奏される機会がまれで、録音も残っていない60年代の初期作品の蘇演を試み、録音して後世に残すこと、また近年作を対置したプログラムで、他の追随を許さないこの孤高の作曲家の足跡を観客とともに追う貴重な機会。
幼少期に高橋の作品に衝撃を受けて音楽の道を志し、現在も活動の原動力として影響を受け続けている作曲家・指揮者の杉山洋一による渾身のプロジェクト。
日時: 2018年12月29日(土)15:30開演/19:00開演 2回公演 ※上演時間 約90分
料金: 前売 一般4,000円、学生2,500円/当日 一般4,500円、学生3,000円(税込)
会場: 東京オペラシティ リサイタルホール
曲目(高橋悠治作曲):
・Kagahi ピアノと30楽器のための「歌垣」(1971)*
・Operation Euler オペレーション・オイラー(1968)オーボエデュオ
・Chromamorphe I クロマモルフI (1964)* フルート、ホルン、トランペット、トロンボーン、ヴィブラフォン、ヴァイオリン、コントラバス
・Sa さ (1999) ホルンソロ
・Six Stoicheia 6つの要素 (1964)4ヴァイオリン*
・Faint Lights あえかな光(新作・2018世界初演)** フルート、クラリネット、ヴィブラフォン、トランペット、トロンボーン、コントラバス、4ヴァイオリン、4チェロ
指揮: 杉山洋一(*)、高橋悠治(**)
演奏(楽器別五十音順): 黒田亜樹(Pf)、上野由恵(Fl)、荒木奏美(Ob)、鷹栖美恵子(Ob)、田中香織(E♭.Cl)、原浩介(Cb.Cl)、笹崎雅通(C.fg)、山田知史(C.fg)、守岡未央(Piccolo Trp)、上田じん(Tp)、宮本弦(Tp)、根本めぐみ(Hrn)、福川伸陽(Hrn)、橋本晋哉(Tb)、廣瀬大悟(Tb)、村田厚生(Tb)、會田瑞樹(Perc)、神田佳子(Perc)、窪田健志(Perc)、伊藤亜美(Vn)、印田千裕(Vn)、城代さや香(Vn)、周防亮介(Vn)、徳永慶子(Vn)、松岡麻衣子(Vn)、内山剛博(Vc)、蟹江慶行(Vc)、中木健二(Vc)、長谷川彰子(Vc)、細井唯(Vc)、山澤慧(Vc)、佐藤洋嗣(Cb)
1938年東京に生まれる。柴田南雄、小倉朗に作曲を師事。1960年、一柳慧、小林健次と「ニュー・ディレクション」を結成。この年東京現代音楽祭にピアニストとしてデビュー...
1969年生まれ。桐朋学園大学作曲科卒業。95年イタリアに留学。指揮をエミリオ・ポマリコ、岡部守弘に、作曲を三善晃、フランコ・ドナトーニ、サンドロ・ゴルリに師事。指揮...
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
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